イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第五十三話 記録にない方角
祭りは終わったはずだった。
しかし、その残火は思わぬ方角へと伸びていた。
私はまだ、この後に訪れる出来事を予想すらしていなかった。

エラとヨル 第五十三話
【記録にない方角】
早朝のディケの呼び出しに応じた私たちは、中央殻都のLAG本部を訪れていた。
案内された部屋は、いつもの部屋とは違う、最上階の部屋だ。
短いノックとともに、中へ入る。
部屋は広く、ソファや豪華な調度品が並ぶ、応接室のような場所。
長机には、砂漠の薔薇のローズとディケが並んで座っている。
さらにその隣に、見慣れない女性が座っていた。
黒と紅色のローブを纏い、長い灰色の髪を編んだ二十代の女性。
近くにある杖を見ると、魔法使いのようにも見える。
ただ、態度は妙に落ち着いており、私たちを一瞥すると、すぐに視線を戻した。
「地図職人のヨル殿と、その一行をご案内しました!」
同行していたLAGの職員が声を張る。
緊張した面持ちからすると、かなり立場のある者たちが集まる場のようだ。
その声の先には、窓から外を眺めていた一人の男がいた。
男は振り返ることなく、片手をひらひらと振り、職員の退室を促す。
その様子を見ていたディケが咳払いをすると、話し始めた。
「急な呼び出しに応じていただき、ありがとうございます」
普段のディケとは違う、堅苦しい声が続く。
「ご紹介させていただきます」
ディケは、まず隣に座る女性へ目を向けた。
「砂漠の薔薇から、会頭ローズ様」
ローズはソファに座ったまま、片手を上げる。
一瞬、こちらに視線を送ると、口元を上げた。
「続いて、赤い瞳からは、第三席ハーミット様」
そう呼ばれると、ハーミットは軽く頭を下げた。
また、十二使徒の影だ。
第三席。
フールに続く上席者なのは、その空気でわかる。
サンはいつもの仮面をつけている。
ーーよかった。
私はサンを見て胸を撫で下ろしていた。
今のところ、気づかれてはいないようだ。
「そして、地図職人ヨル殿ご一行」
私は立ち上がり、頭を下げた。
ディケはそのまま続ける。
「LAGからは私、次席監査官ディケと……」
「LAG長官のユングだ」
ディケの言葉を遮るように、男が言った。
窓の外を見ていた男が、ようやく振り返る。
五十代ぐらいの小太りな男性。
白髪で、襟足以外に毛がない頭を撫でながら、めんどくさそうにこちらを見ている。
「今日集まっていただいたのは、街の異変についてだ。ディケ監査官、説明を」
「はい」
ディケが立ち上がり、机の上に大きな地図を広げた。
砂漠地帯の地図を見るのは初めてだった。
点在するオアシスと、キャラバンの拠点らしき印が書き込まれている。
地図に興味を示したエラが、身を乗り出して覗き込んだ。
「ご存知の通り、ルーベントはギガントタートルの上にある移動都市です」
ディケは、地図の上に小さな亀の石を置く。
「ただ、移動周期は決まっており、これまでルーベントは、点在するオアシスとオアシスの間を周回してきました」
ローズが退屈そうにあくびをしている。
「オアシスに到着すると、二日から三日はそこに留まります。その間に、我々は水と食糧、その他の物資を補給していました」
地図上の現在位置と思われる場所に、亀の石が置かれる。
その瞬間、ローズの眉がわずかに動いた。
「異変というのは、これです」
そう言うと、ディケは亀の石を、オアシスのない方向へと動かした。
「ギガントタートルが、これまで記録にない方向へ進んでいます」
短い沈黙。
「間違いじゃないのかい?」
ローズが鋭い眼光を飛ばす。
ディケは小さく首を振った。
「LAGの観測班が、星の位置と地表目標から算出した現在地です。誤差はあっても、進行方向を取り違えることはありません」
ディケはメガネを指で押し上げて答える。
「それで。何が問題になるのかしら」
ハーミットが初めて口を開いた。
落ち着いた声だが、どこか他人事のような言い方だった。
いや。
他人事なのではない。
わかっていて、聞いている。
そんな声だ。
ディケはひと息吐いて続ける。
「ギガントタートルが、たまたま進行方向を間違えたのなら良いのです。しかし昨日、大きく方向転換を行ったばかりです」
「こちらの方向には、少なくとも三週間はオアシスがありません」
ローズは顎に手を当て、目だけで地図の距離を測っているようだった。
「街の水の蓄えは、節約しても二週間程度」
「このままオアシスにたどり着けたとしても、その頃には、我々が干上がってしまいます」
私は息を呑んだ。
地図を作りながらわかったことだが、街の人口は三万人を越えている。
しかも、行政機能が弱いルーベントでは、統制が効かないのはわかりきっていた。
ディケは手元の書類を見ながら続けた。
「このような動きは、過去の記録からも確認できていません。何らかの原因があることは明白です……」
その言葉を、またユングが遮る。
「偶然かもしれない。正式な異常と認定するには、まだ早いだろう?」
――この人は話を聞いていたのか?
私はユングのズレた発言に苛立ちを覚えるが、先に沈黙を破ったのはローズだった。
「わかっちゃいないね、このハゲは!」
ローズが怒鳴る。
「何百年も繰り返していた移動が、たまたま? 偶然? そんな簡単に起こるわきゃないだろ!」
部屋全体が揺れるような声。
ローズの言葉に、ユングは唇を噛み締めている。
「いちいち、大声を出さないでくれる?」
ハーミットは冷たい視線をローズに向けた。
「はっ! この若作りのババア。てめえみたいに魔法で若返ってる奴にはわからないさぁね」
「働く奴らには水がいる。それが止まれば、街も止まるさ」
煽るようにローズが言う。
一瞬で空気が変わる。
ハーミットの周りに、小さな火が浮かび始めた。
――ここで、戦争でも始める気?
「だからこそ!」
その空気を切るように、ディケが声を上げた。
「だからこそ、原因を突き止めなければいけません」
ディケの普段とは違う声を聞き、二人がディケを見つめた。
ローズは手をやりかけた腰の剣を抜かずに、ソファにどかりと腰を下ろした。
「ちっ、興醒めだ!」
それと同時に、ハーミットの周りの火も解けていった。
ディケは二人を見て、ひと息吐く。
「話を戻します。今回の異変調査のため、ルーベント行政法第九条の発動を動議します」
「あん? なんだい、そのなんちゃらって法律は」
ローズが聞き返したが、ディケはユングを見つめながら話す。
「ルーベント行政法第九条。都市緊急事態時にのみ適用できる強硬法です。一時的な管轄区域の停止、越権行為の許可などが含まれます」
「今回、この法を用いて行うのは、全区画の調査および探索です」
ディケの前には、すでに封蝋の押された書類が数枚、整然と並べられていた。
まるで、この場で誰が何を言うのかまで、先に決まっていたみたいに。
ディケの言葉に、明らかにユングが動揺する。
「ディケ君、そこまでする必要があるのかい? 管轄区域は各代表組織が責任を持って……」
「それでは意味がありません。ルーベントが生きるか死ぬかの状況なのです。徹底した捜索が急務です」
ディケの言葉は止まらない。
「この法の発動には、LAG、赤い瞳、砂漠の薔薇のうち、二組織以上の賛成が必要になります」
一拍あけて、話す。
「LAG内部規定に基づき、監査部門による緊急動議の手続きは、すでに完了しています」
ユングは目を丸くしていた。
明らかに知らされていない素振りだった。
「そんな話、聞いてないぞ、私は!」
ユングが叫んだ。
ディケはメガネをクイッと指で上げると言う。
「えぇ。教えていませんから」
その声は、驚くほど冷静だった。
「長官。この時刻をもって、あなたは解任されました」
部屋の空気が止まった。
「長官が不在となった場合、次席監査官が長官職を代行します」
私は目の前で何が起きているか、理解するのが間に合わない。
ディケが合図すると、部屋の外からLAGの職員が入ってくる。
何かを叫んでいるユングは、そのまま連行されていった。
扉が閉まるまで、誰も口を開かなかった。
静寂を取り戻した部屋で、ディケがいつもの調子で話し始めた。
「はい。はい。では、議事を再開します。ここからは多数決です」
――切り替えが早い。
私はオトを見るが、苦笑いを浮かべている。
「第九条に賛成の方は、挙手願います」
ディケが手を上げながら言うと、つまらなそうな顔をしたローズも手を上げる。
一同の視線がハーミットに集まった。
そんなことを一切気にしない素振りで、ハーミットは答えた。
「私はあくまで総裁の代理。決定は総裁が下されます」
表情一つ変えずに言う。
「ただし、すでに決定事項とあっては仕方がありませんね」
そう言うと、ディケが頷く。
「では、三組織の合意の下、第九条を発令します」
私はまだ、自分たちがなぜこの場に呼ばれたのか、理解していなかった。
私たちの役目もまた、記録にない方角を向いていたのだ。

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