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本当の自分を見つけられていますか?

あなたは、本当の自分を見つけられていますか?
仮面をかぶりながら生きていくものなんでしょうか?

なんか、自己啓発系セミナーの広告みたいなこと聞いてきたな😅

「ありのままの自分」とか…
悩んじゃうやつですね… わかります。
今回の「問い」も考えさせられちゃいました。



▼本当の自分をわかってますか?

僕は…… たぶん、わかっちゃってます😅
自己分析自己考察自己理解も、ある程度は“できちゃって”ます。
(これ、たぶんどれも少しずつ違うと思うので考えてみると面白いかも?)

これ、前にも書いたんですが…
正直、わかっちゃう前の方が人生楽しいかもしれないですよ?w
必要に迫られてない“時”には、十分にできてなくても良いと思ってますw
でも、自分の生き易さを演出するために自己理解は大切ですよね。


だから、こういうことを考えたくなる気持ちも分かります!


だた、ちょっと今回気になったことがあったんですよね…

それは──「“本当”の自分」?

「本当」ってなんだ?🙄

それを求めているあたりが危険な考え方な気がするけど?w


|そもそも表現型としての自分は見えているのか?

素の自分(表現型)は、本当の自分じゃないのか?
僕は普段、そんなに考えながら行動・選択してないw
自然と、無意識に、意識的に、“本当”を考えずに生きてるかもw
ってことは、それが「“素”の自分≒“本当”の自分」な可能性さえある。

「本当の自分」って意外に薄っぺらいモノの重ね合わせである可能性が高かったりしてw
そういう、何気ない行動や選択のパターンを集めていくと、自分が見えてくるかもね。

別に、“本当の…”みたいな高尚なものが
自分の中に隠れていなくてもいいのでは?

本音—顔のない問い

|自分を「個」の現象と勘違いしていないか?

そもそも、自分という「個」を掘り下げていけば、「本当の自分」が存在する…
それは幻想かもよ?😅

自分が存在できるのは、色んな関係性の結果であって…
そういう関係性を無視して、自分は語れないのでは?

自分と自分の周りの人や環境、その集合体を「本当の自分」と捉えるなら、それが僕の考える「自分像の捉え方」に近い気がする。

そんなこと考えてた時に…
じぶん専門家さんが、自己を環境への応答の観点から考えるツールとしてPersona Checkというのを考えてて、面白いなって思った。
簡単に言うと、エゴグラムを公的・私的な外界それぞれを想定してやってみるって感じなんだけど、そこにストレスのパラメータも入れることができるみたい。(※ちゃんと本家の記事を読んで判断してください!僕の見解はテキトー過ぎるので注意です😅)

それを見て改めて思ったのが…

自分の周りの人や環境は、
自分を成り立たせるのに必要な要素だけど
でも、自分の意志では動かせないし、完全にはコントロールできない――
それは胃とか腸とか内臓と同じような存在

コメントー顔のない問い

ってこと!ぶっちゃけ、身体の外にあるか内にあるかの違いしかないw

外界の情報込みで自己分析する…それって理にかなってるなって感じました。
これって、どの時代の自分がどうだったか、考えながらやったら、自分の変化とかも探れて面白そうです。

|自分を変化しないモノとして見ちゃってないか?

本当の自分ってのが、そもそも「定かである」というわけではないのでは?
「変わるし、変えれるもの(特に若いときは?)」なのかも。

または、変わったことで、見えてくるものかもしれない?

まぁ、ヒトも本質は「動物(生物)」なんでねw

個体としては「足りないものを食らいながら、拡散死滅を繰り返すもの──
その現象の中で“印象”を伝播させるモノ」でしかない
と思うんだけど…

そこ(印象)に自分なりに「人間としての意味」を勝手に付与するのはとても大事なこと!

…だと、思う。

ただ、勝手にラベル化するのは良いけど、それに固執したり縛られたりするのは、自由じゃないからオススメしないかな?😅

自分の意味なんてのは、まぁ…頑張って生き続けていたら、なんとなく見えてくるもの? そんなもんなのかもよ?w
あと、「他者や出来事との関わり」が自分を見つける(形成する)ための助けになるかも?

たぶん、「本当の自分ってなんだろう?」って疑問を持つ自分は──
まだ「本当の自分」を探す段階ではなくて、「自分」を積み上げている段階ってことなのかな?


▼仮面をかぶって生きていく?

「本当の自分」のところにも書いたように…
そもそも、自分って、多くの場合
不定形で、自分にも分からないことが多い…

かといって…
「人間は“分からないモノ”──特に“自分に似ているのに分からないモノ”──を怖がる」という性質があるから…
平和に生きていくためには、相手の人間に「(ある程度) わかった気になってもらう」必要がある。

そのために「仮面をかぶる」、つまり、「自分はあなたと同じですよ/敵ではないですよ」と伝える必要があるんじゃない?

❓仮面をかぶりながら生きていくものなんでしょうか?

僕の答えは──
うん。「仮面をかぶって生きる」のは、人間社会で生き残るために必須なのでは?

要は、「自分が混ざりたいコミュニティーを理解」して、「自分はあなたと同じですよ/敵ではないですよ」と伝わればいいので、
そしたら「どんな仮面をかぶればいいか」が分かるはず。

そのとき、「自分のこと」が分かっていれば:
「本当に混ざりたいのか?(別にそうでもないなら仮面不要)」とか、
「コミュニティーが自分に合っているか?(合ってなければ無理な仮面をかぶることに)」とか、
それらを考える素材になるはず。

結果として、自分に無理を強いない「仮面の装着(自分の記号化)」ができるようになってくるんじゃない?
(そういう意味で、自己分析と自己理解は「自分の生き易さ」のために必要かもね。ぁ、話が戻ってきた?w)

あとは、「混ざりたいコミュニティーの理解」だけど、やっぱ把握力やら分析力を上げていくしかない…
でも、それも自分を知ろうとする作業の中で鍛えられる気がする。


▼おわりに

なんか…色々と書いたけど、どっかが矛盾してる気がする😅
う~~~ん。でも、まぁ良いや。矛盾もまた人生wwwww

でも、ヒトは人との関わりの中に生きる生き物!
これは、生存・生活の両面で確かな気がするw
(だから「ひとりぼっちの状態での“完全な自己理解”」って、実は幻想なのかも?)

ぁ~! あの超大作──
漫画『ONE PIECE』(尾田栄一郎)ヒルルクの言葉にすべてが詰まってるわ!!

人はいつ死ぬと思う・・・?

心臓をピストルで撃ち抜かれた時・・・? 違う!
不治の病に侵された時・・・? 違う!
猛毒のキノコのスープを 飲んだ時・・・? 違う!!!

人に「忘れられた」時さ!!!

そうなんよ😫これが真理だ…
人は、自分だけじゃなく、自分の周りの人や環境の中にも“自分”を持つ。

──その人の「ストーリー・ドラマ」は、その人の“関係性”の中に宿る!


ぇ?仮面? それこそがあなたの“人生”そのものなのかもよ?


本当にヒルルク好きなんです。
生き方が好き過ぎる…かっこよ過ぎる…

きっと近い未来、『ONE PIECE』とか、いくつかの漫画が学校の教科書になるときが来ると思うw


さて、今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。


引用作品:

ONE PIECE
問いが多過ぎて絞れないけど「自由・友情・夢・正義・個と世界の関係」といった人間の根源的問いを持つ。常に「人はどう生きるべきか?」というテーマが潜んでいる。
記事とのリンク
Dr.ヒルルクの名言から、「人生は関係性の中にこそ宿る」という考えにつなげている。

※Amazonのアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。

顔のない問い


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