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23年ぶりのラオス再訪記 #2|ガイヤーンを追うのは、もう終わり。米兵たちが愛した街、ウドンターニーの深層へ

ウドンターニー空港に降り立つ。
ここは私にとって、今回で3度目となる馴染み深い場所だ。10年前、そして6年前。かつてひとり旅で訪れた際は、空港から市内へ向かう「乗り合いバン」が旅の定番だった。

今回も当然のようにそのバンを探したが、どこにも見当たらない。案内所のスタッフに尋ねると、どうやら現在は運行していないという。
「タクシーで行くしかないよ」
時代の移り変わりなのか、それとも運営の事情か。かつての旅のスタイルが一つ消えたことに一抹の寂しさを感じながら、案内されたタクシーに乗り込んだ。2人で200バーツ。バンに比べれば割高だが、専用車ならではの静かな移動が始まる。


消えた乗り合いバンの代わりに、今はタクシーが街への足。200バーツで始まる3度目の再訪。


タクシーの窓の外を流れるのは、どこまでも平坦で、驚くほど「変わらない」ウドンターニーの街並みだ。
目まぐるしくスカイラインが書き換えられていくバンコクとは対照的に、ここは時間が止まっているかのような錯覚に陥る。しかし、それがいい。

しばらく走ると、ホテルの近くにある巨大なショッピングモール「セントラル」の姿が視界に入ってきた。
近代的なその建物が見えた瞬間、不思議と「あぁ、6年ぶりに帰ってきたんだな」という温かな郷愁が込み上げてきた。

今夜の宿は、前回も泊まったお気に入りの「オールド・イン(The Old Inn)」。
重い荷物を下ろし、心地よい疲れの中で一息つく。ここから、私の3度目のウドンターニー探索が本格的に幕を開ける。

6年前の記憶をそのまま迎えてくれる「オールド・イン」。ウドンターニーに戻ってきた実感をくれる。


今回のテーマは、過去2回とは全く違う。
かつて夢中で追いかけたガイヤーンやソムタムといった「王道イサーン料理」を、今回はあえて封印するつもりだ。

なぜ、私はこの街で「異国の影」を探そうとしているのか。
そこには、ウドンターニーという街が辿ってきた、複雑で数奇な歴史の物語がある。

歴史の交差点、ウドンターニー
なぜ、私は今回「イサーン料理」を封印し、異国の影を追うのか。
それは、この街が辿ってきた数奇な運命が、私の好奇心を捉えて離さないからだ。

かつて19世紀末、タイ(当時はシャム)はメコン川を挟んでフランスの軍事的脅威にさらされていた。メコン川の対岸であるラオスがフランス領となった際、このウドンターニーはまさに国防の最前線として誕生した街なのだ。今も街の中心に立つプラジャック大王の像は、フランスの圧力に対抗すべくこの街を設営した軍事拠点としての記憶を今に伝えている。

時代が下り、1960年代。ベトナム戦争が激化すると、ウドンターニーは再び歴史の表舞台に立つ。
ここに巨大な米軍空軍基地が建設されたのだ。街には星条旗が揺れ、英語の看板が並び、最盛期には数万人の米兵が闊歩したという。当時、地方の一都市に過ぎなかったこの場所は、アメリカという巨大な資本と文化が直接流れ込む、タイの中でも特異な熱狂を帯びた街へと変貌した。


インダストリアルな内装は、かつて米兵たちが休息したこの街の「アメリカンな記憶」を今に伝えている。


さらに、歴史の波は隣国からも押し寄せた。
ベトナム戦争の終結、そしてラオスの政変。戦火を逃れた多くのラオス人やベトナム難民が、メコンを渡りこの街へと流れ着いた。彼らが持ち込んだのは、生き抜くための知恵と、故郷の味だった。

フランスの統治を受けたラオスやベトナム。
その彼らが持ち込んだ食文化が、米兵たちの舌を満足させるために持ち込まれた西洋の文化、そして土着のイサーン文化とこの街で出会い、ゆっくりと、だが確実に混ざり合っていった。

フランスパンの香ばしさ、ベトナムの繊細なハーブ、アメリカの影響を感じさせるモダンなカフェスタイル、そしてラオスの素朴な味わい。
ウドンターニーは、単なるタイの地方都市ではない。
幾多の政治と歴史の荒波に揉まれながら、それらすべてを胃袋に収めて独自の形へと昇華させた「多国籍グルメの交差点」なのだ。

ホテルで一息ついた私は、そんな歴史のパズルを一つずつ解き明かすべく、最初の「一皿」を求めて夜の街へと繰り出した。

★ 最後まで読んでいただきありがとうございます。

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