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右と左から考えた「空」と「苦」

はじめに

今回のnoteは、仏教全体を説明するものではありません。

龍源さんの話を聞いて、私がどう受け取ったかを整理した文章として読んでもらえると嬉しいです。

では、本編に入ろうと思います。

中道という言葉のイメージ

COTEN RADIOの仏教哲学回を聞いていて、「中道」という言葉の解説に強く引っかかりました。

「中道」と聞くと、どちらにも偏らない、ほどほどのバランスを取る話のように理解していたからです。

右へ行きすぎたら左へ戻る。
左へ偏ったら右に戻って中央に近づける。

私は「中道」という言葉に対して、そのようなイメージをしていましたが、龍源さんの説明は全く違いました。

龍源さんが解説してくれた「中道」は、右と左の間にある中間地点ではなく、右と左がどう成り立っているのか、その関係性を見る道ということでした。

右は、右だけでは右になれない

龍源さんの「中道」の説明を私なりに整理してみます。

まず、何が右で何が左かを決めるには、基準や対比する対象が必要です。

「右」という概念は「右」単独では成立せず、「左」と対比することで成り立ちます。
左も同じで、「左」という概念は「右」と対比することで成り立ちます。

つまり、右も左も「単独では意味を完結させられない」ということです。

これはすべての物事に対して言え、基準や対比する対象があって、初めて意味が生まれます。

この物事の関係性がどのように成り立っているのか、という「中(関係性)を見る道が中道」というふうに理解するのが良さそうでした。

「空」は変化し続ける世界の見方

私は龍源さんの解説を聞くまで「空」を、「空っぽ」とか「何もない」という意味だと思っていましたが、違いました。

とはいえ、いきなり「空」はこういう意味です!と書いても伝わらないと思うので、私なりに順を追って整理してみようと思います。

まず、中道のところで説明しましたが、あらゆる物事は単体で意味を確定させることができず、関係性の中で意味を確定させています。

そして我々は、その「意味の輪郭」を言葉を使って認識しているのです。

このあらゆる物事の関係性を構築している基準や対比する相手は、常に変化しています。
※ここで指摘している変化は、人間が認知できないような微細な変化も含みます。

中道の説明は「現在」についての話なので、次は時間の流れにおける「関係性」について考えてみます。

あらゆる物事には原因があって、そこに様々な作用が加わり、時間の経過とともに「ある状態」になる。

そして、その「ある状態」は観測された時点で「意味」が決まります。
この「決まった意味」が原因になって未来に別の結果が起きる。

つまり、時間の流れにおける関係性(原因と結果)も、常に変化していると言えるでしょう。

最後は何か物事を見て「⚪︎⚪︎だ」と認識している状態について考えてみます。

すべての物事は認識した瞬間を現在とすると、次の瞬間には過去になってしまいます。

パラパラ漫画の1コマのように、瞬間ごとに切り離されている状態をイメージすると理解しやすいと思います。

この考え方から、あらゆる物事の意味は認識した瞬間に過去になるので、その「瞬間しか成立しない」と言えます。

長々と説明しましたが、まとめると、

①「空」は何もない、という意味ではない
②あらゆる物事の意味を確定させている関係性は、常に変化している
③すべての結果には原因があり、その関係性も常に変化している
④あらゆる物事の意味は認識した瞬間過去になるので、その瞬間しか成立しない

ということになります。

しかも、この3つの要素が複雑に絡み合ったネットワークを構築しているため、すべての物事は常に変化し続けていて固定されない」という考えに至り、その概念が「空」になるようです。

なぜ「空」のような難解な概念が必要なのか

結論から言うと、「苦」を取り除けるようにするために「空の概念が必要だった」ということになります。

「苦」については以下のnoteで解説していますが、求めても得られないものが生じたときの心理作用を苦と定義しています。

つまり、求めても得られないものがあると認知した瞬間「苦」が発生し、その求めているものに「確固たる実体」があって変化しないと考えてしまうと、変化しないものが原因で発生した「苦」を取り除くことができず、永遠に苦が続いてしまう。

そこで「空」「確固たる実体など無い」という概念を使って、「苦」の固定化を防ごうとしているわけです。

一つの説明に決め切らない余白

私は「空」を、あらゆる物事を固定された実体として見すぎない視点と受け取りました。

この見方を知ったことで、子育てや人間関係の問題、仕事上のトラブルが解決するわけではありません。

それでも、一つの原因や人物像に決め切る前に、もう一度見直せるものがあるかもしれない。

「中道が真ん中ではない」と知ったことから始まった話は、私の世界の見え方を少し変えてくれました。

「空」に限らず、仏教用語や仏教哲学を少し知ったことで、普段目にしていた物事の意味や見え方が変わることがある。

そのことを、「空」について考える過程で実感しました。

「空」と「苦」がつながる

COTEN RADIO仏教哲学回は、「仏教の目的は苦からの脱却である」という話と、「苦とは何か?」という話からスタートしました。

そして、「苦からの脱却」を果たすために必要な概念として、「空」「中道」「中観」があると知れて、とても新鮮な気持ちになっています。

なぜこれほどまでに新鮮な衝撃を受けたのか、その理由を整理してみると以下のようになります。

  • 仏教哲学がとても精緻で、仏教に対する「宗教でしょ…」というイメージが完全に払拭された。

  • 三蔵法師玄奘や、最澄と空海、鑑真といった歴史上の偉人達が、なぜ命をかけて仏教を学び、伝え広めようとしたのかが少し分かった気がした。

  • 仏教哲学を知ったことで、自分の感じているモヤモヤやイライラを少し俯瞰してみられるようになった。

  • 日常に隠れている仏教用語に興味が出てきた。

今回までのnoteで書いていない内容もたくさんあるので、それも踏まえるとまだまだ出せそうです(笑)

最後に

COTEN RADIO仏教哲学回の2話分から私が大切だと思った部分を抽出して、4つのnoteにまとめてみました。

龍源さんの解説を、できる限り短い文章で表現できるように頑張ってみたのですが、いかがでしたでしょうか。

私の書いたnoteを読んで興味を持ってくれた方は、ぜひCOTEN RADIO仏教哲学回を試聴してみてください!

ではまた!

【関連noteと参考にした動画】

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