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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第2話

【前回の物語】
 郵便局に勤めるアキは、キャビネットを入れ替える時に大きい封筒を見つけた。中身は宛先も差出人も不明の未発表小説の原稿だった。誰もいなくなった郵便局で、郵便法違反であることを知りながら、アキはその小説を読み始めた。

第2話 : 副塾長のハイヒール

 七会は大学一年生だ。名前は七会と書いて、「ナカ」と読む。名前に「七」の数字があるが、七人目の子どもというわけではなく、弟が一人いる長女だ。大学での専攻は考古学、それもどちらかというと論文を書くよりも遺跡現場での発掘技術を磨くことに興味があるタイプだった。
 そんな彼女は、大学入学以来、友人とおしゃれなカフェに出かけた回数よりも、研究室の教授に同行して発掘現場を見に行ったことの方が多かった。そんな彼女の目下の関心事は、月に5万円くらい稼げるアルバイトを見つけることだった。

「こんにちは、近くに新しく開校した英会話スクールから参りました。こちらの塾にポスターを貼らせていただきたいと思いまして……」

 七会が最初に見つけたアルバイトは、大学の近くに新しくできた大手英会話スクールのポスターを持って回り、周囲の学習塾や書店、文具店など、中学生から大学生がよく出入りしそうな場所に貼って回る仕事だった。一枚貼って五百円の収入だった。

「ポスター? いいけど、このバイトって幾らになるの? 一枚千円くらいかしら? 最初のうちは貼るところが結構あると思うけど、一週間もしたらこれといった所には貼り尽くしてしまって、仕事なくなっちゃうよ?」
 初対面にも関わらず、鋭い分析をしてくる女性は、この塾の経営者だろうか。
「自己紹介してなかったわね。私はここの塾の副塾長で、今日はうちの人が留守だから、電話番ってわけ。夫がここの創業者かつ塾長。彼も、まあこんな街だから、多分あなたと同じ大学出身。あなた、専攻は?」
 一切の社交辞令を抜きにして、必要な情報を伝え、興味がある相手には遠慮なく切り込んでくる感覚が七会には心地よかった。

「考古学です。大学院生にならないと、大学からは発掘遠征の旅費が出ないので、それを稼ぎたくて…… 」

「化粧っ気がないのは、そういうわけなのね。でもあなた、他の女子大生より、肌がキレイだよ。ファンデーションを塗り固めると皮膚が呼吸できなくなるから、老化が早まるのね。これからもその健康的な感じでいきなさいね」

「ありがとうございます。では、ポスターを貼ったら失礼します」

 七会はプラスチック製の筒に入れて持ってきたポスターを出し、三センチ四方に予めカットしてある両面テープの剥離紙を剥がして貼り付けると、手早くポスターを貼った。これで五百円、夏休みに福井県で行われる大規模な発掘遠征に同行するには、あと120枚くらいを街中に貼って回る必要がある。今回は、英会話スクールの月謝が高いだの、雇っているネイティブ・スピーカーはどんな素性なのかだのといった、彼女が答えに窮するような質問をされずに済んだ。
 たまに、「これ持っていきなさい」と、缶コーヒーやペットボトルのお茶を渡してくれるような店もあったが、今回は優しい褒め言葉だけでよしとしなければ、と思ってポスターの入った筒を背負った。ポスターとはいえ、まとまると相当の重さがある。その時だった。

「あなた、遠征費用が必要なんでしょ。うちの塾で働かない? ポスター、いまその筒に入っている分だけ貼っちゃったら、戻って来なさいよ。ちょうど、中学一年生の国語と英語のクラスを見てくれる学生講師を探していたところなの。あなた、できそうね。発掘に同行するために、こんなに苦労してるような人だから」

 その女性は、学習塾の経営者の妻にしては派手な服装で、言葉遣いもどちらかというとスナックのママのような話し方だった。それでも、この人についていくといいことがあるかもしれない、と七会は直感した。

「はい、来ます! ぜひこちらで働かせてください。国語と英語は得意なので、中学生レベルならどうにか教えられると思います。採用面接とか、受けるんでしょうか?」
「採用面接? ポスター貼りながら済ませたじゃない。今夜にはうちの人が戻ってくるから、明日午後六時に来られる? 手続き上一応履歴書は出してもらうけど……あなた、きっといい先生になると思うわ」

 心持ちによって、空気の味まで変わって感じられる。これで夏休みには福井に行って、日本全国の考古学研究者が注目する大規模発掘現場で自分も掘るのだ。七会は背中のポスターの重みも忘れて学生寮へと戻った。

 七会は塾というものに通ったことがなかった。それでも彼女が現役で国立大学に合格し、故郷を後にできたのには理由があった。両親は彼女を溺愛したが、独立した人間として普通に育てられた弟と違って、彼女はむしろ両親の想いを叶える道具のように扱われた。母親は、七会に趣味の習い事をさせたり、食べたいものを食べさせたりすることにはお金を使わず、そのくせいい服を着せて連れて歩いた。「私はぬいぐるみか?」と彼女は自問した。父親は、母親に隠れて七会を甘やかし、自営業なのをいいことに、わざわざ学校まで車で送って行ったりもした。そして必ず、「七会、嬉しいか?」と聞いた。
 父親が娘に優しくするのに、どうして自分の妻、娘の母親にこそこそしなければならないのか、なぜ自分の気持ちが娘に届いたかを執拗なほどに確認するのか、七会はそういった疑問から物理的に離れたかった。考古学で目の前のモノだけを手がかりに当時の暮らしを推測していく時間が好きだった。

 翌日、七会はたくさん持ってきたいい服の中から季節に合わせて白のワンピースを選び、発掘現場に都合のいいトレッキングシューズではなく黒のローファーを履いて、午後六時五分前に学習塾のドアを開けた。昨日話した副塾長はおらず、四十代と思われる男性が一人、カウンターで事務作業をしていた。

「あの、今度こちらで働かせていただくことになった者ですが……」
「ああ、副塾から聞いてますよ。考古学専攻の学生さんだね」
「はい、どうぞよろしくお願いします。こちら、履歴書です」
「ありがとう。副塾がずいぶん褒めてましたよ、あの子はいい先生になるって」
「フクジュク? それって、奥様のことですか?」
「ああ、そうだった。聞きなれない言葉だよね。フクジュクチョウは長いし、フクチョウだと軍隊みたいだ。だからフクジュク。奥様だなんて、何年振りに言われたかなあ……今日は履歴書をもらったら、あとは勤務希望曜日を聞いたり、お給料の説明をしたりするだけだ。スタートは時給千五百円、学生講師の相場的には少し安いかもしれないが、生徒の定着率がよければ時給はぐんぐん上がっていく。うちのトップ講師は、時給四千円でやっているよ」
「四千円……それはすごいですね。その方も学生なんですよね。ぜひお会いしてみたいです」
「見ていれば分かるよ。あの人だよって言われなくても、見ていれば分かる。生徒の食いつきが違うよ」
「専攻が考古学だと、モノだけを相手にするので、そういう世界は新鮮です」
「彼は教育学が専攻で、ここでやっていることが将来に直結しているような人だから、正反対の君とは気が合うんじゃないかな。そういや、今夜行きつけの焼肉屋でうちの塾のOB会のようなことをやるんだけど、君も来るといいよ。副塾も彼も来るから、ちょうどいい顔合わせになるよ」

*     *     *

 塾の授業は午後5時からだ。90分授業で、6時半までが1コマ目、6時40分から8時10分までが2コマ目、8時20分から9時50分が最後のコマで、学生講師は報告書を書いて大体10時15分くらいに退勤する。
 七会も顔合わせの食事会に出席することにしたものの、食事会はなんと夜の10時半からだった。塾長の車に彼女と二人の学生講師が乗り、店で昨日会った副塾とその他のメンバーが合流した。この中に時給四千円のトップ講師がいるのだ。見ていれば分かるといっても、今日は食事会で生徒はいない。緊張していることを悟られたくなくてメニューをめくっていると、副塾が店員を呼んだ。

「お久しぶりです。今日も天上セットでお願いします」
「天上セットを七名様でございますね。いつもありがとうございます。それでは、すぐにお持ちいたします」
「テンジョウ?」七会は思わず繰り返してしまった。

 僕が説明していいですか? と店で合流した一人の男性講師が話を横取りした。
「焼肉屋で、カルビとか上カルビとか肉のランクがあるでしょう。上カルビの上は特上カルビ、そのさらに上は極上カルビ。じゃあ一番上は何だと思う? メニューには載ってないけど」
「ひょっとしてそれが『天上カルビ』ですか?」
「さすが、その通り! 最後の晩餐で食べたいような肉だから、『天上』だよ。美味しいウォッカは度数が高くてもアルコールを感じさせず、唇で消えていくように感じる。それと同じように、天上のお肉はお腹にもたれず、味わったら胃に入らずに消えていくような感じだよ。まあ、副塾がいる時にしか食べられないんだけどね。君はラッキーだね。名前は? 僕は探夏、探している夏と書いて、タカ」
「七会です。七度会うと書いて、ナカ。中学一年生の国語と英語のクラスを担当する予定です。よろしくお願いします」
 生徒がいなくても、探夏がトップ講師だということは、すぐにわかった。

 天上セットの肉はトロの刺身のようで、網の上でほんの数十秒炙ると綿菓子のように少し小さくなり、口に入れるとお腹に入る前に消えていくようだった。スナックのママみたいに話しながら、メニューにない高級肉を学生に食べさせて話題を作り、多くの人を惹きつける副塾という人物に、七会は母親の対極を見た気がした。この人はきっと、私が来週やっぱり塾の講師は辞めますと言っても、一緒に美味しいお肉を食べられて楽しかったわ、と笑って送り出してくれるタイプの人なのだろうと思った。そんな彼女に、七会はその日はじめて話しかけられた。

「そういえば七会さん、あなたいいワンピース着てるわね。ポスター貼って回ってた時と大違い。あえてヒールじゃなくローファーを合わせてるのも好き。ローファーに白靴下って、高校生みたいに見えちゃうから実はコーデ難しいのよね」
 この人は休みなく話しながら、人のファッションどころか足元まできちんと観察している。
「私もそのスタイル、挑戦してみようかな。実はヒールって苦手なの。クッション貼ってもどうしても踵の部分があたって痛くて、出血してきちゃうのよね。男性陣分かるかしら、この部分ね」

 次の瞬間、七会は自分の目を疑った。副塾が履いていたヒールを脱いで、テーブルの上に乗せたからだ。白いテーブルクロスの上にはキムチやナムル、刻みニンニクの入った小瓶などが乗っている。彼女は自分が外を歩いてきた靴をテーブルの上に乗せ、「この部分があたって痛いのよね」と笑いながら説明している。細いヒールの先は七会が使っていたタレの小皿のすぐ横だ。すぐに下ろす様子もなく、夫である塾長を含め他の講師たちも、まるでハイヒールがカトラリーの一部であるかのように動ぜず、肉やサラダをつかんだ箸がヒールの周囲を行き来した。非常識とか不衛生とかいった感覚を通り越して、この人がすることはすべて別枠なのだろう、学生の採用も、頼むメニューもテーブルマナーも、と七会は理解した。

(第3話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:無伴奏独奏
https://note.com/sasakitory/n/n7341fd2ddcc3
 初デートの翌日は、探夏の部屋で過ごすことに〜
第12話:七会の願いごと
https://note.com/sasakitory/n/n254b7fe00a4f
 探夏の部屋で七会がした願いごととは?
第13話:猿のジントニック
https://note.com/sasakitory/n/n13f244d4740d
 七会と探夏が湯船の中で語り合う……
第14話:永遠の4日間+1
https://note.com/sasakitory/n/n30bcbb2e1c9b
 アキとユーリが湯船の中で語り合う……
第15話:点は、つなぐため
https://note.com/sasakitory/n/n3cbc4c4f4cc0
 七会が含まれる名簿が手に入った!
第16話:七会のすべて
https://note.com/sasakitory/n/n1cd5b133e858
 変奏曲を聴き、探夏は七会の全身を受け入れる
第17話【最終話】:未来の七会へ
https://note.com/sasakitory/n/na3cc00fcda74
 
七会の所在が分かり、アキは七会へ原稿を託す✨ 


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ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦 サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️