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オアハカの民族衣装の「伝統」について考えてみた― 布と人の手を見続けてきた私がたどり着いた「布の記憶」

― 20年、布と人の手を見続けてきて思うこと…

こんにちは、オアハカ在住のさるです。

私は専門家でも研究者でもありません。 けれど気づけば、20年近くオアハカのテキスタイルに触れ続けてきました。

博物館の展示を見るだけでなく、職人さんの工房へ20年間なんども足を運び、糸から織物が生まれる過程を見てきました。

なんでもない布に刺繍が施され、美しいテキスタイルへと変わっていく。その静かな時間のそばで、ただただ一緒に過ごしてきました。

この記事では、オアハカの民族衣装が単なる「昔から変わらない伝統」ではなく、どのように形を変えながら受け継がれてきたのかを、私自身の経験と私見をもとに整理していきます。

※これまで雑誌や書籍を通してテキスタイルに関わってきましたが、noteでは初めてこのテーマを深掘りして書いています。少し長いお話になりますので、よければ保存して、お茶でも飲みながらゆっくり読んでみてください。


プレ・イスパニコ時代から「服」はあったのか

まず、これははっきりしています。
服そのものは、スペイン人が来る前から存在していました。

代表的なのが huipil(ウィピル)です。
一枚の布を二つに折り、両脇を縫い、頭を通す穴を開ける。とても合理的で、昔からある腰織り(telar de cintura)とも相性のいい形です。

女性については、地域によっては上半身を覆わず、腰巻のみを身につけていた様子が、当時の挿絵や資料から読み取れます。
実際、オアハカの海岸地域では、比較的最近までそうした装いが見られ、私自身も現地で目にし驚いた記憶があります。
またイスモ地方(Istmo)についても、スペイン人到来以前は同様の装いだったと、現地の博学な人から聞いたことがあります。

こうした衣服の構造や装い方そのものは、プレ・イスパニコ時代から十分に理解できるものです。

ただし――
「今私たちが見る民族衣装と同じものが、そのまま存在していたか?」と聞かれると、答えは少し違ってきます。


刺繍・羊毛・織り機はどこから来たのか

多くの人が「伝統衣装」と聞いて思い浮かべる要素の多くは、実はスペイン人の到来(植民地期)以降に広まったものです。

  • カラフルな刺繍、クロスステッチ

  • ドロンワーク(布の糸を抜いて透かし模様を作る技法)

  • 羊毛(ひつじ)の布

  • 足踏み織り機(大きな木製の機織り機)

実際、「刺繍は教会の修道女から教わった」「彼女たちの作るものを見て真似した」という話は、現地でもよく耳にします。

刺繍のほか、ドロンワークなどの装飾技法も、教会や修道女からと聞く
クロスステッチ刺繍もある
小鳥や花、草木も図案に

一方で、花や小鳥などのモチーフそのものは、職人さんたちから「身近にあるものを写しただけ」と聞くことも多く、必ずしも外から持ち込まれたデザインだけではない、作り手自身の豊かな感性が息づいていると感じます。


アクセスの難しさが残した「織り」の文化

20年布を見てきて、気づいたことがあります。 それは、「アクセスの難しさ」が伝統の形を決めているのではないか、ということです。

例えば、オアハカ市から今でも遠い、コスタ地方の山岳部、チナンテコ地域、シエラノルテ地域やミステカ高地の一部などには、刺繍よりも「織り文様」が主役の衣装が多く残っています。

これらはスペイン式の織り機ではなく、昔ながらの「腰織り」で、気の遠くなるような時間をかけて模様を組み込んでいきます。

  • 刺繍のように見えるけれど、実は「織り」で模様を入れている

  • 後から縫い足すのではなく、織りながら糸を組み込む「ブロッケアード(浮き織り)」という技法

ちょっとみただけでは、刺繍か織りかわからない事も
ブロッケアード裏。糸を織り込んでいます

植民地期、外部との接触が限定的だった地域ほど、こうした「刺繍が広まる前の古い形」が色濃く残ったのではないか。私はそう考えるようになりました。


「村を見分けるためのユニフォーム」説について

オアハカのテキスタイルに詳しい方から、「スペイン人が各村の人々を見分けるために、着衣デザインをユニフォーム的に割り振った」という説を聞いた、という友人に会ったことがあります。

なるほど!!!と思いました。
植民地期の状況を考えると、とても納得のいく見方です。

ただ同時に、「それだけで説明できるのだろうか?」という感覚も残りました。

というのも、現在でも各地域の民族衣装が、人々のアイデンティティの重要な一部となっていることを考えると、その起源をスペイン人による統治の名残だけで捉えるのは、どうしても腑に落ちなかったからです。

植民地期には、

・税の徴収
・労働の管理
・身分の可視化

のために、「誰がどこから来たか分かる服」が求められたのは事実でしょう。

一方で、私自身が現地で布や作り手を見てきた感覚では、民族衣装はゼロから新しく作られたものというよりも、すでに存在していた要素を「整理し、固定していった」ものに近いように感じられます。

現在の民族衣装は、

・先住民の織りの伝統
・スペイン支配下の管理
・教会文化
・その後の地域の誇り

こうしたものが、何層にも重なった結果なのだと思っています。


ゲラゲッツァの衣装は「昔の姿」なのか?

正直に書きます。

ゲラゲッツァで見る衣装は、100%昔の姿ではありません。

でも、偽物でもない。

あれは日常着ではなく、
儀礼・象徴として再構成された衣装です。

20世紀に入ってから、「地域を代表する姿」として整理され、強調されてきました。

今はYouTubeで、1950〜60年代のゲラゲッツァの映像も簡単に見られます。
それらを見ると、今より派手なものもあれば、ずっと地味なものもあり、「あ、今と違うな」と感じる衣装も少なくありません。

つまり、ゲラゲッツァの衣装もまた、
時代とともに変化し続けてきた のだと思います。


20年、布を見てきて思うこと

私は学位も肩書きもありません。

ただ、

  • 流れるように刺されていく刺繍の手つき

  • 無言で続く、腰織り(telar de cintura)の時間

  • カタン、カタンと響く、足踏み織り機のリズム

  • 祭りで「着られた瞬間」に変わる衣装の存在感

  • 作り手さんと関わってきた、時間の積み重ね

そうしたものを見て、感じて、ときには一緒に仕事をしながら、オアハカのテキスタイルと関わってきました。

だから今は、

「これは昔からあった」「これは後から来た」

という二択ではなく、

「どう変わりながら続いてきたのか」

という視点で、オアハカのテキスタイルを考えるようになりました。

オアハカの民族衣装は、
固定された“伝統”ではなく、
ずっと更新され続けてきた 布の記憶 なのだと思います。


おわりに

もしあなたがオアハカの衣装を見て、

  • なんでこんなに違うんだろう

  • どこまでが先住民文化なんだろう

  • 観光向けなんじゃないの?

と感じたことがあるなら、その違和感はとても大事です。

テキスタイルが好きなら、ぜひその裏側を追いかけてみてください。
布に、もっと愛着が湧いてくると思います。

布は、正直です。
長く触れていると、ちゃんと語りかけてきます。

オアハカの民族衣装は、「守られてきた伝統」と同じく
「時代によって変化した布の記憶」なのだと思います。


※本記事は、オアハカ在住で長年職人さんの手仕事に関わってきた筆者自身の体験と、現地資料をもとに構成しています。引用・紹介の際は、必ず 出典(筆者名・記事URL) を明記してください。

そして「さる。オアハカの人」の記事を初めて読んだ方へ。
なぜ私がこのテーマを書いているのかをまとめた、固定記事の自己紹介noteも、あわせて読んでいただけると嬉しいです。


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