「私の夢は年をとっていない」
普段、きちんとしたnote感想文は書かないのだけれど、どうしても書きたくて、書いてしまいます。
PONO@こもりびとさんの短編、「It’ a piece of cake.」。
出だしから引き込まれました。
誰にだって突然起こる可能性。
あの、モヤモヤとザワザワが混じっているのに、世界から音がなくなるようなあの感覚。
それを一行で表現されている筆力は相変わずだと簡単しました。
読んでいて、なぎは子供の頃を振り返ります。
幼い頃から体が弱くて、小学校をよく休んでいました。
体育も見学ばかりで、休んでいた時に他の子がやっていたテストを、誰もいない教室でひとり、解いていたり……
授業も遅れがちで、好きだった社会と国語以外点数は取れません。
算数と理科がどうしても苦手で、
「そんなこともできないの?」
と、同級生から哀れみと嘲りの色の混じった声をかけられました🥲︎
50m走でタイム15秒。
音楽は歌うのは好きだったけれど楽器はなにをやらせても駄目。
水泳も苦手です。。そもそも顔を水につけられないのでした。
学校で人気のあるのは、運動も勉強もできる明るい子たち。
私のようなはぐれ者に居場所などないと思っていました。
お母さんとおじさんたちは、普通のことが普通にできない」なぎに苛立ったり戸惑ったり。
おばあちゃんはなぎの味方であったけれど、それは過保護に甘やかすだけで、本当の救いにはならなかったのです。
中学生になったら、少しだけ体が丈夫になりました。
クラスには上手く溶け込めなくて。
どういう訳なのか、目立つ女子、今なら「一軍女子」とでも言うのでしょうか? そういう女の子に目をつけられ、無視をされたり、学級委員を無理やりさせられたりしました。
なぎはクラスに馴染むことを諦めて、部活動に集中したのだが、そういう態度も彼女たちを苛立たせてしまうようです。
どうしてなぎは、みんなが「普通にできること」ができないんだろう。
小学生のときからの悩みは変わらないまま。
「なぎの普通」は「みんなの普通」じゃない。
情けなくて、だけど逃げ場もなくて、私は「いじめ」られていることを家族にも言えなかった。
もともと内向的で本ばかり読んでいたが、それが加速しました。
「この世界から私を連れ出して」
本の世界に逃げたんです。
ありがたいことに、お母さんは本ならどんなジャンルも、マンガでもなんでも買ってくれる。
現実世界で、「あなたはあなたでいいんだよ?」 そう言ってくれた数人の友達を無視して、本ばかり読んでいました。
そうやって「無視をされる」ということから目を背けてきましたが、中学2年の6月、「一軍女子」に呼び出されて、二時間近くも責められるという事件が起きたのでした。
「なんでそんなに偉そうにしてんのよ」
「無視しやがって」
無視をしているのはそっちでは……、と思ったが口に出せません。
360度、なぎの味方はいなかった。
なにが悪かったんだろう?
「一軍女子」に無視されたときに、媚びを売ればよかったのだろうか?
あの子や、あの子や、あの子のように。
殴られたり蹴られたりはしませんでした。肩を掴まれて揺さぶられるくらい。
でもなぎの心はズタボロに傷つけられ、血まみれで瀕死の状態だったのです。
最終バスに乗り込んで、どうにかして家に帰ったのでしょう。
記憶は、ありません。
気がつけば自分の部屋で、呆然と天井を眺めていました。
「なんの価値もない」
13歳の私は、これからの未来を考えることはもう無理だと判断してしまいました。
よくないことに、その頃おばあちゃんは不眠症で睡眠薬を処方されれていました。
昭和の時代はとても強い薬を長期間、簡単に出してくれていたのです。
……なぎは、その置き場所を知っていたんです。
着たままのセーラー服から、柔らかいコットンのワンピースに着替えました。
時間は12時を回っています。
祖母はちょうどお風呂に入っていました。
「おばあちゃん」
そっと声をかけます。
「起きたの? 熱があるんじゃない?」
風呂場で少しエコーのかかった声が届きます。
「大丈夫」
「おばあちゃん、風呂から上がろうか? 今入ったばかりだけど……」
「ううん、ゆっくり入っていて」
「ごはん、冷蔵庫にあるからね。食べて薬を飲むんだよ」
欲しい情報を得てなぎはその場を離れました。
お風呂に入ったばかりなら、30分は余裕があります。
おばあちゃんの部屋の古い水屋、余った薬を保管している棚を開きました。
水色の薬を取り出します。
60錠くらいあったのでしょうか?
毎回、病院にいくときに処方して貰っていたようですが、飲まないときもあったんです。
なぎはその薬の束と、大きなコップと水差しに水をたっぷり入れて、部屋に戻りました。
コップの水を口に含み、一粒一粒、口に入れる。
小さな粒のクセに、薬はなかなか飲み込めなかった。
味は不思議に感じません。
「誰とも分かり合えない、無意味ななぎ」
早くこの世界から消したかった。
薬と水でお腹がいっぱいになった頃、意識は緩やかに沈んでいきました。
もう、目覚めなくてもいいんだ。
安堵が頭の隅に浮かんだように思うが、定かではありません。
目が覚めたのは、2日後でした。
救急病院の個室の白い壁が目に入ります。
枕元には、目を赤くした祖母と、なぜか学年主任が立っていました。
ああ、なぎな担任にも嫌われていたなと思い返します。
「一軍女子」の言い分だけを信じて、怒られたことは数しれません。
体罰も、ありました。
学年主任は私が目覚めたことに気がつくと、くしゃりと笑われます。
なぎも自然と笑い返しました。
それから大人たちは色々な話をしたようでした。
なぎの心は壊れていたし、また、もともと弱かった体はそれに引きづられて普通の生活は送れなくなりました。
学校に通うことができなくなりました。
「いじめ」
これは見えないところであったかもしれません。
「不登校」
小さな町の中学校では、はじめての事態だったのです。
担任を頑なにに拒んだなぎを、校長先生や教頭先生、学年主任が繰り返し訪れます。
優しい声で優しい言葉をかけてくれました。
どうにか冬には退院すると、「お見舞いに行きたい」と言っている子が数人いると知らされました。
特別仲がいいと思ったことのない同級生が、控えめな様子でなぎの部屋に何回も遊びに来てくれました。
なぎはそのまま中学3年生になり、5月から図書室登校することが決まります。
担任も、同級生すら、なぎ基準で選ばれたのに、どうしても教室に行けなかった。
保健室でなかったのは、その頃校舎の建て替え中で、別棟にあった図書館は残っていたが、保健室がなかったからです。
毎日、新しい校舎が建てられるうるさい音を聞きながら司書の先生の手伝いをしていました。
それまで「司書」という職業があることさえ知りませんでしたが、先生は丁寧に教えてくださいました。
司書の仕事は思った以上に多岐にわたり、のんびりというイメージは覆されたのですが、こうして本に囲まれて仕事をするのは、幸せかも知れない。
諦めていた高校進学を今からでも挑戦できるだろうかと、先生に相談をした。
「もちろん!」
司書の先生はすぐに担任や学年主任、校長先生にまでなぎの言葉を伝えたようで、校長室に呼ばれて、抱きしめんばかりに感激されたのでした。
なぜかずっと見守ってくれた同級生にも、
「よかった、本当によかった」
と涙ぐまれました。
こうして、なぎはは新しい夢に向かっていったのでした。
PONOさんのnoteを読んで、私はこの出来事を色鮮やかに思い出しました。
そう、夢や希望に溢れていたのです。
この数ヶ月後、私は再び今の持病と同じ病気のため、入院することになりました。
受験どころではなくなります。
生命が脅かされたなぎは、入院をしたまま中学を卒業して、退院後も自宅療養を数年続けたのでした。
何も夢は持てないと思いました。
夢を見ても仕方ないと。
だが、noteの片隅でひっそりと文章を書き続けたなぎにも新しい「夢」が舞い降りたのです。
文章を書き続けたい。
私と同じような痛みを持つ人たちと繋がりたい。
そして、友達の夢を応援し続けたい。
私の夢は
年をとっていない
思い通りの人生など、ないのかもしれません。
それでも人は夢を、希望を、求めるのだとおもうんです。
私はその「光」を追っていきたい。
PONOさん、感想文とは言えない自分語りになってしまい、申し訳ございません。
でも、「元気玉」、私にも届いています。
本当にありがとうございます!
