それはアレブリヘスではない──映画『リメンバー・ミー』で問い直された呼び名|オアハカの木と私の記憶
こんにちは。
オアハカ在住のさるです。
この記事では、ネット検索ですぐに出てくる情報ではなく、この地で長く過ごす中で私自身が見てきたこと、感じてきた違和感を、私目線のオアハカ・ストーリーとして記録します。
最近、オアハカの木彫りを『アレブリヘス』として、ネット情報をまとめただけの紹介記事をよく見かけます。
どうしても見過ごせない違和感があり、この記事を書くことにしました。
今回は、日本でも人気が高く、映画『リメンバー・ミー』の公開以降、世界的に知られるようになった、オアハカの木彫りについて。
現地で20年、生産者と関わりながら「変化の当事者」として見てきた、木彫りとその呼び名をめぐる話です。
オアハカで、木彫りと出会った頃
2005年、語学留学で初めてオアハカを訪れました。
当時すでに、日本でもオアハカの民芸品を扱うプロの方々も多く、いくつかの分野はよく知られていました。
焼き物
羊毛ラグ
腰織り
アレブリヘス(木彫り)
その頃は、民芸品メインでの訪問でもなく
「メキシコ大好き!」という気持ちで旅していました。
そんな時期に、私の心をわしづかみにしたのが、カラフルな木彫りでした。

「アレブリヘス」と呼ばれていた木彫り
20年ほど前、オアハカの木彫りは、一般的に「アレブリヘス」と呼ばれていました。
ですが本来、アレブリヘスとは、メキシコシティで生まれた紙製の張り子の作品です。名づけ親は作者のペドロ・リナレス氏。

この点については、すでに多くの資料や記事があるため、ここでは詳しい説明は省きます。
概要はウィキペディアなどでも確認できますし、オアハカのさるツアーでは、現地の視点からもう少し踏み込んでご説明しています。
アレブリヘスという呼び名が定着する前、
オアハカの木彫りの生みの親とも呼ばれているマヌエル・ヒメネス氏は、実在しない色をした動物の木彫りを「アニマル・ファンタスティコ」と呼んでいました。
一方で、一部の職人さんは「Talla de madera(木彫り)」と呼んでいたケースも少なくありません。
名前の由来を理解した上で「自分の作品」としてこのような呼び方をする職人さんもいれば、お土産屋さんなどではアレブリヘスと呼ぶ。
そんな混在した状況だったと記憶しています。
正直、民芸品の仕事に関わっていなければ、私自身も今でも「アレブリヘス」と呼んでいたと思います。
実際、以前運営していたネットショップでは、「木彫りアレブリヘス」など、便宜的な呼び方を使っていました。
映画がもたらした決定的な変化
こうして定着していた呼び名を、改めて見直すきっかけになったのが、映画『リメンバー・ミー』でした。
映画のリメイク版の紹介などで、オアハカの木彫りが「アレブリヘス」として描かれたことで、本家から「それは違うのではないか」という声が上がります。
私自身も、その指摘はもっともだと感じました。
幸運にも、Facebookを通じて、アレブリヘスの生みの親であるリナレス一家の一員である、レオナルド・リナレス氏とビデオ通話で直接話す機会を得ました。
彼の言葉から伝わってきたのは、
「自分たちのオリジナルが、別の土地の民芸品の呼び名として消費されていることへの悔しさ」
でした。
なぜ、こんな誤解が世界規模で広がったのか。
誰かが悪意を持って広めた、という話ではないと思います。
ペドロ・リナレス氏の張り子作品と、
オアハカ木彫りの祖とされるマヌエル・ヒメネス氏の作品。
この二つは同時期に存在し、アメリカで「メキシコのアート・クラフト」として紹介されました。
多くのクラフト愛好家に支持され、やがて一般の旅行者にも広まっていきます。
その過程で、いつの間にか意味がすり替わっていったのではないか、と私は感じています。

見た目が似ている?だから両方アレブリヘス的な?
もともと素朴だったオアハカの木彫りは、
「色をつけたら?」
「模様を描いたら素敵じゃない?」
「もっと想像上の動物を作ってみては?」
そんな外からの要望を受け、次第に「アレブリヘス的な木彫り」へと姿を変えていったと聞いています。
そして、世界的にオアハカの木彫りも「アレブリヘス」として知られていきました。
さて、今回の話で欠かせないのが、
映画制作陣の現地アテンダントを務めた工房
Taller de Jacobo y María Ángeles(ハコボ&マリア・アンヘレス工房)です。
彼らの工房では、サポテコ文化の遺跡に残る記号や文様から着想を得た「サポテコ柄」をメインに制作しています。
手仕事に自分たちのルーツを取り込む作品作りが特徴です。
私がこの話を具体的に書けるのには理由があります。
弊社は、映画で世界的に知られる以前から、彼らと長く取引を続けてきました。2007年、偶然立ち寄ったショップで紹介されたのが始まりです。
その後、日本での展示イベントなどを通して交流を重ね、今もなお、家族のような距離感で付き合いが続いています。
だからこそ、外から見ただけではわからない変化も、私はすぐそばで見てきました。

サポテコ柄の拡散とコピー
映画公開後、メイキング映像が広まるにつれ、彼らの工房を象徴していた「サポテコ柄」は、一気に市場全体へと広がっていきます。


彼らがそのオリジナルだと言える理由は明確です。
私が民芸品に関わり始めた2006年頃、各工房はそれぞれ独自の個性を持っており、サポテコ柄を手がける工房は他に見当たらなかったからです。
昔の木彫り写真の一例。




2008年発行の『フィガロ ヴォヤージュ』で工房を取材した際、
「この柄は市内では販売しないのですか?」と尋ねたことがあります。
そのとき返ってきた答えは、短いものでした。
「真似されるからね」
メキシコは、良くも悪くもコピーが広がりやすい土壌があります。
サポテコ文化をアートとして表現していた唯一無二の彼らの作風は、映画をきっかけに、一気に市場へと拡散していきました。
いま市場に並ぶ無数の「サポテコ柄」を、最初にどこで見たかを知っている身としては、正直、複雑な気持ちになります。
決定的に!私が彼らを信頼し続けている理由があります。
彼らの作品をコピーする人はいても、
彼らが誰かの作品をコピーすることはない。
その姿勢こそが、私が長く取引を続けてきた理由です。
呼び名の混乱と、これから
映画公開後、各機関で「メキシコシティのアレブリヘスと、オアハカの木彫りの違い」を説明する講座が、何度か開かれました。
写真は、オアハカでの開催に参加した時のものです。



「張り子の作品が全部アレブリヘスではない。
アレブリヘスと呼べるのは、私たちのファミリーが作ったものだけ。
ブランド・アートなんだ」
その名称は、すでに商標登録されており、ブランドとして保護されています。
一方オアハカでは、「トナ と ナワル」といった、サポテコ文化に基づく呼び名を使おうという動きも生まれました。
ただ、あのキャッチーな名前が、簡単に消えるはずもありません。
今でも複数の呼び名が混在し、情報の多さが、混乱を招いていると感じます。
いま「アレブリヘス」と検索すると、AIでさえも「オアハカの木彫り」と説明します。
さらに、張り子のオリジナル・アレブリヘスを購入した人が、「木彫りだと思っていたら、ニスを塗られた軽いプラスチック製のものが届いた」と書いているのを目にしました。 これは、誰か一人の勘違いではなく、大きな誤解が積み重なった結果なのだと感じています。
現在でも、この混乱は大きく訂正されることのないまま、半ば「常識」として流通し続けています。
失われていく個性を見つめて
長く暮らす中で、かつて「自分たちだけのスタイル」を持っていた職人たちが、「世界中から注文が来るから」という理由で、サポテコ柄へ舵を切っていく姿も見てきました。
無名の職人さんも、代々続く名のある職人さんも。
今は、どこもかしこも「サポテコ柄」
これも時代の流れなのかもしれません。
それでも、自分のスタイルを貫いている職人さんがいるのが救い。
人々がもてはやした情報の裏側で、職人たちが何を失い、何を選んできたのか。
そうした背景も、知ってほしいと思っています。
だからこそ、こうした自分が見てきた20年分の記録を書き続けています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
私はオアハカで暮らしながら、祭りや文化、人との距離感について考え、書いています。
正解を出すというより、「立ち止まって考えるための視点」を残すことが多いかもです。
もし、オアハカを「現地の目線」で読むことが楽しいと感じたら、フォローしていただけたら嬉しいです。
※本記事は、オアハカ在住で長年職人さんの手仕事に関わってきた筆者自身の体験と、現地資料をもとに構成しています。引用・紹介の際は、必ず 出典(筆者名・記事URL) を明記してください。
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