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その光は誰を照らし、誰を見えなくしているのか?

――「希望の象徴」の裏で、私たちが目を背けてきたこと

本noteはシリーズ『怒りから始める哲学エッセイ』の第5弾です。本作から読み始めても問題ありません。

Vol.1 “安くて便利”の時代に人間だけが安売りされる理由
Vol.2 “空気”が民主主義を殺した日
Vol.3 怒ることが、なぜこんなにも怖いのか?
Vol.4 「頑張れば報われる」は誰のための言葉か?
Vol.5 その光は誰を照らし、誰を見えなくしているのか?
Vol.6 私は誰かの怒りを、笑っていなかったか?
Vol.7 感情を捨てることで、何かを守っていないか?
Vol.8 なぜ私たちは、“普通”に苦しめられるのか?
Vol.9 沈黙に加担しないために - 怒りを手放さずに生きる術



序章:眩しすぎる光の中で


ある日、NHKの夜のニュースを見た。
キャスターは開口一番、こう言った。

「まずは、大谷翔平選手の話題です」

画面には笑顔の彼が映し出され、観客の歓声が流れた。


一方で、その日も政治家の裏金問題が報じられていた。
高齢者や子育て世代を直撃する法案が審議されていた。
なのに、最初に伝えられるのはスポーツの話だった。


もちろん、大谷翔平選手に罪はない。
彼は誠実に努力を積み重ね、結果を出した人だ。
ただ、私が違和感を覚えたのは、「その光の使われ方」だった。


彼の輝きは、人々を元気づける。
だがその光は、ときに「何か」を覆い隠す
政治の不正、メディアの怠慢、構造的な問題――
私たちは、そうした現実から目を背けるために「光」を消費していないか。


本noteは、「まぶしすぎる光」に照らされず、
その陰で見えなくされてきたものに目を向ける試みである。



第1章:光はどこから、どう照らされるのか


大谷翔平、オリンピック、ワールドカップ。
ときに芸能人の結婚、ときにスキャンダルや訃報。
私たちは、連日のように「話題」を与えられる。


だが、何が「話題」になるかを決めているのは、誰なのか。
それは視聴者ではなく、メディアと政治の構造である。


国会の重要審議の裏で、スターの話題がトップニュースになる。
目立たぬように通される法案。
「偶然」とは思えないタイミングで流される娯楽情報。


私たちは、「明るい話題」に癒やされながら、同時に、大切な「暗い現実」から目をそらされている。


光は希望を与えると同時に、その背後にある「闇」を見えにくくする作用を持つ。



第2章:才能と努力、その“土壌”は平等か?


よく言われる。「大谷翔平は努力の人だ」と。
たしかにそうだ。彼は目標を立て、計画を実行し、結果を出した。
誰もが称賛するのも当然だ。


だが、こう問いかけたい。

もし彼の身長があと10センチ低かったら?
もし育った家庭が経済的に困難だったら?
もしケガに泣かされた10代を過ごしていたら?

そのとき、彼は「今の彼」になれただろうか。


努力が実を結ぶには、土壌が必要だ。
家庭環境、健康、人的支援、適切な教育と指導者。
それらが整っていてこそ、努力は花を咲かせる。


だが社会は、「成功者」の言葉を切り出して使う。


「努力すれば夢は叶う」
「やればできる」
―― それを、全員に向かって言う。


そこに、暴力がある。



第3章:成功者が隠れ蓑になるとき


成功者の言葉は、しばしば政治に利用される。
「努力した者が報われる社会」――どこかで聞いたことはないか。


そう、それは「痛みに耐える改革」と同じ構造だ。
不平等に対する批判を封じるために、「成功例」が利用される。


「この人は報われた。だからあなたも頑張れ」
「うまくいかないのは、あなたが努力してないから」
―― そう言われれば、反論しづらくなる。


メディアは、その構図を繰り返し流す。
まるで「成功の物語」が、社会全体の証明であるかのように。


だが、ひとりの輝きは、全体の構造を語らない
それを語らせようとするのは、構造を隠すための装置だ。



第4章:私たちが見逃してきたもの


大谷翔平のニュースに沸く一方で、年金制度は崩れかけ、若年層の非正規率は高止まりし、子どもの貧困が深刻化している。


それらは「見えにくいニュース」だ。
複雑で、暗く、誰もが語りたがらない。


でも本当に、「見たいものだけを見ていて」いいのだろうか?


メディアが光を当てない場所こそ、私たちが自ら目を凝らして見るべきではないか。



結び:光を見ながら、影を忘れないために


私は、大谷翔平を批判したいわけではない。
彼のような存在に希望を見出す気持ちも、よく分かる。


でも、だからこそ問いたい。
その光は、誰を照らし、誰を見えなくしているのか?


華やかなニュースの裏で、ひっそりと変えられる法律。
声を上げられず、痛みに耐えている人たち。
そのすべてを、「光」で覆い隠してはいないか?


問い続けよう。
光の向こう側に、何があるのかを。


「見る」という行為は、同時に「見ないものを生む」行為でもある。
私たちは、そのことを忘れてはならない。


★☆★ 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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そして、あなたの問いを、あなたの言葉で語ってほしい。
その小さな問いが、社会を変える火種になると信じています。

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