【連載小説】アイネちゃん、隣に座っていいですか?|③律の一日
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あらすじ:恒例の「給料日の刺身の会」に、愛音が職場のアシスタント・遥を連れてくることになり、葉山家は騒然としていた。愛音に密かな想いを寄せる幼馴染の玲央は、現れた華やかな遥に対して番犬のようにライバル心を燃やし、二人は愛音を巡って静かな火花を散らす。そんな中、欠席した叔父の代理として、一風変わった若手研究者・白石先生がやってくる。実は叔父の目的は「愛音のお見合い」であり、お刺身の会は一転して予想外の三角関係ならぬ四つ巴の様相を呈し始める。
大学からうちに帰ると……."今夜の「給料日の刺身の会」に、愛音が会社の後輩を連れてくるらしい"と、さっき兄貴が言っていた。
しかも、その後輩は、女の子じゃなく、"男"らしい。
一体、何者なんだろう?
姉貴のやつ、むくんだ餅のくせに……珍しいこともあるもんだ。
ちなみに、せっかくなんでさっき、父方の叔父も、今夜の刺身の会に呼んだ。叔父はまだ仕事中らしい。50歳独身の大学教授だ。自由人で、いつでも好きなことを楽しくやっている、陽気な人。昔からクラシック好きのレコード収集家で、俺らが遊びに行くと、よく聴かせてくれた。……というか、いつも流れているので、知らないうちに聴かされていた、というのが正しい。
叔父さんは、俺の行ってる大学で、"認知行動科学"なんていうマニアックな分野を長年研究している。俺は、この分野、嫌いじゃない。だからたまに、大学の選択授業で、叔父さんの話を聞いている。つまらなくはない。
それからついでに、近所に住む母方の祖父母も呼ぼうとしたが、海外旅行中でいなかったことに気づいた。……今は、どうやらヨーロッパにいるらしい。老後は夫婦で世界旅行をするのが夢だったらしく、貯金も頑張ったみたいで、2人で年中出かけている。
さっきも、誰に撮ってもらったのか、パリのエッフェル塔前で、2人で習ってる社交ダンスのキメポーズを取る写真や、イチゴとチョコたっぷりのいかにも甘そうな、本場のでかいベルギーワッフルの皿を見せて笑っている写真をLINEで送ってきた。旨そうだった。2人とも甘いものが好きだが、歳が歳なので糖尿病にならないか心配だ。甘いもの好きは、兄貴と俺に隔世遺伝したらしい。
……ふたりとも70代後半。
じいちゃんは京都の老舗のお香屋の、"早乙女堂"の次男坊で、ばあちゃんと結婚してから20代後半で東京に出てきた。銀座にある"早乙女堂東京支店"の会長とかまでやってるから、蓄えはあるし、銀座の早乙女堂は、じいちゃんの甥の孝(たかし)おじさんに任せて、悠々自適に過ごしている。ばあちゃんは若い頃、なんと兵庫の"花乃塚歌劇団"で男役をしていたらしく、幼い頃からピアノやバレエや声楽や、色々習ってたようだ。トップスターではなかったけど、人気はそこそこあったようだ。劇団に仕入れる香水やお香つながりで2人は出会い、ばあちゃんは退団してそのままお香屋さんの女将さんになった。だから祖父母の家は、今でもいい香りと音楽やダンスで溢れている。その影響なのか母さんも、ピアニストになって、父さんと出会った。ばあちゃんの昔の写真見せてもらったけど、なかなか綺麗だった。
あの人らはきっと、父や母の分まで生きるんじゃなかろうか。俺らの母さんは一人娘だったから……ふたりともはじめは色々あって辛そうだったけど、"いつまでも泣いていても仕方がない"、と気付いたようで、今は前向きに生きている。とにかくパワフルすぎる祖父母だ。
いいことだし、それがうちの家族には救いになってるけど。
「…….もう!ちょっと、奏汰ボンヤリしすぎだよ~!……これさ、ただ塩足したらいいかな?……でも甘すぎるわ。うーん。いちど水にさらす?……勿体ないもん」
「ああ、はは……ごめんなさい」
キッチンから、トトちゃんが兄貴を叱る声がする……さっき、"浅漬け作る"って言って作ったものの、兄貴は砂糖と塩を間違えて、味見をしたトトちゃんに怒られているようだった。そんなのは珍しい……なんだか今日、姉貴から連絡があったせいなのか、兄貴は冷静なようでいて、ちょっと、ソワソワしている気がする。
……実はそういう俺も、なんだかわからないけど、ソワソワしている。姉が高校生のときに少し付き合っていたらしい先輩、えーと、……陽人(はると)さんか。あの人が遊びに来たとき以来。……スラッとして鼻が高くて、眉毛がキリッとして……まあとにかくかっこよかったんだけど。
いつもはただの餅のくせに、あの人連れてきた時は驚いたな。名前と一緒で、笑った顔がいつも優しくて、日だまりみたいな人だった。そして、昔からピアノを習っていて、弾かせたらコンクールを総ナメにするような人だった。玲央には悪いけど、当時、バイオリンやってた俺はその才能が眩しくて。"この人がもうひとりの兄貴になったらいいのにな"、なんて、ちょっと、憧れちゃってた。……彼は音大でた後、ポーランドに渡って、あの地獄の"ショパン国際ピアノコンクール"で優勝して、海外でも活躍するピアニストになった、って聞いてる。
テレビや雑誌でたまに見る。
やっぱりな、と思った。
姉貴の逃した魚はでかかった。
まあ、あいつは餅だから、しかたないか。
……今日は、あの人に会ったとき以来の、ソワソワ。とりあえず、落ち着かないんで、さっきいつもより早めにランニングして来た。手持ち無沙汰だから、今はソファーに座って、さっきからテレビつけて見てる。今日確か、サッカーのワールドカップの試合、やってなかったっけ?
あ、明日だったか……。残念。
……そしてもう一人、……実は同じようにソワソワして、さっき一緒に走って、浮かない顔しながらテレビ見てるやつが、隣にいる。
玲央。いつもより口数が少ない。足元は貧乏ゆすりしてて、なんだかイライラしている。かわいそうに。ソファーに座り、片ひざを抱えながらにこりともせず、真っ直ぐにテレビを見つめ、低めの小声で、俺に話かけてきた。
「……つまんない、この番組。……おい律、いま何時」
「6時10分。もうそろそろ、帰って来るんじゃない」
「……はあ~。……なあ、律。俺、聞いてないよ。何で?何でよりによって男の子連れてくるの?」
「知らないよ」
「………」
兄貴も兄貴だ。今日は身内だけだから、って言ったらよかったのに。余計な人まで呼んで何考えてんだか。兄貴は、うちに人呼ぶの好きなんだよな。
兄貴は既に、トトちゃん……いかん、魚屋さんの娘で、幼なじみの"美月姉ちゃん"が持ってきてくれた"いいお魚"と、キッチンで格闘中だ。美月姉ちゃん曰く、「今日は、とびきりいいやつだぞって、奏汰に言っておけ」って、おやっさんが言ってたみたい。やった。それを聞いて兄貴は張り切って、得意の包丁をふるっている。
……もう、兄貴は市役所やめて、魚屋に婿入りすればいいんじゃないかと思う。腕は板前並みだし。まあでも、公務員は安定してるからなぁ、勿体ないか。あ、二足のわらじとか?……小さい頃、玲央と愛音がままごとやスタイリストごっこで遊んでいる間、そんなの大嫌いだった俺は、兄貴と一緒に良くトトちゃんちに遊びに行っては、おやっさんの包丁さばきを見ていた。そして俺は兄貴の横で、兄貴がおやっさんから包丁を握らせてもらってるのも見てた。
お陰で俺も、料理は苦手ではない。
「奏汰は筋がいいな。美月を嫁にやるから、お前は魚屋になれ」
って、小さい頃から兄貴がおやっさんに言われてるの聞いてたなあ。おやっさんはどうやら昔から、今でも、"そのつもり"があるらしい。兄貴と美月姉ちゃんは、どう思ってるのか知らないけど。あの2人も、周りが勧めるわりに、ちっとも進展しないんだよな。お互い浮いた話もない。
……流石にもう失礼かな、と思ったけど、兄貴もまだ呼んでるし、やっぱり"トトちゃん"が呼び慣れてるからそうしようかな。……トトちゃんも、毎度のことだけど、一緒に夕御飯にさそった。今お刺身のほかに色々作ってくれてて、台所にいる。兄貴と同い年。昔からうちの、姉貴以外のもう一人の姉ちゃんみたいな感じ。
なんも手伝わずにテレビを見ている俺らに気づいて、お惣菜を作っていたトトちゃんがカウンターキッチンから話しかける。トトちゃんも、おやっさんゆずりで、料理がうまい。
「…….ちょっと、りっちゃん、レオちゃん!あんたたちテレビなんか見てないで、大人がやってんだから手伝いなさいよ、まったく~!……ほら、これサラダ出来たよ。おつまみもね。持ってって!ほら、チェリーももう、お魚全部切り身に出来ちゃったんだから。あと、きれいにお刺身にスライスするだけ。ねぇ、相変わらず腕いいねぇ、あんたは。……だからほら、あ、もう時間になるし、2人ともぼんやりしてないで、そこのお皿とお箸並べる!ほら!」
「……は~い。わかりました、ミッキー先生!」
「……トトちゃんってさ、最近なんかまるでうちの母さんみたいだな」
「ああ、しっかりしててな。玲央んちのおばさんと、魚屋のおばさんと、……なんかちょっと、奏汰にも似てきてるかもな」
魚屋のトト(魚)ちゃんこと、美月姉ちゃんは、魚屋のおばちゃん譲りで、しっかりした"下町の女"って感じの人だ。けど普段は魚屋さんではなく、近くのこども園で、保育士さんをしている。こどもたちからは、美月(みつき)先生だから、"ミッキー"って呼ばれたりしてるらしい。
昔から面倒見がよかったから、向いてると思う。愛音と、俺と玲央の姉ちゃん的存在だ。
そして、トトちゃんは兄貴のことをいつからか"チェリー"と呼んでいる。高校生くらいからかな。へんなの、と思って昔、「何で?」って理由を聞いた。そしたら「え、奏汰はさくらんぼ系男子だから」と言った。奏汰はチェロ弾きで、昔から好物がさくらんぼ。好きな曲が人気バンド"スパッツ"の、"チェリー"。それに兄貴は色が白いから、さくらんぼみたいに唇が赤くて、さらに怒ると顔が真っ赤になる。そして、トトちゃんが"チェリー呼び"をふと思い付いた時に塗ったリップクリームが、"チェリーレッド"色で、丁度その赤い色にそっくりだった。そんなわけで、色々重なったんで、"チェリー"にしたらしい。……"さくらんぼ系"って、なんだそれ。
「ほい、できた。並べたよ、トトちゃん」
「よし、美しい!!よくやったふたりとも。イケメンへの第一歩だな!えらい!……さあ、じゃあつぎは、コップを並べてみようか」
「イェッサー!」
トトちゃんは昔から褒め上手だ。褒められると、俺らは保育園児みたいに、知らないうちにやる気を出してしまう。
「……ハァ……」
「なによ、レオちゃん、溜め息なんかついて。どうしたの?なんか文句でもあんの」
「いや……別に。そうじゃないけど……」
「へんな子だね。ならお腹痛いの?」
「ちがうよ。いいの。何でもないからほっといて」
「あっ、そ。ならもっとシャキッとしなさいよね!若いんだから。……あ、夏バテ?」
……俺は、玲央の落ち込んでる訳を知っている。
玲央が姉貴を好きなのは、昔からだ。
小さいころから玲央は、姉貴のことを本当の姉のように慕ってついて回っていた。それだけだと思っていたけど、成長するにつれて玲央もだんだん自分の気持ちがわかってきたらしく、そういう種類の"慕う"じゃなかったらしい。姉が高2のときに一つ上の陽人さんと付き合うことになったときは、中2の玲央はさみしかったのか、落ち込んでたな。姉貴の前では普通にしてたけど、俺の前ではなんだか毎日涙ぐんだりしてたからな、あいつ。
餅はなんだかんだで罪な奴だ。
結局、陽人さんと姉貴は、彼の大学進学を期に別れちゃったみたいなんで、玲央にとっては良かったけど。玲央曰く、その一年程は、"マジで暗黒時代"だったらしい。
それでもなかなか、玲央は姉貴に自分の気持ちを伝えない。今までの、仲良しの姉弟みたいな関係が崩れてしまうのが、怖いんだろうか。
玲央は、いつも姉貴をそっと見守っているような、そんな立ち位置で。"そっとしておいてほしい"っていうから、俺も見守ってるんだけど。
でも最近……"ガチで、将来は姉貴を嫁にもらうんだ"って言い出した。いよいよなにか進展が起きそうな気もする。しかし、長年、よくだよな。……いったい、何を勘違いしているのかこいつは。姉貴のどこがそんなにいいんだろうか。
姉貴のほうは、玲央の気持ちに気付いていないのかな。いや、なんとなくだけど、姉貴もまんざらでもないんじゃないか、とか、たまに思うんだけど。最近、玲央は女の子みたいだった昔より、すごく、カッコ良くなったし。それに、姉貴に対してもすごく、スマートだし。
まあ、俺は玲央ならほんとの兄弟になってもいいかな、と思っている。
……それは、俺にとっても好都合だ。何かと。
しかし、今夜は姉貴にとって、どんな立ち位置のやつを連れてくるのか?
大丈夫かな、玲央は。
玲央はソファに戻って、またテレビをつけた。
今度は動画配信サイトにしていた。
「ジャジャーン、この旨そうな刺身をご覧なさい!!」
「……おお」
テーブルの前でボーッとつっ立っていたら、背後から突然テンション高めの声がしたので、驚く。ドヤ顔の兄貴ができあがった立派なスズキと本マグロのお造り、それから本場の高知並みのカツオのタタキの盛り合わせを両手に持って見せながら、キッチンから戻ってきた。いったい、この人はなんでこんなに器用なんだ。
「わあ、相変わらずすごいな。板前か兄貴は。魚屋になれよもう」
「俺が器用なのは持って生まれたものよ……ところで、帰って来たか?愛音は」
やっぱり、昼に連絡を受けてから、兄貴も少し、気になってるみたいだな。
「姉貴はまだ。でもこの時間だし、もう来るだろ」
「ふふん。あっ、そ。じゃ、まだ冷やしとくか」
ソファーに体育座りしている玲央はまた、真っ直ぐテレビを見つめて、俺だけに聞こえるようにボソッと呟く。
「……愛ねえ以外、誰も来なくていいよ」
そして玲央はまたひとつ、溜め息をついた。
……6時半。ついに玄関先から、姉貴の帰ってくる気配と、足音がする。
「おーい!ただいま!ごめんごめん、ギリギリになっちゃった」
玲央がピクッとして、俺の顔をちらっと見る。
助けてくれ、という目をしていた。
トトちゃんが気付く。
「…….あ、チェリー、アイちゃん帰ってきたよ、
おかえりー!」
「ほんとだ、おかえり愛音よ~!おーい、悪い、ちょっと今、俺もトトちゃんも手が離せないから、律でも玲央でもいいや、出迎えてあげなさいよ」
兄貴とトトちゃんがまだなんか用意していて、キッチンから声をかけてきたので、俺が出ることにした。
「……うん、わかった。玲央、一緒にいくか?」
「……嫌だ」
「だよな」
「……でも、……やっぱいく……」
玲央は意を決してついてきた。2人で玄関の扉を開けて出迎えれば、そこに立っていたのは、姉貴と、噂に聞く「その」後輩。
ふむ、なるほどね……。
イケメンではあるな。でも職業柄か、派手な頭だ。ピンクの長髪に、赤い毛先。おしゃれだけど、なんか、金魚みたい。なんか見た目チャラいな。
「……ああ、律、玲央くん!ただいま。今日は私の右腕の後輩くんを連れてきたからね。よろしく!遥くんです」
姉貴は電話の声みたいに、いつもよりちょっと声が上ずってる。よそ行きだな。
背は……陽人さんよりは、少し小柄か。
俺や玲央よりは小さい。
勝った。
「うん、兄貴から聞いてる。……こんばんは、弟の律と、こっちは幼馴染みの玲央です」
すると、兄貴とトトちゃんが後ろからやってきて続けた。
「やあやあ、よく来たね。君が噂の後輩くんか。兄の奏汰です。よろしく。こっちは、幼馴染みの、お魚屋さんの娘さんの、美月ちゃん」
「どうも。いらっしゃい。椎名美月です」
姉貴が叫ぶ。
「あああ、トトちゃん、いらっしゃーい。ひさびさ!会いたかったよう♡」
「おかえりアイちゃん♡わたしもだよう」
姉貴たちは抱き合い、久々の再会を喜びあっている。
遥くんは、感心したように言った。
「……わあ、噂通りの素敵なお兄さんに、弟さんたち…….それにお姉さんも綺麗な方!愛音さんから、お話きいてます。こんばんは、はじめまして。九条遥です。愛音さんにはいつも職場でお世話になっております。今日は突然すみません……お招きいただき、ありがとうございます。……あ、これ、お土産です」
遥くんと名乗る彼は、きちんと挨拶をすると、愛想よくニコニコと笑いながら、立派な酒瓶を2本、差し出した。なんか、見た目とちがうな。
「おお君、気が利くじゃないか!ありがとう」
「……お兄ちゃんが酒持ってこいって言ったんでしょ。……本日、なんと遥くんが全部買ってくれましたよ」
「いやいや、おじゃまするんだから当然です。でも、これだけしかなくてすいません。愛音さんと一緒に今、選んできて。島酒店で。あそこ、すごくいいお店ですね」
「十分さ。おお、君もわかる口かい?」
「はい、僕はお酒好きなんで、お兄さんとは気が合うかもしれません。よろしくお願いします」
「ありがとう……お。いやあ、遥くん。こりゃなかなかいい酒だぞ。今日の刺身に合いそうだ。ははは。ほれ、律。これ、例の部屋で冷やしといて。任せた」
兄貴は酒のわかる奴が来たので上機嫌だ。
俺は兄貴から酒を受け取る。
「うん……あ、すいません、ありがとうございます。兄貴も俺も、お酒好きなんで」
「いえいえ、喜んでいただけて良かったです」
なかなかの好青年だ。……受け取りながらチラッと玲央の様子を見ると、玲央はおもむろに目を細めて怪訝そうな顔をしていた。いつもの玲央とはちがう。明らかにイライラしていて、余裕がない。
俺はピンときた……これ、なんか、ちょっと面白くなるかもしんない……。
姉貴が口を開く。
「……ああ、そんならいいの買えて良かったね。うん。……あ、ごめんそしたら私さ、なんか汗かいたんで、ちょっと支度してくるわ、暑いよね、今日?なんか生きてるだけで、心臓がバクバクするよ~。もう、夏だねえ」
姉貴は突然不思議なことを言いだした。
「は?いや、いつもより気温低いんじゃない?寒いから俺、今日ハーフパンツやめたし」
「.……え?そうかなぁ?ムシ暑くない?……あ、ほんと?……まあいいや、遥くん、さあ、上がって。お兄ちゃん、リビング連れてってあげて」
「おう、じゃあ、どうぞ、上がって」
「あ、すいません、お邪魔します……」
すると、姉貴が俺に素早く近づいてきて、小声で念を押した。
「……あ、ちなみに遥くんは彼氏とかじゃないからね。ただのおちこんでた後輩。お兄ちゃんも律も、失礼のないようにしてよね。へんなこと言ったりやったりしたら、ただじゃおかないから。仕事に差し触るから。お兄ちゃん、"私に嫁の貰い手がない"、って酒屋に言ってたらしくて、さっき2人で寄ったらからかわれてさ。……奏汰、何考えてるかわかんないから。くれぐれも!!」
「へいへい」
「……あー、しかしなんかさっきから変だな。職場の先輩たちの間で話題になってた"ホットフラッシュ"?……まさか、まだ早いよな……」
そう言って肩に手を置いて首をコキコキやると、暑いから心臓がバクバクして、汗をかいた、と言う姉貴は、着替えるために二階の自分の部屋へかけ上がって行った。
「……玲央、よかったな。あの人、姉貴の彼氏じゃないってさ」
兄とトトちゃんに付いて廊下を歩く遥くんの後ろで、俺は玲央に耳うちした。玲央はそれを聞くと、俺の顔を見て少しほっとしたような表情をした。
……でもほんとに、そうなのかなぁ。
彼氏とかそうなるつもりじゃない人が、わざわざ、のこのこ家までついてくるか?
それ、なんのバクバクなんだよ。
すると、リビングの入り口で兄貴が、トトちゃんに話かけた。
「あ……!いけね、買い忘れたものあった。トトちゃん、ちょっと買い出しにコンビニ行くよ。1人じゃわかんないから付き合って」
「へ?今から?何買うの?」
「氷と、甘いもの。無かった」
「ああ、なるほどね。うん、いいよ、わかった」
「あっ、ちょっと!そこのコンビニなら私も行きたい!じつは、今日発売の、買いたいものあるんだよね~。へへ」
兄貴がへんなこと言ってないか、確認するためなのか、姉貴が爆速で着替えを終えて、2階から降りてきた。
「なんだ、おまえも行くんか……おん、ほんなら一緒に行くか。……男子たち、悪いな、ほじゃちょっとすぐそこまでサッと行ってくるわ、10分くらいしたら帰ってくるけど。じゃ、遥くん、ゆっくりしててね。叔父さん、まだ来ないなあ……遅いな。あ、あのね、遥くん、今日うちの叔父も来るから。宜しくね。来たらさ、律でも玲央でも出迎えといて」
「ああ、そうなんですか。叔父様が……なんだかちょっと、緊張しますね……。はい!ありがとうございます。気をつけて」
愛音も声をかける。
「悪いね、遥くん。すぐ戻るわ」
「はい」
「男3人でゆっくりしてて……あ、財布財布。忘れてた」
「…….玲央、じゃあ俺、ちょっとあっちの部屋でお酒の用意してくるな」
なんと、我が家には酒好きの兄が、ワインセラーみたいな酒部屋を作ってあるのだ。
こだわりがすごい。
玲央が小声で話かけてくる。
「えっ、あ、……ちょっと律……俺1人で相手?」
俺も小声で返す。
「いいから自分でいろいろ探れ。気になるだろどんなやつか。姉貴はああ言うけど……ぼやぼやしてたら、……ライバルになるかもしれないぞ」
そのあと、俺は遥くんに声をかけて、ソファーに座るように促した。
「あ、どうぞ、……そちらへ掛けて下さい」
「……はい、失礼します」
すれ違いざまに、香水なのかな、遥くんからはなんかすごく、"大人"な、爽やかないい香りがした。
「じゃ、ごゆっくり~」
そして俺はいそいそと酒の用意をしにいった。酒を冷やすと、まだ時間がかかっている"振り"をしながら廊下に出て、玲央と遥くんが、リビングに二人きりになった瞬間をしばらく観察することにした。わくわくした。
リビングに案内されて、ソファーにちょこんと座った遥くんは、膝にグーで手を置き、背筋を真っ直ぐにしながら、ニコニコと笑っていた。そして真正面ではなく、少し位置をズレながら向かいに座った玲央のほうを、見ている。
一方玲央は、目線をずっとテーブルの上のカトラリーに向けていて、一切目を合わそうとしない。
沈黙がつづく。気まずいな。俺、出ていったほうがいいかな?
すると、沈黙を解こうと気を遣ったのか、先に遥くんが口を開いた。
「……こんばんは、初めまして。九条です。ふふ」
玲央はちょっと、ビクッとした。
そしてちらっと遥くんを見て、一応、挨拶を返す。
「……こんばんは。……一条玲央です。初めまして」
遥くんはニコニコしながら続ける。
「ふふ……玲央くんさぁ、かっこいいよね。大学生ですか?きっと、君すごく、モテるんじゃない?モデルさんみたい……色んな服、似合いそうだね……そうだな、今度のBottec(ボッテック)の新作とか、すごくぴったりで、良さそうだな……ふふ。……あ、ごめんね、職業柄。僕、スタイリストしてて。あれもいいな、これも似合うなって、君見てたら、色々着せてみたくなっちゃってさ。ははは。律くんもさ、スポーティーでカッコいいよね!」
常にニコニコしてて、気を遣って、腰が低くて。爽やかな好青年だなぁ、やっぱり。
言われて嬉しいようなこと言ってくる。
しかも、さりげなく。
仕事柄かな?
……この人、嫌いじゃないかも。
もてるんじゃないかな。
玲央が塩っぽく答えた。
「……いえ、そんなことないです。……で、あの、すいません、遥さんでしたっけ」
「うん」
「あの……今って、仕事、忙しいんですか?愛ねえ、最近遅くまで残業多いんですけど。……愛ねえのこと、あんまり遅くまで仕事させないようにしてくださいね。……俺、愛ねえが夜遅いと、心配なんで」
玲央は口角を上げたまま、目だけは笑わずに真っ直ぐ遥くんを見つめると、突然、そう言った。いつもの玲央とは違う。明らかに戦闘体制だった。
なんていうか……飼い主の愛音にちょっかい出すと噛みつく、"番犬"みたいだった。
いきなりそう来たか。
……うん、そうだな……"土着の番犬"、てとこだな。
すると遥くんは、驚いたようにさっきまで線みたいだった目を丸くした。……そして何か勘づいたのか、フフッ、と静かに微笑んで、玲央を見て楽しそうにまた、目を細める。
社会人で、俺らより年上だからなのかな。
なんだかすごく余裕な感じ。
……いい匂いするし。
そして、遥くんは静かに瞬きしながら言った。
「……ああ、それはご心配なく。僕は愛音さんの仕事のサポートをしてるだけだからね。愛音さんは仕事も丁寧ですが、オフの姿も……そうですね、とても可愛らしいですもんね。さっきも、普段着可愛かったし。フフ……わかるな、君が心配になる気持ち。昨日は飲み会前に二人で少し残業しましたけど、疲れた顔さえ、見ていて飽きないくらいで。素敵ですよね、愛音さんは」
そしてクスクス笑いながら、わざとらしく肩をすくめる。
ん?
遥くんの言い方も、変な感じだな……。
なんか、挑発的というか?
遥くんは臆することなく続ける。
「僕ね、愛音さんのこととってもいいなって思ってます。なんていうか、一緒にいたらすごく、安心できる人だなって。……女性として、魅力的だよね。すごく」
おう…….。
やっぱり。遥くんも、姉貴に気があるんだな。
こっちは、都会から来て、スタイリッシュで軽やかに獲物を奪っていきそうな、"トンビ"ってかんじ。
そして、それを聞いた玲央の眉間には、うっすらと青筋が浮かぶ。
「……へえ、そうすか。それは、愛ねえも光栄でしょうね。…….でも、愛ねえの素顔は、ほんの短い付き合いの職場の人より、……長年隣にいた人間のほうが、良く知ってると思いますけど」
おお、よく言った。
だけど、玲央の言葉に、遥くんはさらに深く笑った。
「そうだよね、幼なじみという特権は強い。……けど、人生って面白いもので、最終的に、一番長く一緒にいる人が選ばれるとは限らないんですよね。……愛音さんは、どちらの側を『隣』に置きたいんでしょうね?これから、人生はまだまだ長いですからねぇ。ふふふ」
ああ……。それもそうか……。
玲央はムッとした表情になった。
「…….いやあ、そうでしょうかね?人生は、そう簡単にはいかないんじゃないかな?物事には、"順番"というものがありますからね」
はは。まあね。
だけど、遥君がまた切り返す。
「いや、しかし順序や順番なんてものは、いくらだって覆るのが世の中の断りでしょう。そうだから人生、楽しいんじゃないかな?……あ。まだ大学生には分からないか。ふふ」
そう言うと遥くんは、笑みを浮かべながら挑戦的に、じっと玲央を見つめた。
やっぱり、"社会人の余裕"みたいの、ぶちかましてきてるな……。
玲央も、真顔でじっと遥くんを見ている。
そして、遥くんが言った。
「……今日も帰り道、可愛いかったな、愛音さん。ふふ」
……煽ってる。
……そしてとうとう、玲央の堪忍袋の緒が切れたらしい。少し怒ったように怜央が言った。
「……あの、伺いますけど!!さっきから聞いてると、あなたは、愛ねえに気があるんですか!?」
遥くんは当然のように答えた。
「うん。そりゃあもちろん。素敵な人を目の前にして、好きにならないわけないよね?……さっき帰って来るとき、僕の気持ちは伝えたけど」
「はあ……?!」
そうか。トンビの遥くんは、番犬の玲央がずっと躊躇していることを、簡単に、軽やかに飛び越えていくことができるんか。……だから姉貴は暑いとか、心臓がバクバクするとか、変なこと言ってたのかも……。コイツは手強いぞ……どうする玲央?
「君こそだよね。愛音さんに気があるのは。……君は、愛音さんの何なの?どういうつもりなのかな?……僕は、愛音さんのことを好きになったからには、君に負けるつもりはないよ」
ああいかん……。ついに始まってしまった。
カーン、という試合開始の合図が、俺には聞こえていた。愛音を巡る「番犬」vs「トンビ」の構図がハッキリと見える。姉貴がいないあいだ、2人はニコニコ笑いながら、リビングで静かに、ゴリゴリでバチバチのバトルを繰り広げ始めていた。
ボソボソと喋っていた玲央が、ついにでかい声を出した。
「……大好きですよ、俺だって。昔からずっと!……俺は愛ねえのこと、嫁にもらおうと思ってるんですから!絶対、あんたには渡さない」
……言ったわ。俺以外には誰にも言っていなかったことを、ついに。
「ふふ。へえ……。なるほどね」
遥くんはニコニコしている。
…….ヤバい。マジで、この2人のやりとり見てるの面白すぎる。たまらない。
姉貴の寝起きと同じくらい。
俺は笑いが込み上げてきた。
続きが見たい……。
あ、…….でも兄貴たちもうそろそろ帰ってくるしな。ケンカしてたらせっかくの刺身もまずくなるし、ちょっと、玲央に助け船をだしてやるか。
ちらっと目をやると、仏壇で、母さんと父さんが笑っている。
……俺はリビングに足を踏み入れながら、わざとらしく、大きな声で言った。
「はーいおまたせ~!よし、酒の用意できたぁ!!完璧……お、何仲良くニコニコ話してんの、ふたりとも?いいねぇ……あー、そうだ!!あのさあ、ちょうど3人だし、俺ゲームしたくなってきたな~。ほら、3人で"ワルオカート"やるの憧れだったんだよ。うちは、兄貴はうまいけど、愛音は下手くそで話になんないし。だからさぁ、玲央も遥くんも、ゲーム対決しない?遥くん、プラステ、やったことあります?」
俺はテレビのリモコンを手に取ってゲームの電源を入れる。最近買った、Plus Station 6(プラスステーションシックス)。大人気で競争率高かったけど、抽選に当たって、買えたんだ。
「ええもちろん!ありますよ、こないだ発売と同時に運良く買えて、うちにもあります!実は大好きでやりこんでて。僕一人っ子なんで、兄弟対決とか、あこがれるなあ」
「へえそっか、なら話は早い。玲央も一人っ子だもんな?」
怜央はムスッとして、明後日の方を向いていて無反応だ。
遥くんが言った。
「……ああ、そうなんですね。僕と一緒じゃない」
「玲央も得意だもんな、ワルオカート。強いもんな?なあ?実はこいつも、プラステ買えたんです。運がいいですね、俺ら」
すると、玲央がボソッと言った。
「……もちろん、俺もやりこんでるよ」
「よし、じゃあ、3人で対決な!やっぞ!」
俺らは微妙な雰囲気のなか、早速"ワルオカート"を始めた。
しかし、遥くんが意外と負けず嫌いで、ゲームでも容赦ない攻撃を仕掛け、それに玲央がムキになって……結局二人とも、キャラの順位よりも「相手をコースアウトさせること」に全力を注いでいる。……おいおい。俺はちょっと注意した。
だけど、二人とも気を取り直して真面目にやり始めると、二人があまりに上手すぎて、ハイレベルなレースが展開されるのに、俺は驚いてしまった。
ゲームをとことんやり込んで強くなれるのは、一人っ子の強みだろうか。
「……お前ら、家で何回練習したんだよ……」
俺は引いてしまった。
「……そうだな、俺はやると決めたら、起きて寝るまでひたすらやり続けてる」
「僕も、やりはじめて気付いたら、10時間くらいは軽く経ってますね……気づいたら朝とか」
「……へえ、2人とも気が合うんだね、……努力家だね。はは」
俺は2人には勝てないのが分かったので、ゲームを放棄して、いつのまにかそのスーパーレースの観戦者になっていた。
「……うわ、なにそのプレイ、すご」
思わず言葉が漏れる。二人ともあまりに熱中しすぎて、いつのまにか玲央のコントローラーのコードが、遥くんの腰のチェーンに引っ掛かっている。
「へへ、俺の勝ち!」
玲央が言うと、遥くんは絡まったコードを解きながら、
「ちょっと!玲央くんのコントローラー、僕のチェーンに引っ掛かってるんだけど!引っ張られて気になって、集中出来ないよ!」
「そんなの、急に右に切るからだろ!そっちこそぶつかって来るなよ!」
「ぶつかってないだろ!ああ、もうほんと邪魔なんだけど!」
「うるさいよ、そっちこそ邪魔なんだよ!」
「……あっ、おい、今バナナ投げたろ」
「悪い、手が滑ったわ、ハハハ」
「くそう、イラつく」
「あっ、いけね、自分も滑った!!」
「アハハ、自業自得だ」
「くそー!!悔しい!!」
ゲームしながら、言いたいこと言い合って笑っている。なんだかふたりとも楽しそうだ。
2人とも、仲がいいのか悪いのかわかんないくらいだな。ゲームレベルも互角だし、好きな人も同じだし、……じつは、気が合う?
……同志?
盛り上がっているところに、兄貴たちが帰ってきた。
「ただいまー!お、もうゲームしてる!仲良いね!ほら、アイスやデザート類、たくさん買ってきたよ。奏汰が買ってくれた。溶けないうちにはやく冷蔵庫いれなきゃ」
トトちゃんがニコニコしながら、エコバックの中の買ったものを見せてくれた。うまそ。
すると愛音が寄ってきて、嬉しそうにニヤニヤして、何かチラチラと俺に見せ始めた。
「ああよかった~、ほら、ほら、律!見て!ジャーン!!フフフ……今日発売の"バケツラーメンコンビニ限定LUMOSバッヂつき"、残っててさ、買えたんだよ……大人気でさ、これ最後の1個だったよ、ラッキーでしょ!?危なかったわ……。ふふふ……だれのバッヂかなー?楽しみぃ、開けてみよ~」
姉貴は嬉々としてビニールを剥がしながら、ペリペリとカップ麺の蓋を開け、目当てのバッヂをとりだした。
……そんなでかいカップ麺、今開けてどうすんだ。それも今晩食うんか。太るぞ。
「……お!やった!ジェヒョンだ♡わぁー♡やったぁ、ジェヒョ~ン!見てよ!!やっぱLUMOS最高~!!」
そう言うと姉貴は満面の笑みで、"ウインクしながら投げキスをするジェヒョン"のバッヂを、俺に見せてきた。
こいつは……。
姉貴は最近ダンスボーカルグループのLUMOSにハマっている。ミーハー炸裂だな。またどうせすぐ飽きるに違いない。この間はアニメのゆるいキャラクターグッズばっかり集めてたくせに。あれどうしたんだ。今お前を巡って、番犬とトンビが大変だったんだぞ。まったく。
兄貴も帰ってきた。
「お待たせ、いやあさ、どうしてもデザートが……甘いの欲しいんだよな。今日は"優木"に寄ったけど、休みでさ。信之助の和菓子食べたかったのに。あいつんちの和菓子が、俺には一番しっくりくるんだよな。小さい頃から食べてた味だからかなあ。だから代わりにコンビニ。あとで君らもたんと食いなさい。さて、おい、まだ叔父さんは来ないか」
「まだ来てないよ。へえ、今日信ちゃんとこ平日休みなん?めずらしいね」
「聞いたらさ、あいつらマリーさんの実家のメルボルンに行ってるらしい。たまには、里帰りだな。結婚してから初めてじゃないか?」
兄貴は実は甘党で、さくらんぼをはじめとする果物や、お菓子が好きだ。仕事帰りに、小学校からの親友、信之助さんが三代目を継いだ和菓子屋"優木"に寄って、栗善哉とか烏羽玉とかあんみつとか、四季折々の甘味を食べて、ああだこうだ話して帰ってくるのが、兄貴のリフレッシュの一つらしい。
信之助さんは最近、偶然仕事で日本に来て、彼と彼の和菓子に惚れ込んだマリーさんと、運命的な国際結婚をした。そんなわけでマリーさんは今、金髪で青い瞳のオーストラリア人なのに、着物を着て、和菓子屋"優木"の女将さんをしていて、巷でもちょっとした話題になっている。
「……叔父さん遅いから、お腹空いたし、もう始めちゃおうか」
兄貴が口を開いた。
「うん。そうしよっか。は~い、みんな、お待たせしました~。それじゃあ改めてお刺身だしますよ、…………じゃじゃーん!たくさんあるからいっぱい食べな~」
そう言ってトトちゃんが持ってきた「いいお魚」のお造りを目にした瞬間に、お腹がすいたのか、ゲームをしてたふたりとも手を止めて、スッとお造りに魅せられるように目を丸くして、表情が緩んだ。
「うわ、すごい、すごい!!これ、お兄さんが造ったんですか……やばすぎる……」
「さすがカナ兄!!さあー、おなかすいたよ!」
「お酒どうする?……じゃこっちのから開けようか」
俺はとりあえず限定酒のほうを選んだ。
兄貴が乾杯の音頭をとる。
「ではお酒は手元にあるかな?本日もお疲れさまでした。今月も無事に給料日が来ました。今夜は沢山食べて飲んで、楽しみましょう!……ではみなさんご一緒に……せーの」
「乾杯~!!」
「うわー、なにこれ、このお酒おいしーよ!!」
姉貴が叫んでトトちゃんに勧める。
「あ、美味しいね。お魚にあうよこれ」
トトちゃんも美味しそうにお猪口を傾ける。
うん、フルーティで爽やかで……俺も旨いと思った。
「遥くん、よかったねこれにして!さすが!」
「はい、すごく美味しいですね!!喜んでもらえて良かった。ああ、幸せだなぁ。連れてきてもらえてよかった。なんか、…….嫌なことあったのとか、忘れちゃいますね」
「……うん、それなら良かったよ」
「うん……この酒、旨いかも」
怜央が感心して言う。
「だろ」
遥くんがニコニコする。
おかしいな。あれだけバチバチだったのに、お酒を飲んで、テーブルに並ぶ刺身やお惣菜をつまみ始めたら、不思議と彼らの戦闘意欲は、さっきより穏やかになったようだ。
なにかと旨いものには、勝てないな、と思う。
けど、やっぱり静かに戦いは続いていて、トンビの遥くんが言う。
「愛音さん、お隣いいですか?つぎますよ」
「あ、うん、ありがとう」
それに目を光らせた番犬玲央も、そっと愛音のとなりに行く。
……気付けば遥くんと玲央は姉貴の両隣に座っていて、酒を飲み、肴をもりもり食べながら、
「さっきのコーナー、遥くんうまかったな」
「いや、玲央くんのあのアイテムの使い方はズルいよ。こんどやり方教えてよあれ」
と、相手に目を光らせながらも、お互いのゲームのプレイを褒め合っている。
……やっぱり結局、戦いながら、意気投合してんじゃん。ウケるわ。
「愛音さん、僕ゲーム上手かったですか?」
姉貴の右隣で遥くんが尋ねる。
「あ、うん!私なんて、ひたすらその場でクルクルまわっちゃうから、尊敬するよ、ほんと上手だね」
「いやいや、俺も上手かったよね、愛ねえ」
左隣では玲央が姉貴に話かける。遥くんのせいか、いつもより食いぎみだな。
「……うん。もちろん。ほんとにコントロール上手だね、玲央くんも。びっくりしちゃったよ」
よく言うよ、ジェヒョンしか見てなかったくせに。姉貴はゲームにあまり興味がないので、わかったふりをしてあたりさわりない薄ら返事をして、さっき手に入れて服につけた、ジェヒョンのウインク顔のバッヂをゴソゴソ触っている。
けど、2人は姉貴にほめられて嬉しそうだった。
「うん!旨い!こっちの酒もなかなかだ!遥くん、気に入った!」
ほろ酔い加減で上機嫌になって、兄が言う。
「ありがとうございますお兄さん、これ、好きなんです!!」
遥くんがよしきた、という感じで答えて、ドヤ顔でちらっと玲央をみた。玲央は一瞬、眉間に皺をよせた。
お、また、始まるか?
……でも、やっぱり玲央もお酒が旨かったらしい。
今回は黙っていた。
「いやあ、食いっぷりがいいな、君たちは。兄さんは嬉しいよ。捌きがいがあった。やー、給料日はいいよな。刺身はいいよな、トトちゃんよ。トトちゃんのお総菜は世界一うまい!!」
調子が良くなってきたのか、いつもよりでかい声になった兄貴を、トトちゃんがたしなめる。
「はいはい……チェリーさ、お酒がおいしいからって、飲み過ぎちゃだめだよ?明日来るよ、また。こないだゲーゲーして大変だったじゃん。二日酔い。お水のみな。ほら。あんた、好きな割に弱いんだからさあ」
兄貴のとなりでトトちゃんが和らぎ水を渡しながらたしなめる。もう、そのたたずまいは老夫婦みたいなんだけどなあ。ふふ。
「……あーあ。……さて」
色々落ち着いて、皆楽しそうにしてるんで、俺はようやく、皆に気付かれないように、本マグロの中トロの一番いいところをこっそり一人占めして食べながら、姉貴と遥くんが買ってきた、いいお酒をお猪口でゆっくり飲む。やっぱり旨いな、コレ。どっちの酒もすごく、刺身に合う。
こうやって人を観察したり、ここにいない人のことばかり考えてしまうのは、俺の悪い癖だ。
……紫織ちゃんは今、何をしているんだろう。
ご飯を食べてるのかな。それとも自分の部屋の窓辺で、あるいは練習室で、ただ一人フルートと向き合っているんだろうか。
喧騒の中にいるのに、胸の奥はひどく静まり返っている。俺の心は、この食卓にはないどこか別の場所で、彼女の透明な音色を聴こうとしていた。
遥くんと笑い合う、玲央の横顔を見て、呑みながらぼんやり考える。
玲央は確かに男前だ。
だけど、……俺はたぶん、紫織ちゃんのことが好きだ。
……でも紫織ちゃんはやっぱり、……玲央のことが好きなんだろうか。
大学に入ってすぐのころ。
図書館で勉強の合間に、初めて彼女を見かけた。
きれいな黒髪に、切れ長の大きな瞳。
本を読むのが好きみたいで。
いつも窓際の同じ席に座る。
彼女をはじめて見かけたときの、図書館に漂う紙とインクの匂いが、やけに印象に残ってて。
彼女は、芸術学部でフルートを専攻している。
たまに、玲央に会いにとなりの芸術学部に遊びにいくと、どこからか彼女が吹いている音色が聞こえてきて、こっそり聞いては、俺は癒されている。
学食で、玲央や友人と食べるランチは旨い。でも、紫織ちゃんを見かけると、彼女ばっかり見てしまって味がわからない。チラチラ見ながら、どこか上の空になっている自分に気付く。
今日は、昼食のあと、眠くてぼんやりしていた授業中、後ろから、ポンポンと肩をたたく人がいた。
華奢な白い腕。紫織ちゃんだった。ドキッとして目が覚めた。
じつは、彼女は場面緘黙があるらしくて、めったに話さないらしい。基本的に身振りや、筆談で話をする。
俺は彼女の声を聞いたことがない。
彼女は振り向いた僕の後ろ側を指さす。
「……あ、悪い、プリントまわってきてたね」
彼女は軽くにこっとして、うなずく。
紫織ちゃんは……どんな声で話すんだろう。
僕はたまらなくきいてみたいと思う。
休憩時間に、玲央がやってくる。
(……あ、紫織ちゃん、また笑ってる……)
紫織ちゃんは、俺のところに玲央が遊びにくると、嬉しそうな顔をする。玲央は、基本的に姉貴以外には社交性が高く、けっこう友達も多い。男女、先輩後輩、老若男女、いろんな、垣根を飛び越えて"人と人"として付き合えるような奴なので、大学でも人気者だ。見た目は北欧の王子みたいなんで、玲央推しの女子大生も沢山いる。昔から、外でぼんやりひなたぼっこでもしてると、猫や犬や鳥や、蝶々すら、無防備に寄ってくるぐらい。紫織ちゃんにも、良く話しかける。不思議となんとなく、話が通じてしまう。
紫織ちゃんはきっと、そんな玲央のことが好きなんだと思う。
…….何で、紫織ちゃんをあんな風に笑顔にできるのが、俺じゃなくて、玲央なんだろう。
……なんて、考えても仕方ないか。
あーあ………。
「ピンポーン」
そのとき。インターホンがなって、センチメンタルだった俺は、一気に現実に引き戻された。
兄貴が待ちかねたように言う。
「あ、いよいよ叔父さん来たわー。ほれ、律、若いところで早く迎えにゆけ。兄は少し酔ったので、すぐには動けませんよ。ゆっくり行くよ」
兄は既に耳が赤くなっている。
「まったく、酒好きはわかるんだけどさ、弱いなあ。はーい。おまちー。……もう、遅いんよ叔父さ~ん……..あれ?」
俺が玄関の扉を開けると、背が高く、丸い眼鏡をかけた、茶色いスーツに黒いリュックの男の人が立っていた。頭は寝癖でツンツンしていて、何かが入った、白いビニール袋を下げている。ん?この人は……。
「……あれ、君は、学生の葉山律くん……でしたよね。……こんばんは」
そこにいたのは、叔父の、"認知行動科学研究室"の、白石助教だった。
白石先生は、研究者というより「旅人」という言葉がよく似合う人だ。すごく頭がよくて、いつも、世の中を少し離れた所から冷めた目で見ている。幼い頃からあまり社会に馴染めなかったらしく、昔一人でインドやアメリカでバックパッカーしてた経験もあるからか、一見神経質で体力とかなさそうなのに、実は体力おばけで、突然フルマラソン走るし、バイクでしばらくどっかに消えちゃうし……"畑にぶん投げといたら、翌年勝手に図太く育ってしまった夏野菜"みたいな、どこか型にはまらない、制御不能な"生命力"に満ちていて、叔父に輪をかけた自由人で、だけどかなり人間臭い……どうにもつかみどころのないような、ちょっと変わった人なんだけど……なぜ、うちに?
「はあ。こんばんは。……先生、どうしたんですか?……え、叔父さんは?」
「あ。……もしかして叔父さん、というのは、葉山教授のことを指しているのでしょうか?……教授は今、まだ大学でお仕事をされています。そのため先程、私は教授から、今夜こちらのお宅に、ご自身の代わりに"何か土産を持って訪ねて行くように"、と仰せつかり、このメモの住所を便りに、やって参りました。葉山律くん、教授から、何か連絡は来ていませんでしょうか」
白石先生は早口で俺に聞いてきた。
「え、あ、いや……ちょっと聞いてみますね。……おーい兄貴、叔父さんから何か連絡きてる?!」
「はあ?なに?どうした、やあOJ(オージェー)~!!何だよおそいよ~……あれ?……あ、はは、こんばんは」
やってきたのが叔父さんだと思って気を抜いていた兄貴は、初めて見る人に慌てていた。少し酔いが冷めたようだ。シャキッとしだした。
「こんばんは」
「あ、この人、……白石先生」
「どうも、白石です」
俺が呆気にとられて説明をはしょってしまったので、酔った兄貴はよくわからなかったらしい。
「ん?……誰だって?………すいません、初めてお目にかかります……あの、どちら様でいらっしゃいますか?」
兄は赤い顔で、また先生に聞き直した。
「あ……お兄様ですね。もしかして今はちょうど……酩酊状態でいらっしゃいますでしょうか?……あの、ですから、先程も申し上げました通り、私は白石です。名前は颯介(そうすけ)と申します。30歳、性別は男です。国立東都大学で助教をしております。……名刺……。……あ、いけない、すみません、忘れました。ごめんなさい。どうも忘れっぽくて。ありません。一応、私は葉山教授の"部下"という立場になりますので、今日は葉山教授の依頼で、こちらに伺いました」
「……はあ、どうも……依頼?叔父から何の依頼ですか?」
兄貴は怪訝そうな顔をした。
「そうですね、……仕事の一環といえばそうですし、僕自身の人生を真剣に考える機会、と捉えればそうでもありますし」
「はあ……」
「……あれ?ほんとだ叔父さんじゃないね……あ、どうも、こんばんは」
姉貴が興味本位で玄関にトコトコやってきた。
こいつは昔から、火事とかお祭り騒ぎが大好きなんだ。
「……あ。もしかして、あなたが愛音さんですか。こんばんは」
「え?……ああ、はい。……どうも、はじめまして」
「はじめまして。白石と申します」
「はあ。どうも……」
「……ああ、律よ、OJからなんか連絡きてるわ。ほれ」
おれは兄貴とスマホを覗き、LINEの文面を見た。叔父は自分のことを、俺らにOJ(オージェー)と呼ばせる。おじさんの"おじ"なのか?なんなんだ。皆たまにしか呼ばないけど。
文面はこうだった。
「奏汰ヤッホー♪やあ、OJだよ。悪い、今日は研究の仕事がたてこんでしまって、行けなくなった!いい結果がでそうなんだ。だから、かわりにうちの部下の白石くんを行かせることにしたよ。奏汰さ、この前、"愛音の嫁の貰い手がない"って嘆いてたろ?そこで、ものは相談だ、今日行かせる白石くんさ、愛音の婿にどうかなあ?と思ってさ!彼は新進気鋭の研究者で、アメリカの名門ヨークトン大学を出ているよ♪ちょーっと変わってるけどね、なかなかね、見所のある男なんだ。彼、ものすっごく頭良くてね、"匂い立つような知性"っていうのかな?惚れ惚れするよ?将来性あるし。優しいし。とぼけたズボラな愛音にはぴったりだろ?見た瞬間はダサいけど、よく見たら、イケメンだし。かなり面白い奴だから、僕は、彼の事気に入ってるんだけどね♪じゃあね♪そゆことだから、奏汰よろしくね♪今日は残念ながらいけなくなっちゃったけど、来月はいくからね!OJはいつでも、君たちを愛してるよ♡」
「…………」
兄貴と俺は、叔父の謎LINEをみて、黙って暫くその場に立ち尽くしていた。そして、ゆっくりと顔を見合わせた。
……ヤッホー♪じゃないよ。玲央に、遥くんに、白石先生……どうすんだこの状況。赤いシャツ着て、ギャルピした可愛い写真まで添付して……いい歳して、なんでこんなキャピキャピした文面なんだ、うちの叔父は。今ギャルとでも付き合っているんだろうか。こないだは、韓流アイドル似の、コンサバ女子だったな。
……姉貴もひどい言われようだわ。
……まあ、要するにだ。
「……もしかしてこれ、姉貴のお見合い、ってことなのかな?」
俺は呟いた。
「……はい、そのようです。教授からそのように言われて私はここへ参りました。あ、すいません、それでこれ、お土産です。ここの、美味しいので。私、好物なんです。力がでるのでぜひ。揚げたてです。あ、10枚買いましたから」
白石先生は、近所のトンカツ屋さんのロゴの入った、ビニール袋に入った揚げたてのトンカツを、大量に差し出してきた。……確かに、ここのは分厚くて、うまい。……でも、何かズレてる。OJ、先生に、"刺身の会"って言わなかったのかな?
姉貴と兄貴は黙って、ぼーっと白石先生を見ていた。
状況を察したトトちゃんが、あわてて先生からトンカツを受け取った。美味しそうな油の匂いが、玄関にふわっと漂う。
「……あ、そうですか、どうもありがとうございます。ああー!まあ、これは沢山!おいしそう!……あら、まだホカホカ!揚げたて!ありがとうございます、さあさあ、上がって下さい、どうぞ先生」
「はい、では、すみません。お邪魔いたします」
「あれ?白石先生……?」
振り向くと、様子を伺いにきた玲央と遥くんが廊下に2人で立っていて、キョトンとしながら、こちらを見ていた。
ああ。
"浮腫んだ餅"と、"土着の番犬"と、"都会のトンビ"と、"野良夏野菜(トンカツ)"が一同に会した……。
……愛音をめぐったこの四つ巴が頭の中にアニメーションで浮かんできて、俺はまた笑いが込み上げてきてしまった。
【♪今日のBGM♪ フランシス・プーランク:『六重奏曲』】
♡まるでみんなでお喋りしてるみたいな、今夜の、この名付けようのない「なんだか楽しいカオス」を象徴するような一曲です。
※YouTubeの埋め込み機能を使用して紹介しています。
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*この物語はフィクションです。
実在の人物・団体とは一切関係ありません。
© 2026 Lulu Mukoda
