商工会の経営指導員③ 航太との出会い、過去との再開 【#創作大賞2025#お仕事小説部門】
春のある日、森田悠斗は商店街の巡回中、小さな和菓子屋の店先で懸命にチラシを配る少年と出会った。
「おにいちゃん、これどうぞ!」
小さな手から差し出されたのは、丁寧に手描きされた店のチラシだった。少年の名は松田航太。小学四年生。家業の「松田屋」は代々続く和菓子店だが、近年は売上が落ち込み、事業の存続が危ぶまれていた。
「おっ、頑張ってるね。お父さんのお店?」
「うん。お客さんがもっと来てくれたら、お父さんも笑うから!」
その笑顔は、悠斗の胸を刺した。昔の自分が重なったのだ。
——翌日。
商店街を巡回する悠斗は、ふと松田屋の店先からすすり泣きが聞こえるのに気づく。店内を覗くと、航太が机に突っ伏して涙を流していた。
「航太くん、、どうした?」
「学校で……“潰れそうなお店の子”って言われた……。『貧乏だから、お菓子も買えないんだろ』って……」
悠斗の心に、重たい記憶がよみがえる。かつて、自分の家も経営難で揺らぎ、同じような言葉を投げかけられたことがあった。
——あの頃の無力な自分。 何もできずに、ただ黙って家族の苦しみを見つめるしかなかった少年時代。
家に帰れば、食卓の会話は途絶え、工場のシャッター音が生活の終わりを告げていた。 「もう無理だ。借金もある。取引先も……」
金融機関に断られ、専門家に匙を投げられた。
そんな中、商工会の経営指導員だけは最後までなんとかしようと何度も何度も工場の状況を見にきてくれた。しかし、家業はもう施しようがないほどの状況であった。
「親切にありがとう。でもな、俺たちみたいな小さな工場が消えても、誰も困らんのだろ?」
「...........。」
経営指導員の顔には、拭いきれない悔しさと、自らを責めるような影が差していた。唇はかすかに引き結ばれ、眉間には深いしわが刻まれている。その胸の奥にある「もっと何かできたのではないか」という忸怩たる想いが、表情となって滲み出ているかのようだった。
——あの時、もっと早く、誰かが手を差し伸べてくれていたら。
目の前の少年の涙に、かつての自分を重ねながら、悠斗は航太の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だ、航太くん。お父さんのお店は、潰させない。」
それは、過去の自分に対する約束でもあった。
悠斗はその日の夜、松田屋の事業主である和夫と向き合っていた。
「売上は落ち続けていて、原材料費も高騰しています。ですが……それでも、息子に店を誇りに思ってほしいんです。」
松田和夫のその言葉に、悠斗の胸が熱くなった。
航太のためにも、この店の灯を消してはいけない。
ただ、現実は理屈では動かない。
SNSの運用支援、新商品の開発、ポスターのデザイン、キャンペーン戦略……支援策はいくつも思いついた。けれど、悠斗の中に一つの問いが浮かんで消えなかった。
——果たしてそれだけで、本当に救えるのだろうか?
その日、商店街を歩きながら、ふと目についたのは、シャッターが閉まったままの空き店舗の数々だった。
「隣の魚屋は先週閉店したそうだ」「八百屋の田中さんも、最近は仕入れを減らしているらしい」——そんな噂話が耳に入る。
個店を支援するだけでは、沈みかけた舟の一角を桶でかき出すようなものだ。
「問題は、“松田屋”ではなく“商店街全体”なんだ。」
悠斗は夜の会議室に一人戻り、白紙のノートを広げた。
「点ではなく、面で支援しなければ」——それが、“桜川マルシェ”の構想につながっていく。
賑わいを生む仕掛けを、もう一度この町に。
マーケットイベント。地元の飲食店、農家、職人、学生、町内会、観光協会……あらゆる人々を巻き込み、「人と人がつながる」場を作る。
「ただ商品を並べるだけの商売ではない、暮らしを感じる空間をつくるんだ」
——ふと、航太の顔が浮かんだ。
「大人たちが本気で町を守ろうとしている。それを、あの子に見せてやりたい」
悠斗は、A3用紙に「桜川マルシェ構想」と大きく書き、その下にメモを書き込んでいく。
・目標来場者数:3000人
・主催者:桜川商工会・有志の商店主グループ
・後援:桜川市
・特色:地元限定食材、ものづくり体験、こども縁日、学生の吹奏楽演奏
メモを取る手が止まらない。
「やるなら本気でやる。商店街を“希望の象徴”に変えるんだ」
深夜、会館の明かりが静かに灯り続けていた。
そして翌朝。
「森田くん、いつもより目がキラキラしてない?」
秋山が冗談めかして声をかけてきた。
「はい。ちょっと……新しい企画を考えたんです。商店街全体を元気にするような。」
「へぇ、それは楽しみね。どんなの?」
「“桜川マルシェ”って名前にしようと思ってます。みんなが主役になれる場所にしたいんです。」
その言葉に、秋山が少し目を見開き、そして静かに微笑んだ。
「桜川マルシェ」構想を胸に、森田は商店街の店主たちに声をかけ始めた。
松田屋を起点とした“点の支援”を“面の再生”に変えるため、彼の歩みは次第に町全体へと広がっていく。
最初に訪ねたのは、八百屋「田中青果」の店主・田中茂だった。
「マルシェ? またイベントか……」
田中は、段ボールを積み上げながら言った。
「いや、今度は違うんです。ただの出店じゃなくて、地元の人が主役になれる“体験型”のイベントにしたいんです。野菜の詰め放題とか、こども向けの野菜クイズとか——」
「……面白そうではあるけどな」
けれど田中の目は、どこか疲れていた。
「でもな森田くん。俺たちはもう、何度も裏切られてきたんだよ」
「裏切り……?」
「この十年で、何回イベントがあったと思う? どれも『町を元気にする』って言って始まったが、結局は一時的に人が来て終わり。客はイベント目当てで通り過ぎるだけで、うちの商品は売れない。残るのは仕入れと準備の疲労ばかりだ」
森田は言葉を失った。確かに過去の失敗例を知ってはいたが、目の前の田中の言葉には、諦めと痛みがにじんでいた。
次に訪ねたのは、雑貨店「堀文具店」。
「参加? 無理無理、うちはもう、そんな体力ないから」
「体力って……」
「精神的にもね。夢を見た分だけ、現実が冷たいのよ」
その後も、菓子屋、洋品店、理髪店……ほとんどの反応は冷ややかだった。
「……なぜ、やる前から諦めるんだ」
会館に戻った森田は、深く息を吐いた。
そこに、秋山が書類の束を抱えて通りかかった。
「おかえり。どうだった?」
「……全滅です。過去のイベントで傷ついた人ばかりで。『またか』って顔をされました」
秋山は立ち止まり、静かに言った。
「私も、最初は無理だと思ってた」
「え……?」
「でもね、航太くんの笑顔や、あなたのまっすぐさを見て、少し信じてみたいと思ったの。だから、もう少し一緒に頑張ってみない?」
その言葉に、森田の胸にわずかな灯がともる。
彼は静かに立ち上がり、机の上の資料を手に取ると、もう一度商店街へ足を向けた。
——けれど、その小さな灯が、すぐに冷たい風にさらされることになるとは、まだ知る由もなかった。
