イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第八話 あなたは信じますか?
世界一安全な街でも、
何も起きないとは、誰も言っていない。
——もし、あなたの隣にいる人が疑われたら?
それでも、あなたは信じますか?
私は初めて、
わからないままで進むことが怖いと感じた。

エラとヨル 第八話
【あなたは信じますか?】
収穫祭が終わったリンブガルドの街は、
いつもの静けさを取り戻していた。
あれだけ集まった人も姿を消し、
まるで一夜の夢のようだ。
私は宿で目を覚ました。
まだ寝ているエラを起こさないよう、静かに部屋を出る。
「少し冷えるわね」
誰に聞かせるでもなく呟く。
最近は朝の冷え込みが強くなり、
身支度の水も冷たく感じる。
——何も変わっていない。
そう思いたかった。
私が一人で朝食を食べていると、宿屋の店主が声をかけてきた。
「お嬢さん。あの紫髪の知り合いかい?」
口髭をたくわえた、恰幅の良い店主は、周囲を気にしているようだ。
「そうですが、どうかしました?」
その態度に違和感を覚えつつ、私は答えた。
店主は、耳元で囁く。
「いや、別にいいんだけどさ。あの人は気をつけた方がいいよ」
「……どういう意味ですか?」
私が問い返すと、店主は気まずそうに口を開いた。
「お嬢さん、騙されているんじゃないか?」
なぜかわからないが、私の中で何かが弾けた。
「それ、どういう意味!?」
気づけば立ち上がり、大声を出していた。
私の声に、周囲の客の視線が集まる。
慌てた店主は両手を前に出し、私を落ち着かせようとする。
「触らないで!」
私はその手を払い、睨みつけた。
「誤解しないでほしい。私は忠告を——」
言いかけた言葉を、私は遮る。
「あなたに、彼女の何がわかるの!」
——なんでだろう?
頭は冷静なはずなのに、エラのことを言われると、こんなにも心がざわつく。
「私は忠告しましたからね……」
私の態度を見た店主は、軽く頭を下げ、厨房の奥へと姿を消した。
——なんなの?
せっかくの朝を台無しにされた気分だ。
席に座り、食べかけの朝食を見つめる。
食欲はわかない。
そこへ、別の男が声をかけてきた。
「あんた、知らないのか?昨日の事件」
「この近くで殺しがあったって」
私は固まった。
収穫祭で大勢が集まる中で、殺人?
誰が?
なぜ?
「それがさ、殺されたのは若い女で、犯人はまだ捕まってないらしい」
男は声を落とす。
「目撃者の話だと、近くで紫色の髪の女が逃げるのを見たって」
「あんたの連れも紫色の髪だろ?だから……」
「エラが……ありえない」
——昨日の夜。
屋台の灯りの中で、エラは笑っていた。
あのとき、私は——
迷っていなかったはずなのに。
私は乱暴に席を立ち、足早に部屋へ戻った。
——ありえない。
エラはズレてはいるが、
人を殺すほど馬鹿じゃない。
確かに紫色の髪は珍しいが、
全くいないわけでもない。
それを、特徴が似ているからといって決めつけるなんて。
だんだんと、頭に血が上っていく。
部屋の扉を開けると、
ベッドで寝息を立てているエラがいた。
ありえない。ありえない……。
どうして、こんな気持ちになるんだろう。
ふと、エラの近くに置かれた剣に目がいく。
しっかりと鞘に収まっている。
少し、安心した。
でも——
視線の先に、気になるものが映る。
鞘に、うっすらと染みが見える。
——血?
嫌な想像が、一瞬頭をよぎる。
——違う。
私はすぐに頭を振り、その考えを振り払った。
そうだ、見間違いだ。
元から汚れていただけだ。
そう言い聞かせている自分がいる。
ベッドに腰を下ろし、何も言えない。
ドン、ドン、ドン、ドン!
突然、扉が激しく叩かれる。
心臓が跳ね上がる。
「リンブガルド憲兵だ!扉を開けろ!」
怒鳴り声とともに、ドアノブが激しく揺れる。
——どうする?
私は動けなかった。
ふとベッドを見ると、エラが起き上がっている。
「逃げるよ!」
そう言うと、エラは荷物を抱えて窓へ向かう。
私は迷った。
——どうする?
「早く!」
——考える前に、体が動いた。
エラの声に引き寄せられるように、
荷物を掴み、窓から飛び降りる。
屋根を伝い、隣へ飛び移る。
背後で、怒号とともに扉が壊される音が響いた。
私は、彼女の後を必死に追うことしかできなかった。
エラは迷路のような街角を、迷いなく進む。
まるで、逃げ道を決めていたかのように。
しばらく進むと、城壁沿いの奥まった場所に出た。
家とは呼べない、小屋が雑多に立ち並んでいる。
すえた臭い。煙の出ていない煙突。
——スラム?
誰も視線を合わせない。
関わることを拒むように、力なく俯く人々を見て、そう思った。
「こっち来て!」
エラは小屋の一つに入り、私を引き込むと、
乱暴に口を押さえた。
息を殺す。
少し遅れて、憲兵の声が響く。
すぐ近くを走り抜ける足音。
鼓動が早くなる。
やがて、声が遠ざかっていく。
それを確認して、エラはゆっくりと手を離した。
「説明して……」
私は、息を押し殺したまま言った。
エラは小屋の隙間から外を見つめたまま、動かない。
「何もしてない……」
「そう言ったら、信じてくれる?」
いつものエラとは違う。
その顔を見て、私は何も言えなかった。
知らなければ、信じられる。
知らなければ、怖くない。
でも——
知ってしまったら、
もう戻れない。
信じることは、
正しいことじゃないのかもしれない。
それでも。
——あなたは、信じますか?

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