いつから音楽を聴かなくなったのか
いつからか、あまり音楽を聴かなくなってしまった。寂しいものだと思う。
会社員は基本的に日々成長を続けなければならず、休みの日にも仕事のことを考え、隙間時間に調べものをして電車のなかではビジネス書を読んでいる。
僕が勉強家だということではない。生き残りたいからなのかわからないが、学びにならないものに時間を掛けていられないという切迫感があるのかもしれない。
だから、音楽を聴くことはそんな社会で暮らすこととあまり相性が良くなく、学生の頃のように音楽を聴かなくなってしまったのだと思う。
音楽を聴くと高揚感を得ることができ、メンタルへの影響が強く出てくる。日頃は理屈でものを言えるように仕事をしているが(感情的に仕事をしても大抵はうまくいかないからだ)そんな理屈っぽい考え方を超えて、音楽は心に直接訴えてくる。
そうすると、気持ちは童心に帰るように純粋になり、自分の本心に忠実になってくるのだ。
例えば、先日BruceSpringstteenの「Sherry Darling」という曲を聴いていたところ、とても青臭くて開放的な気持ちになってしまった。
この曲は70年代にアメリカで人気となった曲で、抑圧的な家庭から解放されて恋人と自由に過ごしたい気持ちを、スプリングスティーンが軽快な演奏に載せて歌い上げている。
昔から人々は古いしきたりに縛られることよりも、愛と自由を求めて人生を謳歌しようとしていた。やはり人間は自由を求めるものなのだ。
しかし、こんな考え方に魅せられた状態で現代の日本企業で働けるわけがない。企業の存在意義は利益を上げて顧客を満足させながら社会に価値を提供することだ。
その企業のなかで会社員たちは社内で交渉を続けて出世の座を奪い合わなければならず、愛と自由を謳歌している暇などこれっぽっちもない。
そして音楽を聴くことで会社員として役立つスキルが何か身に付くかというと、何も身に付かない。最悪の場合、酒を飲みながら音楽に酔いしれて、記憶さえなくなっているかもしれない。
だからせいぜいがリラックスとして音楽を聴くだけに終始してしまう。サブスクの登場で聞くことができる音楽は無限に増えたにも関わらず、その音楽を聴いている場合ではない、何とも皮肉な状況なのだ。
僕は学生の頃に音楽に心酔するあまり、ちゃんと勉強をせずに大学を卒業してしまった。その後悔を取り戻すべく卒業後はたくさん本を読むようにしたが、今でも「あの時もっと勉強しておけば」という気持ちがなくなることはない。本来は社会で活躍できる知識やスキルを身に付けられる時期に、音楽のことばかりに時間を費やしてしまったのだ。
そんなモヤモヤを抱えながら、ふと昔読んだ本のことを思い出した。カート・ヴォネガットのエッセイ『国のない男』だ。
このなかで、ヴォネガットは「音楽がない人生より音楽のある人生のほうが楽しいに決まっている」といったことを書いている。
確かにその通りだと思う。仕事ばかりしていると、こういうシンプルな考えができなくなってくるのかもしれない。
もう少し気楽に考えてみようと思う。やっぱり音楽のある人生の方が楽しい。
