仏教の「楽」と「慈悲」を知ったら、日常のモヤモヤとの向き合い方が少し見えた話
こんにちは。ざわさんです。
前回のnoteでは、COTEN RADIO番外編「仏教のこと、龍源さんに聞こう」を聞いて、自分なりに「仏教が何を目指しているのか」と、仏教における「苦」の定義について整理しました。
前回のnote
特に印象に残ったのは、苦しそうな出来事そのものが「苦」なのではなく、ある出来事と自分の欲求とのズレによって生じる心理作用、という説明です。
自分はこうなってほしかった。
でも、現実はそうならなかった。
相手にこうしてほしかった。
でも、期待した結果にならなかった。
日常で感じるモヤモヤも、そうした「望みと現実のズレから生じる心理作用」として認識すると、客観視しやすくなる気がしました。
今回のnoteについて
今回のnoteは前回のnoteの続きとして、苦と対になる「楽」と、龍源さんが仏教の基本と考えている「慈悲」について、自分なりに整理してみます。
なお、今回も仏教を専門的に解説する記事ではありません。
龍源さんの話を聞いて、自分がどう受け取ったのかを残すための文章です。
そのため、このnoteは「仏教全体の代表的な解説」ではなく、あくまで私個人の理解の整理として読んでもらえると嬉しいです。
【参考】COTEN RADIO番外編「仏教のこと、龍源さんに聞こう」
仏教における「楽」の定義
皆さんは「楽」という言葉からどんなことを連想しますか?
おいしいものを食べる。
好きなことをする。
ほしかったものを手に入れる。
旅行先でのんびり過ごす。
など、多くの人が「楽しい状態」や「楽な状態」を思い浮かべると思います。
ただ、龍源さんの説明では、苦が「何かを望み、それが得られないことから生まれる心理作用」だとすると、楽は「これ以上求めるものがない状態から生まれる心理作用」として説明されていました。
仏教は「楽」よりも「苦」に注目した

龍源さんは「楽」という言葉の定義の次に、仏教は「楽」を追い求めずに「苦」を取り除くことに注目している、と説明し始めました。
わざわざ「苦」に注目するのは少し暗い考え方にも見えますが、「楽」を追いかけ始めると、際限なく求めてしまってキリがない。
THE BLUE HEARTSの「夢」という曲を思い出しました。
あれもこれもほしくなって、どこまでも求め続けてしまう感覚です。
だから仏教は、楽そのものを追いかけるのではなく、苦を見つけて取り除くことで満たされた状態 「楽」 に近づこうとする考え方なのだと受け取りました。
「どうやったら求めるものがない状態になれるのか」と聞かれると、答えに困ると思いますが、
いま何が苦になっているのか。
どんな望みと現実がズレているのか。
何が満たされていないと感じているのか。
こうした問いであれば、言語化しやすく、対処しやすくなる、ということのようです。
仏教における慈悲は「ただ優しいこと」ではない
龍源さんからは「慈悲」が仏教の基本という話もありました。
龍源さんの説明では、慈悲という言葉は「慈」と「悲」に分けて整理できるそうです。
慈:喜びを与えようとする心(ゼロからプラス方向のイメージ)
悲:苦しみを取り去ろうとする心(マイナスからゼロ方向のイメージ)
という意味があるそうです。
ここまで聞いて、慈悲という言葉の印象が少し変わりました。
さらに話は、「抜苦与楽」 と 「離苦得楽」 という言葉に進んでいきます。
「抜苦与楽」と「離苦得楽」

抜苦与楽:他者の苦を取り除き、楽を与えること
離苦得楽:自分も苦から離れ、楽を得ていくこと
を指していて、「抜苦与楽、離苦得楽」=「慈悲」になるそうです。
少し難しい言葉ですが、ざっくり言えば「苦を減らし、楽に近づける」という方向性を表しているのだと受け取りました。
これまで慈悲という言葉に「仏様のように優しい心を持つ人が他者を救う」というような、ぼんやりしたイメージを持っていましたが、龍源さんの説明では、「慈悲」という言葉には他者だけでなく自分も含まれている。
また、ただ優しい気持ちで接することではなく、相手や自分の苦を減らし、喜びを増やす方向へ行動することだと知りました。
日常に当てはめてみると難しい
苦と楽、慈悲の意味が分かっても、これを日常で実践するのは簡単ではありません。
私には二人の子どもがいますが、子育てをしていると予定どおりに物事が進まないことがよくあります。
例えば、
早く準備してほしいのに、準備の途中で遊び始める。
そろそろ寝てほしいのに、新しいおもちゃを出してくる。
今はそれをしないでほしいのに、こちらが困ることをする。
など、子どもだから仕方ないと分かっていても、時間がないとイライラしてしまうのです。
予定どおりいかないとき、私の中には「予定どおりに進めたい」という欲求がありますが、一方で、子どもには子どもなりの欲求や不快感がある。
そこで、子どもの行動を変えようとする前に、自分は何に困っているのか、子どもは何が嫌なのかを分けて見て、それぞれの苦を取り除くにはどうすればよいか考えられれば、子どもに対する接し方が変わりそうです。
もちろん、実際には余裕がなくなって、すぐに答えを出したくなりますし、「早くして」と言いたくなることもあります。
だからこそ、「いま何が苦を生んでいるのかを認識して、その苦を取り除こうとする」という「慈悲」 の視点を、思い出せるようにしたいと思いました。
最後に
前回のnoteで整理した 「苦」 の定義と、今回のnoteで整理した 「楽」 の定義をつなげてみると、楽は何かをどんどん足して手に入れるものというより、苦が取り除かれたところに現れるものとして見えてきました。
もっと楽しいことを増やす。
もっと満たされるものを探す。
もっと自分の望みどおりにする。
そうやって楽を直接追いかけるよりも、まずは自分の中で何が苦を生んでいるのかを見る。
どんな望みと現実のズレがあるのかを観察する。
その方が、仏教の考える 「楽」 に近づきやすいのかもしれません。
また、慈悲についても、ただ優しい気持ちを持つことではなく、自分と他者の苦を減らし、楽に近づけるためにどう行動するか、という考え方として受け取りました。
相手を変えるのではなく、苦のありかを観察すること。
正しさを押しつけるのではなく、苦を増やしていないかを問い直すこと。
自分を犠牲にすることでも、自分だけが楽になることでもなく、自分と他者の両方を視野に入れること。
そう考えると、慈悲という言葉も、ありがたい宗教用語というより、日常の人間関係や子育ての中で、自分の行動を見直すための視点として見えてきます。
仏教をこう受け取ると、日常のモヤモヤや人との関わり方を、少し違う角度から見られる気がします。
次回は、仏教の中でとても大切だけど難解な概念である 「中観(ちゅうがん)」と「空(くう)」 に入るための前置きとして、「無我」ついて、整理してみたいと思います。
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