イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第二十七話 折れても、持ってこい
ヒュン、と空気が裂けた。
次の瞬間、ゴブリンが一体、悲鳴をあげて地面に転がる。
その真ん中で、エラは踊るみたいに笑っていた。

エラとヨル 第二十七話
【折れても、持ってこい】
両手の曲剣を振り回しながら、エラが踊るように地面を蹴る。
その周囲を囲むのは、異形の影。
赤く光る目と緑色の肌。
牙をむき出しにして、じりじりと間合いを詰めてくる。
ゴブリン。
一匹一匹は強くない。
でも、数で押してくる相手ほど面倒なものはない。
私は短剣を抜いて、息を整えた。
正面の一体が飛びかかってくる。
低くしゃがんで避け、そのまま脇腹へ刃を滑らせる。
ギャァ、と短い悲鳴。
倒れた影の奥から、別の一体がすり抜けた。
――まずい。
そいつの先には、少し後ろにオトがいる。
振り返った瞬間だった。
ゴブリンの体が、横から吹き飛んだ。
「えっ……!?」
目に入ったのは、いつもの穏やかな顔とは少し違うオトの姿だった。
武器は持っていない。
素手のまま、軽く息を吐いている。
次の一体が飛び込む。
オトは半歩だけ身を引いてかわすと、そのまま懐へ入り込んだ。
膝蹴り。
体が浮いたところへ、さらに蹴りを叩き込む。
ゴブリンは声にならない声をあげて、地面を転がった。
――武術?
思わず見つめていると、エラが笑う。
「オト、やるね〜!」
「負けてられませんからね!」
オトがそう返した瞬間、エラの動きがさらに鋭くなった。
ヒュン。
ヒュン。
空気の鳴るたびに、ゴブリンが悲鳴を上げて崩れ落ちる。
私は残った一体の腕を弾き、短剣の柄で顎を打った。
よろめいたところへ、エラの刃が閃く。
数で押してきていたはずのゴブリンたちは、気づけば怯えたような声をあげ、散り散りに逃げていった。
「終わった……?」
私は周囲を見回した。
木陰や岩陰。草の揺れ。
少しの油断が命とりになる。
息を潜めているものがいないか確認する。
どうやら、本当に追い払えたらしい。
張りつめていた肩から、少しだけ力が抜けた。
「ふぅ……」
その横で、エラはまだ息のある一体に止めを刺そうとしていた。
――その時。
ポキン、と妙に軽い音がした。
「ありゃ?」
エラが手を止める。
見ると、片方の曲剣が根元から折れていた。
「折れちゃった」
あっけらかんと言いながら、エラは折れた刃を拾い上げる。
「大丈夫なの?」
「うーん。まあ、また新しいの買えばいいよ!」
深刻そうな顔は、ほとんどしていない。
オトが少し心配そうに覗き込んだ。
「使い慣れてたんじゃないですか?」
「そうだけど、折れたものはしょうがないし」
エラは肩をすくめて笑う。
私は折れた剣と、その顔を見比べた。
「じゃあ、街で鍛冶屋を探しましょう」
「賛成ー」
「ついでにお昼も食べたいです」
オトがそう言って、お腹をさすった。
さっきまでゴブリンを蹴り飛ばしていた人と同じとは思えない。
「切り替え早いね」
「大事なことですよ?」
「それはそう」
そうして私たちは、街道を先へ進むことにした。
*
戦闘のあとの道は、やけに静かだった。
風が木々を揺らす音。
靴が土を踏む音。
ときどき、エラが折れた曲剣を鞘ごと揺らす音。
私は前を歩くオトの背中を見ながら、さっきの戦いを思い返していた。
「オトさん」
「はい?」
「強かったんですね」
そう言うと、オトは少しだけ目を丸くした。
それから、いつものやわらかい笑顔に戻る。
「エラさんほどじゃないですよ」
「いや、かなり強かったと思うけど」
「そうですか?」
そう言いながら、オトは軽く手を握ったり開いたりしていた。
さっき戦った感覚を確かめているみたいだった。
「武術ってやつ?」
私が聞くと、オトは少しだけ空を見た。
「昔、お父さんから教わったんです」
――お父さん。
その言葉に、私はなぜか少し引っかかった。
オトのことは一緒に旅をしていても、知っていることばかりじゃない。
よく考えれば、家族の話なんてほとんど聞いたことがなかった。
「お父さんって、強かったの?」
エラが横から聞く。
オトは少し考えるように首を傾げた。
「強かったですよ。私の両親、旅一座だったので」
「旅一座?」
「武闘家のお父さんと、踊り子のお母さんです」
「……ああ」
思わず、変に納得してしまった。
「なるほどね……」
エラも同じことを思ったのか、妙にしみじみ頷いている。
オトはくすっと笑った。
「小さいころから、歌ったり踊ったりしながら旅をしてたんです。お父さんは見せ物の武術だけじゃなくて、なんとか流の師範でもあったみたいで」
「なんとか流?」
「名前、長くて忘れちゃったんです」
「忘れたの?」
「はい」
オトがあっさり答える。
エラが吹き出した。
「オトっぽい!」
「ひどいですねぇ」
「だって、すごい話なのに最後それなんだもん」
私も少しだけ笑ってしまう。
確かにオトらしい。
「だから、素手での戦い方は子どもの頃に叩き込まれました」
そう言って、オトは自分の手を見つめた。
白くて細い手。
歌う時の方が似合いそうな手だ。
でも、さっきその手でゴブリンを吹き飛ばしたのを、私はちゃんと見ている。
「滅多に使わないですけどね」
「どうして?」
私が聞くと、オトは少しだけ困ったように笑った。
「武術って、歌と違って綺麗じゃないもの」
その言い方は、少しだけ静かだった。
エラが首を傾げる。
「でも、かっこよかったよ?」
「助かったし」
私もそう言うと、オトはぱちぱちと目を瞬かせた。
それから、ふっと笑う。
「そう言ってもらえるなら、よかったです」
重くなりそうだった空気が、そこで少しだけやわらいだ。
エラは折れた曲剣を持ち上げる。
「じゃあ次は、私の番だね」
「何が?」
「新しい武器!」
「前向きだね」
「武器が変わると気分も変わるから!」
「服を買うみたいに言わないで」
「似たようなものだよ」
「違うでしょ」
そうやって言い合っているうちに、街道の先に町が見えてきた。
大きすぎず、小さすぎず。
旅人が立ち寄るにはちょうどよさそうな町だ。
石造りの門の向こうに、人の行き交う姿が見える。
荷車を引く人々や買い物袋を抱えた人。
子どもの笑い声が聞こえてくる。
雪山を越えてきたあとのせいか、その何でもない光景が少しだけ眩しく見えた。
「着いたぁ……」
エラが大げさに息を吐く。
「まずは鍛冶屋ですね」
「その前にごはん……」
「オトさんはぶれないね」
「大事ですから」
町に入ると、思ったより賑わっていた。
露店から焼いた肉の匂いが漂ってくる。
パンを並べている店もある。
少し先では、野菜を抱えたおばさんが大きな声で客を呼んでいた。
「先に食べる?」
エラがふらっと屋台の方へ行きそうになる。
「だめ。先に鍛冶屋」
「えー」
「剣が折れたままなんだから、そっちが先」
「ヨルは真面目だなぁ」
「誰かが真面目じゃないと困るの」
そう返すと、オトが笑いをこらえるように口元を押さえた。
しばらく通りを歩いていると、私は一軒の店の前で足を止めた。
派手な看板はない。
でも、店先に並んだ道具や、壁にかかった鎚、窓越しに見える炉の赤い色で、そこが鍛冶屋だとわかった。
入口の脇に、小さな木札が出ている。
"ワイド&ルー"
そのすぐ下に、もうひとつ。
"折れても、持ってこい"
「……変わった店」
思わず、口からこぼれた。
エラがその文字を覗き込む。
「いいじゃん。今の私にぴったりだよ」
折れた曲剣をひらひらと持ち上げて見せる。
「ほんとにそうだね……」
私はそう言ってから、もう一度その言葉を見た。
折れても、持ってこい。
武器の話のはずなのに、なぜか少しだけ引っかかる。
その間に、エラはもう戸を開けていた。
「こんにちはー!」
「早いよ」
「だって鍛冶屋でしょ?」
「意味がわからない」
オトが私の横に並ぶ。
「でも、なんだかいいお店ですね」
「……うん」
私は短く答えて、二人のあとに続いた。
店の中は、外から見た印象より少し広かった。
壁には剣や槍だけじゃなく、鍋や包丁、農具なんかも掛かっている。
派手じゃない。
でも、妙に目を引く店だった。
奥には赤い炉。
そのそばの壁には、古びた槌が一本だけ、静かに飾られている。
その時はまだ、気づいていなかった。
この店の奥で、私は一本のレイピアに目を止めることになる。

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