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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第五十六話 怪物大戦争


怪物たちが暴れていた。

街は燃え、人々は逃げている。

それでも誰かが止めてくれると、どこかで思っていた。

けれど、この街にはもう、止められる者の方が少なかった。


エラとヨル 第五十六話
【怪物大戦争】


開始の合図はなかった。

ディアの剣の刀身が、赤く燃え上がる。
その瞬間、ディアは吊るし人へ斬り込んだ。

吊るし人は半身を捻り、剣先を躱す。
同時に、手にしたナイフを鋭く突き出す。

首元へ、顔へ、鎧の継ぎ目へ。

ディアの守りが薄い場所だけを、正確に狙ってくる。

だが、ディアはそのすべてを見切っているかのように、軽々と躱していた。

吊るし人は、不敵な笑みを浮かべている。
まるで、この戦いを楽しんでいるように。

「さすがに、竜祀教の隊長さんは違うねー」

煽るように言いながらも、その手は止まらない。

けれど、私はふと違和感を覚える。

吊るし人は笑っている。
楽しんでいるように見える。

でも、その目はディアだけを見ていない。

燃え移りかけた布、倒れた木箱、逃げていく人影。
そして、路地の奥に消えていく炎の気配。

それらを、戦いの合間にちらりと見ている。

まるで、どこまで燃えたかを確かめているように。

ディアの視線は冷静だった。
吊るし人の一突き、一突きを、正確に目で追っている。

吊るし人の踏み込みが、わずかに大きくなる。

その瞬間。

ゴッ、と大きな音を立てて、ディアの剣が炎を纏う。

一振り。

ディアの剣が、空気ごと焼く。

吊るし人は身を引くが、避けきれない。
服の端を炎がかすめ、そこから小さく火が上がる。

「おっと」

吊るし人は慌てたように見せながら、軽く火を払う。

けれど、その足はただ下がっているわけではない。

燃えた布切れが落ちる位置、ディアの剣から散った火の粉、それらが風に流される先。

吊るし人は、その全部を見ている。

手数と素早い動きで迫る吊るし人。
それを正確に捌きながら、重い一撃を返すディア。

私は息を凝らして、見つめることしかできない。

隣にいるサンは、二人の動きを冷静に見ている。

ただ見ているのではない。
何かを分析するように、確実に追っている。

私が見失いそうになるより早く、サンの視線は次の動きへ向かう。
まるで、相手の動作を覚えているかのようだった。

「アチっな!」

服の端の焦げ目を叩きながら、吊るし人が笑う。

そして、軽技のように後方へ宙返りを繰り返し、距離を取る。

その途中で、焦げた布の欠片が地面に落ちる。
小さな火が、乾いた木片に移った。

吊るし人はそれを、ほんの一瞬だけ見る。

そして、何事もなかったように笑う。

――次元が違う。

腰のシルベが熱くなるのを感じる。
けれど、夜ほどの反応はない。

この戦いには、まだ立てない。

そう実感して、私は少し唇を噛んだ。

「あの人の鎧は厄介ですね」

サンが、独り言のように口を開く。

「鎧の周りの空気が違います」

その言葉で、私はディアの鎧に目を向けた。

この暑さの中で、あれほどの重装備をしていれば、普通なら汗をかいていてもおかしくない。
けれど、ディアの表情は涼しげに見える。

二人の戦闘は続いている。

燃え上がった剣の炎が、ディアの鎧へ落ちる。
だが、その炎は鎧に触れた瞬間、かき消される。

まるで、冷気を纏っているようだった。

キン、と高い金属音が響く。

吊るし人のナイフが、ディアの鎧を叩く。
しかし、鎧には傷一つつかない。

吊るし人は驚いたように、手の中のナイフを見つめる。

「おい、それ反則だろ?」

ナイフには、細いヒビが入っていた。

ディアは、その言葉に答えない。

次の瞬間、炎を纏った剣が、空気を切り裂く。

「アチっ、アチっ、ちょ、待てよ」

飛び散る火の粉を払いながら、吊るし人は後ろへ下がる。

さっきまで笑っていたはずの男が、少しずつ押され始めている。

けれど、私はもうその笑みを素直に見られなかった。

押されている。
それは確かだ。

でも、吊るし人が下がるたびに、炎は別の場所へ移っている。

倒れた木材、軒先の布、乾いた壁。
戦いが広がるたびに、街が燃えていく。

鼻を刺す臭いと、黒い煙が広がっていく。
二人の戦いに巻き込まれないように、人々が逃げ始めていた。

遠くで笛が鳴る。

LAGの憲兵たちが、燃える通りの手前で住人を押し戻している。
逃げる者を誘導し、倒れた者を抱え、道を塞ぐ荷車をどかしている。

けれど、誰も二人の間には入れない。

剣と炎とナイフが交差する場所だけが、街の中から切り離されていた。

「あそこには近づくな!」

誰かの叫び声が聞こえた。

その判断は正しい。
正しいのに、間に合っていない。

辺りを見渡す。

ディアの剣からこぼれた炎が、近くの家に燃え移っている。

「サン。これ以上はまずいよ」

私はシルベに手をやり、サンを促す。
けれど、サンは動かない。

「まだです」

その声は低かった。

サンは、何かが来るのを予測しているようだった。

視線を戻すと、ディアの剣が空気を割いていた。

ドォゴォォオオオオン!

大きな音とともに、近くの家の壁が崩れる。

瓦礫の中に、頭を押さえる吊るし人の姿があった。
周囲には、炎が広がっている。

その姿を見下ろすディアは、冷徹な視線のまま剣を吊るし人へ、振り落とそうとしていた。

その時だった。

突然近くの家が、大きな音を上げて崩れ落ちる。
爆風とともに、大きな影が舞い落ちた。

「今度は、なに!?」

私は砂埃に咽せながら、目を凝らす。

爆風の中心にあったのは、巨大な鉄槌だった。

地面に深くめり込んでいる。
人の身体ほどもある大きさだ。

――誰かが、投げたの?

「お前ら、勝手に楽しんでんじゃねぇよ!」

怒号が、空気を揺らす。

声の先にいるのは、全身を筋肉の鎧で包んだドワーフだった。

長い髭に、黒い部分鎧。
特徴的な兜の下で、鋭い眼光を光らせている。

無駄のない筋肉を持つその男は、口元だけを吊り上げていた。

そして、人の胴体ほどもある鉄槌を、片手で提げている。

提げているのだ。
それを。

サンが、額に手をやる。

「第九席【戦車】」

その声には、明らかな嫌悪が混じっていた。

「チャリオット。最悪です」

――戦車。

十二使徒の影。

それだけは、すぐにわかった。
けれど、サンの言葉が気になる。

最悪。
サンは、そう言った。

チャリオットはディアを見る。
吊るし人を見る。
そして、燃えている街を見る。

それだけ確認してから、空気を震わせるような声で叫んだ。

「女帝の命令だ! お前ら、手を引け!」

止めに来た。
そう思った。

だが、ディアはチャリオットを見ることもしない。
そのまま、吊るし人へ向けて剣を振り上げる。

「だから!」

チャリオットの声が、さらに大きくなる。

「お前らだけで!」

家の柱に手をやる。
血管が浮かび上がり、柱が軋む。

「遊ぶんじゃねぇ!!」

チャリオットは柱を根元から引き抜き、そのまま投げ込んだ。

柱が、唸りを上げて飛ぶ。
ディアは後ろへ跳び、それを避ける。

柱は家の壁を貫通し、向こう側へ消えていく。

――止めに来たんじゃないの?

チャリオットの言葉は戦闘の停止を促すはずなのに、逆に炎に薪をくべるように聞こえる。

そこでようやく、ディアの視線がチャリオットへ向いた。

「よぉおし! こっち向いたな! 俺は確かに言ったからな、手を引けと」

ディアはチャリオットに体を向け、剣を構え直す。
刀身が炎を纏い始める。

「お前、いいもん持ってんな?」

チャリオットはディアの鎧と剣に目をやる。

「アイスドラゴンの鱗とドラゴンの歯か?」

ディアは答えない。

ドラゴンの素材で出来た装備なんて、聞いたことがない。
でも、竜祀教なら持っていても、おかしくはないと思った。

「だがな!」

チャリオットは巨大な鉄槌を片手で持ち上げながら笑う。

「最後は筋肉がものを言うんだ!」

その一言には、どこか本気がある。

そう言うと、ディア目掛けて鉄槌を振り落とした。

それは、音というより衝撃だった。

腹の底まで響くような揺れに、私は思わず壁に手をつく。

足元の石畳には、亀裂が走っている。
爆風とともに砂と瓦礫が舞い上がる。

煙の向こうに、ディアはいた。

数歩先に着地し、剣を構え直している。
鎧に傷一つない。

チャリオットは、それを見て笑う。

強敵を見つけた子どものように、心底嬉しそうに。

「やるじゃねぇか!」

チャリオットは鉄槌を振り回しながらディアに近づく。
その進路上にあるものを、ことごとく壊していく。

ディアが攻撃を避けるたびに、家が消え、壁が崩れた。

そこへ、瓦礫の陰から吊るし人が這い出してくる。

「いやー、派手だねぇ」

笑いながら、吊るし人はナイフを構え直す。

ディアの炎、チャリオットの鉄槌、吊るし人のナイフ。

三者が動くたびに、街が削られていく。

家が消え、壁が崩れ、路地が塞がれていく。

戦いではなく、整地だと思った。

LAGの憲兵たちが、さらに人を遠ざけようとしている。
だが、次にどの壁が砕けるのか、どこへ炎が飛ぶのか、誰にもわからない。

「止めます」

その様子を見たサンが、立ち上がる。

私もシルベを抜いた。

この戦いには、まだ立てない。
それはわかっている。

けれど、これ以上見ているだけではいられなかった。

飛び出そうとした。

次の瞬間、チャリオットの巨体が横から弾き飛ばされた。

何が起きたのか、目で追えない。

遅れて轟音が届き、壁が崩れ、砂埃が一気に広がる。

チャリオットは壁を二つ、三つと貫いて、ようやく止まった。

砂埃の向こうに、人影がある。

大柄な隻眼の女が、ゆっくりと拳を下ろしている。

「あんたら」

ローズの声は低い。

怒鳴っているわけではない。
だからこそ、周囲の炎よりも重く響く。

「私の街で好き勝手やってんじゃないよ」

その言葉が、炎の中に静かに沈んでいく。


🔙第五十五話   第五十七話🔜



創作大賞2026 ファンタジー小説部門 投稿作

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