泣かせようとしてくる文章じゃなくていいの
人前で泣くのが苦手だ。
手を叩きながら大口開けて笑うより、一粒の涙を流す方が恥ずかしいと感じてしまう。客観的な自分はその逆だとは知っていても、私の中で羞恥心が強いのは涙の方。
だから、自分の結婚式でも親への手紙は読まない、絶対読まない、渡すけど読みあげない。そう頑なに言い張った。
親戚のおばちゃんからは「結婚式はお手紙がクライマックスでそこを楽しみにしてるのに、なんで読まなかったのよ」と文句を言われたが、手紙を読みあげなくても泣いてたんだから別にいいだろう。
とにかくあのしめっとした音楽に合わせて「今から泣かせに行きますよ」な雰囲気が本当に苦手なのである。
こちらから"泣き"を迎えに行くのはいい。でも無理やり泣かせにこられるのが苦手なんだ。涙をカツアゲされている気分になる。私の涙は宝石に変わらないからそんなことしなくていいのに。
先日、長男の5年生最後の参観日に出かけた。1年間がんばったことをそれぞれのグループで発表するという。
体育をがんばったグループ、国語をがんばったグループ、算数をがんばったグループと順番に発表していき、息子の出番もそれなりにニコニコハラハラしながら見終えた。あーよかった。それにしても大きくなったな。発表中ずっと服のチャックを開け閉め開け閉めしていたのが気になったけど、緊張してたんだろうなフフフ。とニヤけながら、無事終わりそうな雰囲気を感じていた。
最後に司会の子が前に出たあたりから空気は一変する。
「これから、ひまわりの約束を歌います。なぜこの歌を選んだのか、想いを伝えます。このクラスは、ひまわりの約束の歌ように仲良く支え合ってきたからです。そして、ひまわりは太陽の方を向いて咲きます。このクラスも、明るく、光の方へ向いていけるようにという想いで歌います。聞いてください。」
🎵〜どうして 君が泣くの まだ僕も泣いていないのに
もぉぉぉぉぉ
ひまわりの約束とか、園児の歌うbeliveとか、卒業式の旅立ちの日にとか。心を固くガードしててもしゅんでくるメロディはやめなさいってあれほどおぉぉダバババ
その後の保護者懇談会では「来年は卒業式……ついに最高学年……修学旅行は一生の思い出……そのつもりで……」などと、次々に渾身のストレートを胸の奥底に投げつけてくる教師陣。最新のバッティングセンターなのかな。大谷翔平ばりのストレートで、ひまわりの約束でしゅんだ心をビリビリに揺さぶってくる。
「来年一年間、ことごとく泣かせに行くからそのつもりで。」
世の中には「人を泣かせにいくためのモノ」が存在している。音楽は早ければ最初のワンフレーズ、映画ならクライマックス、卒業式、結婚式のお手紙、そして文章。
その中でも文章は、誰にも見せずにひとりでそっと涙を流す自由がある。泣かない自由がある。クライマックスで皆同時に泣かなくていいし、1ページ目から泣いてもいい。
作者だけ泣いててもいい。
読者だけ泣いててもいい。
プロに計算された泣ける文章じゃなくて、名もなき誰かの文章でふいに泣いちゃったことが何度もある。
泣きながらnoteを書いたことがある人は「これから読者を泣かせてやろう」なんて思ってなかったはずだ。そんな器用さも余裕も無い、編集されてない剥き出しの文章。画面の奥から文字が滲んでくるような作品。
そんな文章に何度も出会ったし、私も書いてきた。
よく書いた、向き合った、よく出した、がんばった、ありがとう読ませてくれてぇぇぇぇダババババ
私はこれからも泣きながら書き続ける。
泣きながら書いたんだろうな、という文章を読み続ける。泣いたことを隠してコメントする日も、無言でシェアする日もある。プロじゃない人の剥き出しの文章にひとりでこっそり泣きたい。そこ笑うところだけど?ってところで泣くこともあるし、書けなくて泣く日もある。
でもその涙はカツアゲされた涙じゃない。
私が流したくて流した涙だ。
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