「朝活」の放棄で気づく本来の幸福|グレングールドと二度寝の哲学
休みの日、朝起きて顔を洗って目を覚まし、着替えも済ませてコーヒーを飲みながら音楽を聴く。しかし平日の疲れが溜まっているからか、再び眠くなってしまい二度寝をしてしまうことがよくある。
そうして眠りにつく前は、いわゆる「うたた寝」といった状態で深い眠りには入らずに意識も残った状態だ。流していた音楽も停止せずに横になってしまうので、そのまま音楽は流れ続けて眠りに落ちながらも耳に入ってくる。
朝はクラシックを聞いているので、うたた寝をしている意識のもとにピアノのメロディーが耳に入ってくる。グレングールドかウラジミール・アシュケナージを聞いていることが多い。
本当は早起きをしてやるべきことを済ませ、有意義な休日を過ごそうと思っていたにも関わらず、こうして貴重な時間が溶ける様になくなってしまう。この時間を使って運動をしたり、勉強をしたり、家事を片付けたり、有意義な時間を過ごせた可能性はいくらでもあったはずだ。
しかし、この二度寝寸前の意識下でグレングールドを聞いている状態が僕はとても好きで幸福感が物凄く高い。至高の芸術に身をうずめながら、身体を休めて眠りにつけるのは心地良いこと極まりない。
「朝活」という言葉がすっかり定着している様に、早起きをして運動や勉強に勤しむと生産性が高まる傾向がある。僕も朝の時間は集中力が高いので、この時間を活用して語学学習をしていたこともあるし、ここ数年は朝の時間を活用してこのnoteを書いている。読書をするにも集中力が高まっている朝の時間が適しているように思う。
これら「朝活」のチャンスをグレングールドを聞きながら二度寝をして失ってしまったわけだが、これだけ幸福感が高いとそこまで損をした気持ちにならなかった。
そもそも何に損失を感じていたのだろうと気づいたほどで、朝の静かな時間すらも「朝活」と称して生産性を高めるように生きていたことに少し違和感を感じてしまった。もちろん、短い人生を生きる身としては時間を無駄にすることはできる限り避けたいと思っている。
しかし、あまりにも生産性を高めて時間を有効活用することばかりに囚われていると、それはそれで幸福を感じる瞬間さえも掴み損ねてしまう。
オリヴァー・サックスの『音楽嗜好症』には、音楽には生産性で説明ができない不思議な魅力が備わっており、多くの人々の人生を左右してきたことがわかる。確かにそうなのかもしれない。
レオナルド・ダ・ヴィンチもパトロンである貴族から求められている納期までに絵を完成させることは滅多になく、いつも完成まで貴族たちを待たせていた。優れた芸術を生み出すクリエイティビティを発揮するには退屈な時間が必要だと言っていたらしい。
「効率化」「生産的な人生」「目標管理」「自己実現」いつもこういった言葉に追われるように生きているのだとしたら、美しい音楽に身を委ね、思いっきりダラダラと二度寝をしてみることをおすすめする。
肩の荷が降り、人生において本当に必要なことが少しだけわかるかもしれない。
