【振り子の歴史;病院シリーズ⑤】心理士を知らない病院に新米心理士が来た3
私が精神科に非常勤で
採用されていた1年間については、
前回の記事にまとめてあります。
記事を見ていただければ分かりますが、
私は非常勤時代に職員旅行に参加し、
飲みの席で急きょ面接され
2009年3月1日~常勤採用となりました。
常勤採用の約10日前。
事務長から渡された1枚の用紙には、
次のように書かれていました。
(個人情報に関わる部分を一部改変しつつ、
なるべくそのままの文言で掲載します)
心理士【振り子さん】の常勤化に伴う周知
2009年2月20日
常勤開始日:2009年3月1日
配属先:リハビリ課
(デイケア室と作業療法室に加え、
新たに臨床心理室を創設)
業務内容:
①心理検査
1)発達及び知能検査
2)人格検査
3)認知機能検査/その他の心理検査
→医師はその方針を立て次第、
出来るだけ早く心理士にオーダーを出してください。
②デイケアにおけるSST等プログラムの実施
→デイケア室は毎月のプログラム計画時に
心理士とスケジュールを確認・調整し実施してください。
③作業療法におけるSST等プログラムの実施
→作業療法室は毎月のプログラム計画時に
心理士とスケジュールを確認・調整し実施してください。
④患者・家族への相談支援業務
→事務課の担当者および各病棟の担当者は、
その都度心理士へ依頼してください。
⑤入院精神療法の補助
→医師が前もって(最低2~3日前に)
計画を立て、心理士にオーダーを出してください。
ただし、
上記①~④が軌道に乗り円滑に進行ができる
ようになった後、取り入れます。
⑥思春期患者の対応
→上記①~④が軌道に乗り円滑に進行が
できるようになった後、取り入れます。
思春期外来を週2日程度曜日を決めて
午後のみ受け付ける計画があります。
以上、心理士は各部署からオーダーが
出された場合、速やかに課長に報告してください。
私のこの記事を読んで
くださっている数少ない
皆さま。
もし皆さまが新卒1年目で
初めて常勤心理士を雇う病院に入職し、
型落ちの(ほぼ意味を感じられない)
知能検査を散々させられた後に
上記の内容を伝えられたとしたら、
どのように感じるでしょうか。
私の場合は、
純粋にやる気に燃えていました。
ワクワクもしていました。
「これでようやく自分にも
まっとうな役割が与えられた」
と思い、ささやかながら
自己効力感が上がったのを覚えています。
それまで、
この単科の精神科(以降、D病院)は
地方にありがちな古い精神科でした。
診断の多くは統合失調症か、うつ病。
患者さんの年齢層は高め。
長期入院が基本モデルで
数年〜数十年単位の入院患者さんは
珍しくありませんでした。
あの当時、
作業療法やデイケアが出来たのも
臨床心理室創設のほんの数年前。
それ以前はSSTや心理教育などの
プログラムも無ければ日中の
作業療法プログラムも無く、
病棟は畳張りの大部屋に
患者さんが雑魚寝状態。
病棟の窓という窓に
重苦しい鉄格子がついている、
あのイメージです。
辛うじて年に
数回ある院内行事(カラオケ)と、
年に一度の院外活動(日帰りのバス旅行)が
患者さんの貴重な楽しみとなっていました。
地域精神医療・アウトリーチの
概念どころか、
生物ー心理ー社会モデルすら
ほぼほぼ未発達の、
時代に取り残された古い病院でした。
まさに「病院の中」で完結する
医療モデルとでも言いますか。
治療はもちろん薬物療法であり、
それ以外の選択肢はありませんでした。
今思えばあの当時のD病院は、
ただそこに在るだけで地域に対し
「精神病院=得体の知れない不気味な病院」
のイメージを与えていたと思います。
そして、
精神障がいに対する社会的な偏見の
増強に一役買ってしまうほど
閉鎖性が高かったとも思います。
実際、
私が電話帳を用いたローラー作戦で
D病院に電話した際も、
その事を伝えた他の院生や指導教官は
皆一様にD病院など聞いたことが無いと
言っていました。
※ローラー作戦については
以前の記事にまとめています。
同じ生活圏にありながら、
それだけ地域から姿を消した病院でした。
話が脱線しましたが、
そのようなD病院だっただけに、
とくに業務内容の
④患者・家族への相談支援業務と
⑥思春期患者の対応
からは、
まさに心理士が入ることで
病院全体がこれまでと異なる段階に
突き進もうとしているかのような、
完成を目前にして1ピース足りない
ジグソーパズルの最後の1ピースが
自分であるかのような、
そのような病院からの
強い期待感を感じ、
やる気に燃えていたのでした。
日本語には「茨の道」という
言い方があります。
これは困難や苦労が多い状況や
人生の過程を象徴する慣用句であり、
とげのある低木が生い茂る道を歩くような、
つらい状況を表します。
ただ、一つ言えるのは、
茨はあるけどれっきとした
「道」だということです。
この時の私は、
自分が進もうとしている先に
茨の道どころか何の「道」も無い
ということを知りませんでした。
それでも信頼できる先輩のような
水先案内人がいれば多少はマシ
なのでしょうが、
あろうことか、
そこを新米ただ一人で
抜けようとしていました。
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