イブ物語|判断寓話|エラとヨル|外伝 インテンション 第五話 NLB(誰も残さない)
※ファンタジー小説『エラとヨル』外伝。
冒険者ギルド『インテンション』の物語です。
本編未読でも楽しめます。
敵を倒すだけでは、生き残れない。
これは、五人の冒険者が「判断」を学ぶ物語。
「右。抜ける!」
マークが叫ぶ。
その声とほぼ同時に、盾の脇から飛び込もうとしたゴブリンの頭部が射抜かれた。
後方で弓を構えていたヒロが、小さく頷く。
洞窟入口での混戦は、まだ続いていた。
ゴブリンを倒すたび、洞窟の奥から新たな敵が現れる。
前衛が押し返し、後衛が生まれた隙を狙って仕留める。
その繰り返しだった。
ライアンは肩で息をしながら、仲間たちへ視線を走らせる。
マークは盾を前へ突き出し、正面から襲いかかるゴブリンの攻撃を弾いていた。
だが、その動きにはもう余裕がない。
リアの顔にも、焦りが浮かび始めている。
「矢の残数、五」
後方からヒロの声が届いた。
ライアンは一瞬だけ、足元へ視線を落とす。
倒したゴブリンの死体が、いくつも転がっていた。
踏み場は狭まり、足を取られれば、そのまま押し切られかねない。
「そろそろ限界か……」
目の前のゴブリンの胸から剣を引き抜き、ライアンは腰の鞄へ手を伸ばした。
その時だった。
「前方。新たな敵!」
マークの声が洞窟内に響く。
奥の暗がりから、これまでのゴブリンとは明らかに違う巨体が姿を現した。
太い腕。
盛り上がった肩。
手には、人間の胴ほどもある棍棒を握っている。
「ホブゴブリン!」
ヒロが叫んだ。
次の瞬間、ホブゴブリンが棍棒を横薙ぎに振るう。
マークは咄嗟に盾を構えた。
だが、衝撃を受け止めきれない。
鈍い音とともに、マークの身体が盾ごと横へ吹き飛ばされた。
「マーク!」
リアが叫ぶ。
ホブゴブリンは口元を吊り上げると、棍棒を肩へ担ぎ、周囲のゴブリンたちへ向けて咆哮した。
空気そのものが震える。
直後、ホブゴブリンは棍棒を振り上げた。
狙いは、リア。
「まずい!」
ヒロが弓を引き絞り、ホブゴブリンの頭部へ矢を放つ。
だが、ホブゴブリンは首を僅かに動かしただけで、それを躱した。
矢が背後の岩壁へ突き刺さる。
棍棒が振り下ろされようとした、その瞬間。
何かが、ホブゴブリンの足元へ投げ込まれた。
ライアンが腰の鞄から取り出した、黒い球だった。
黒い球が地面へ叩きつけられる。
乾いた破裂音。
直後、黒い煙が一気に広がった。
「状況、ガス!」
ライアンの号令が響く。
「状況、ガス!」
マークが繰り返す。
「状況、ガス!」
リアもすぐに続いた。
三人は胸元の布を引き上げ、鼻と口を覆う。
黒い煙が洞窟入口を包み込み、ホブゴブリンとゴブリンたちの姿を飲み込んでいく。
「フォールバック!」
ライアンの声を合図に、四人は一斉に後退を始めた。
煙の中からゴブリンたちの奇声が響く。
続いて、棍棒が地面を叩く重い音が轟いた。
砕けた小石が、四人の背中へ飛んでくる。
それでも、誰も振り返らなかった。
四人はそのまま、負傷したレーアが待つ場所まで走った。
「レーア!」
ライアンとリアはレーアの左右に入り、その腕を肩へ回して身体を支える。
足に巻かれた包帯は、すでに赤く染まっていた。
「うっ……」
身体を動かすたび、レーアの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
それでも、ライアンたちは足を止めなかった。
五人は追手を振り切るため、森の奥へと移動を続けた。
*
森の奥。
日は大きく傾き、木々の間から少しずつ明るさを奪っていた。
レーアの顔色は悪い。
声を出す余力すら、ほとんど残っていないようだった。
追手との距離が十分に離れたことを確認すると、一行は大きな木の根元で足を止めた。
ライアンとリアが、レーアの身体を幹へ預けるように座らせる。
全員が荒い息を整えた。
「ライアン。煙玉は、あといくつある?」
マークが額の汗を拭いながら聞く。
「さっきので最後だ」
ライアンはレーアの様子を見つめたまま答えた。
「緊急時を知らせるために、ディア教官から一つだけ渡されていた」
リアが水筒を取り出し、レーアの口元へ運ぶ。
しかし、レーアはその手を弱々しく押し返した。
「指揮権を……ライアンに委譲する」
掠れた声だった。
レーアは胸元から、折り畳まれた地図を取り出した。
その手は、僅かに震えている。
地図の端には血が付着していた。
レーアはそれを押し付けるように、ライアンへ差し出す。
「それと……最後の命令」
短く息を吸う。
「私を置いて、逃げて……」
静寂が落ちた。
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
地図を受け取ったライアンは、レーアの金色の瞳を覗き込むように見つめる。
そして、静かに頷いた。
その姿を確認すると、レーアは僅かに微笑んだ。
「ライアンなら……できる」
覚悟を決めたような声だった。
一同の視線が、ライアンへ向けられる。
ライアンは小さく息を吐いた。
それから、全員に聞こえるよう、はっきりと命令を伝えた。
「戦闘準備」
レーアが目を見開く。
「……え?」
何かを言うより早く、ライアンは続けた。
「全員、装備確認」
その声に迷いはなかった。
「マークとヒロ。俺とリア。それぞれツーマンセルで動く。左右に分かれて伏撃する」
「ダメ!」
レーアは大きく首を振った。
「何を言ってるの!」
しかし、その声が聞こえていないかのように、四人は準備を始めた。
ヒロはレーアの矢筒から矢を抜き、素早く数を確認する。
自分の矢筒へ半数を移し、残りをライアンへ渡した。
リアはレーアの足に巻かれた包帯の上から、新しい布を強く巻き直すと、腰の鞄から小瓶を取り出した。
瓶の中では、濁った液体が揺れている。
リアはそれをレーアに見せた。
「気付薬。すごく苦い。でも、痛みも少し鈍くなる」
マークは盾と鎧の破損を確認していた。
盾の縁は大きく欠け、腕には衝撃が残っている。
それでも、マークはレーアへ笑顔を向け、親指を立てた。
ライアンはレーアの前に弓を置く。
そして、ヒロから受け取った矢を、レーアの手が届く地面へ一本ずつ突き立てていった。
「レーア」
ライアンは矢を並べながら言った。
「お前は、ここに残れ」
一瞬、レーアの表情が陰る。
ライアンは最後の矢を地面へ突き立てた。
「俺たちは、ここより先へは下がらない」
レーアが言葉を失う。
リアは気付薬の蓋を開けると、レーアの鼻を摘んだ。
「口、開けて」
「ちょっ――」
驚いて口を開いたレーアへ、リアは小瓶を差し込んだ。

