イブ物語|判断寓話|エラとヨル|外伝 インテンション 第一話 RTB(帰還命令)
※ファンタジー小説『エラとヨル』外伝。
冒険者ギルド『インテンション』の物語です。
本編未読でも楽しめます。
敵を倒すだけでは、生き残れない。
これは、五人の冒険者が「判断」を学ぶ物語。
「全員、戦闘準備」
短い号令が、森に響く。
木々の間から現れたのは、異形の集団だった。
緑色の肌。
子供ほどの小さな体。
手には、剣とも呼べない粗末な武器を握っている。
ゴブリンだ。
数は十に満たない。
小規模な群れではあるが、この先にある開拓村にとっては、十分な脅威になり得る。
それに対するのは、装備を整えた五人の冒険者たち。
数では劣っているものの、これから始まる戦いに備え、整然と隊列を組んでいた。
まだ幼さの残る顔には、強い闘志が浮かんでいる。
号令に合わせ、三人が前へ出た。
盾を構え、横一列に並ぶ。
後方に控える二人は弓を構え、静かに合図を待っていた。
その様子を少し離れた場所から見守っているのは、赤い髪の女性だった。
彼女は戦場全体を見渡し、敵との距離を測る。
そして、ゴブリンたちが射程に入った瞬間、声を上げた。
「エンゲージ!」
号令と同時に、隊列の後方から矢が放たれる。
統制の取れた冒険者たちに対し、ゴブリンの群れはまとまりもなく、ばらばらに進んでいた。
立て続けに放たれた矢が、先頭を歩いていた数体を貫く。
ゴブリンたちは緑色の血を流し、甲高い奇声を発した。
赤い目をぎらつかせ、一斉に冒険者たちへ突進してくる。
「ガード!」
赤髪の女性の号令に、前衛の三人が即座に反応する。
盾を並べ、体を低く構えた。
直後、鈍い衝突音が響く。
ゴブリンたちが振り回す棒きれや錆びた刃が、盾へ激しくぶつかった。
前衛は攻撃を受け止め、その勢いごと盾で押し返す。
前衛が盾で敵の動きを封じた瞬間、その隙間を縫うように矢が放たれた。
狙い澄まされた矢が、ゴブリンの頭部を正確に貫いていく。
「ラッシュ!」
再び、短い号令が飛ぶ。
前衛の三人は一斉に盾を突き出し、ゴブリンたちを弾き飛ばした。
そのまま剣を抜き、一気に距離を詰める。
統率された斬撃が、容赦なくゴブリンたちへ襲いかかった。
一体。
また一体。
瞬く間に、緑色の躯が地面へ転がっていく。
戦意を失った残りのゴブリンたちは、甲高い奇声を上げながら森の奥へ逃げ出した。
前衛の冒険者たちは、その背中を追おうと足を踏み出す。
しかし、その瞬間。
「RTB!」
鋭い号令が飛んだ。
冒険者たちは即座に足を止める。
互いの顔を確認すると、逃げるゴブリンを追うことなく踵を返した。
RTB。
――Return To Base。
追撃を中止し、隊列へ帰還せよ。
訓練で何度も叩き込まれた撤収命令だった。
五人の冒険者たちは駆け足で戻り、赤髪の女性の前へ整列した。
「ディア教官。俺たちは、まだ戦えます!」
真っ先に整列した黒髪の少年が、語気を強めた。
剣は鞘に納めているものの、その手は、すぐにでも柄を握り直したそうに動いている。
周囲の仲間たちは、その声を聞いて、また始まったという表情を浮かべた。
ディアは黒髪の少年へ鋭い視線を向ける。
「ライアン。今回の目的は何?」
その一言で、空気が凍った。
薄暗い森に、一瞬の静寂が訪れる。
「開拓村を襲うゴブリンの排除です」
ライアンは真っすぐにディアを見つめ、答えた。
「では、想定される敵の総数は? 拠点の位置は?」
「……」
答えられない。
ライアンは拳を握り、視線を落とした。
「私たちは勝っていました。あのまま追撃していれば、殲滅できたかもしれません!」
ライアンの隣に並んでいた少女が、声を上げる。
長い金色の髪を後ろで結んだ、目鼻立ちの整った少女だった。
背には、使い込まれた弓を負っている。
まだ幼さは残るものの、強い意志を宿した金色の瞳が印象的だった。
「かもしれない……?」
ディアは、彼女の言葉を確かめるように呟いた。
「レーア。冒険者が一番やってはいけないことは何?」
ディアの声は低かったが、怒気はなかった。
未熟な答えを責めるのではなく、正しい言葉を待つような声だった。
「……思い込みによる前進です」
レーアは歯切れ悪く答えた。
ディアは一瞬だけ緩みかけた表情を戻すと、整列する五人の前をゆっくりと歩き始めた。
一人ずつ表情を確かめるように、視線を向けていく。
「そう。この森は、まだ探索し尽くされていない。ここから前進できたとして、その先の退路は? 補給は?」
投げかけられた一つ一つの言葉が、森の中へ沈んでいく。
「ですが、それでは、いつまで経っても村は安全になりません」
一番背の高い青年が口を開いた。
落ち着いた表情のまま、淡々と話す。
青い髪。
革鎧を身につけた軽装。
背中には弓を背負っている。
「ヒロ。では、あなたはどうするべきだったと?」
「掃討ではなく、追跡するべきだったと思います」
ヒロは顔色一つ変えず答えた。
「なるほど。ヒロ、あなたの矢の残数は?」
ディアは、ヒロの腰に下げられた矢筒へ目を向けた。
「……三本です」
ヒロの表情が、ほんの一瞬だけ曇る。
しまった。
そう言いたげな顔だった。
「矢は三本。使用した矢も回収していない。敵の本拠地かもしれない森へ、そのまま入るの?」
ヒロは何も答えられなかった。
ディアの話し方が変わったことに気づき、短髪の少年が慌てて口を挟む。
「ディアさん。ライアンもヒロも、悪気があって口答えしているわけじゃないんで、もう少し……」
「ディアさん?」
自分の呼ばれ方に反応し、ディアの眉間へ深い皺が刻まれていく。
銀髪の少女は、眠たげな目でその顔を見つめた。
「ディア教官。失礼しました」
抑揚のない声で言うと、隣に立つマークの後頭部へ手を置く。
「マークも」
そのまま、ゆっくりと頭を押し下げた。
「何するんだよ、リア」
「謝罪」
リアは表情を変えない。
「今、必要だから」
マークは不満そうに顔を上げかけたが、ディアの顔を見た瞬間、素直に頭を下げ直した。
「アテンション!」
ディアの号令が響く。
整列していた五人は、瞬時に姿勢を正した。
「腕立て伏せ、用意!」
ディアの掛け声に、五人が声をそろえる。
「一、二!」
「一」の掛け声で全員がその場へしゃがみ込み、「二」で両手と両足を地面につける。
腕立て伏せの姿勢を取るまでの二つの動作。
教練で幾度となく繰り返してきた、一連の動きだった。
ディアもまた、彼らの前で同じ姿勢を取る。
「始め!」
号令とともに、五人は腕を曲げた。
「一、二、三……」
ディアのカウントに合わせ、五人は腕立て伏せを続ける。
誰かの腕が震えても。
誰かの腰が落ちても。
ディアの声は止まらない。
薄暗い森の中には、その後も長いあいだ、彼女のカウントだけが響き続けていた。
*
夕暮れ。
開拓村の近くに設営されたテントの中に、横たわる五人の姿があった。
今日は、彼らにとって初めての実地訓練だった。
冒険者ギルド『インテンション』に所属する五人にとって、ようやく夢が叶った日でもある。
しかし今は、その喜びを味わう余裕など残されていなかった。
動かなくなった腕をさすりながら、マークがぼやく。
「街にいたときより、きつくないか?」
「あれは、お前が悪い」
ヒロはそう答えると、手にした弓の弦を軽く弾いた。
「だいたいのことは、マークが悪い」
「それは言いすぎだろ」
「呼び方。教官で統一」
銀髪の少女リアは、簡易ベッドにうつ伏せになったまま言う。
「いやいや。あれはリアが謝ったりしたから……」
「私たちの準備不足だよ」
レーアが、マークの言葉を遮るように呟いた。
焚き火の明かりを受けて、金色の髪が静かに揺らめいている。
「あれは勝てた戦いだった」
焚き火の近くに足を投げ出したライアンが言う。
「俺とマークとリアは、まだ戦えた。後衛のレーアとヒロだって……」
「ディア教官の言ったことは正しいわ」
レーアは唇を噛み締めながら言った。
「初めての実戦。分からない地形。限られた装備。どれを取っても、撤収するのが正しい」
「でも、それは次があるからだ」
ライアンは、揺れる炎を見つめる。
「その次が、なくなる可能性は?」
レーアの金色の瞳が、焚き火を映した。
「あのとき、みたいに……」
ぱちりと、薪が弾ける。
一瞬の静寂が流れた。
「まあ、でも今日の飯にありつけたのは、あそこで引き返したおかげだな」
マークがわざとふざけた調子で言い、腹をさすった。
誰も返事をしない。
マークは短い髪を掻くと、困ったように笑った。
「俺たちは、あのときとは違う」
その声から、ふざけた調子が消える。
「もう、何もできないガキじゃないんだ」
マークは近くに置かれていた外套を拾い上げ、ライアンへ放った。
「明日がある」
ライアンは飛んできた外套を受け取る。
少しだけ目を見開いたあと、黙ってそれを肩へ掛けた。
マークはその様子を見届けると、にやりと笑った。
「だから、今日の夜警はお前からな!」
その一言に、テントの中で小さな笑い声が上がった。
*
ぱちりと、焚き火が弾ける。
少し離れた場所から五人の姿を見つめていたディアは、机に広げた地図へ視線を戻した。
開拓村を中心に描かれた地図には、周辺の地形や目撃情報が細かく書き込まれている。
「心配しすぎじゃないか?」
声をかけてきたのは、両手にカップを持った青い髪の青年だった。
整った顔立ちと中性的な容姿。ひと目見ただけでは、性別さえ分からない。
青年が差し出したカップから、白い湯気がゆっくりと立ち上っている。
ディアは黙ってそれを受け取った。
両手で包み込むように持ち、ゆっくりと口をつける。
「熱っ」
思わずこぼれた声に、青年の口元が緩んだ。
彼は夜空を見上げながら、ディアの隣へ腰を下ろす。
「相変わらずの猫舌だな」
「シーズ。分かってやっただろ」
ディアが睨みつける。
シーズは空を見上げたまま、肩をすくめた。
五人のいるテントから、小さな笑い声が聞こえてくる。
ディアは地図へ視線を落とした。
「もう、間違えたくない……」
カップを置き、地図の端を強く握る。
「ああ。だから俺たちがいる」
シーズは静かに答えた。
「致命的な間違いをする前に、あいつらを止めるためにな」
ディアは何も言わない。
「でも、考える前から、すべての間違いを取り上げる必要はないんじゃないか?」
「間違える機会……」
ディアの瞳が、わずかに揺れた。
「間違えることは、自分たちで考える機会にもなるって話さ」
シーズは立ち上がると、ライアンが夜警へ向かった方角へ歩き始めた。
「少し見てくる」
その背中を見送りながら、ディアは小さく息を吐く。
「どっちが心配性なんだか」
呆れたように呟き、もう一度カップを持ち上げた。
今度は、慎重に息を吹きかけてから口をつけた。

第二話🔜
◾️ライアン

◾️レーア

◾️ヒロ

◾️マーク

◾️リア

