ぼくのSRYと、鍵のかかった初恋 〈11.彼女〉
創と一緒に、再び温室に戻った。
「彗に、お願いがあるんだ」
ベンチに腰掛けながら、彗は創の言葉を待った。
「正直に言う。星南は、余命を宣告されているんだ。持って半年」
星南の笑顔が、彗のまぶたの裏に焼き付いている。治療の痕跡は痛々しかったけれど、あんなに元気なのに。いのちの期限を目の当たりにし、彗の手が、指先から冷たくなっていく。
「星南は、周りの人間に暗い顔は見せない。だけど本当は」
創は、俯いた。泣いているのかもしれなかった。
「ねえ、彗。星南の前では、僕の彼女でいてくれないかな」
心臓が真っ二つに割れたような気がした。引き裂かれた心の断片が、宙に浮いて漂う。
「ごめん。こんなこと言って、本当に申し訳なく思ってる。だけど彗。星南は、僕に恋人ができることを強く願っているんだ。自分の代わりに、僕の傍にいてくれる人を見つけて、安心したいんだ。だから、お願いします」
彼女という肩書きを、たとえ嘘でも欲してしまった。彗は自分の両手を見た。ずいぶん汚れたと思った。星南は、あんなにも純粋で無垢で、光り輝いていたのに。
深く頭を下げる創の、少し黒くなった髪の生え際をぼおっと見る。
「星南ちゃんの十八歳の誕生日はいつ?」
創が、顔を上げた。
「来年の四月」
「もし、星南ちゃんも本当は創が好きだとしたら?」
創は、疲れた瞳を開いた。ぽっかりと開いた口から「え」と声が漏れる。
「どうして」
「さっき、星南ちゃんに会って、直感した。星南ちゃんは、ぼくが自己紹介をした時、ぼくだけに見えるような角度で、すごく悲しそうな目をしてた」
創が、右手で両目を覆い、肩を震わせる。すぐに嗚咽が聞こえて来た。
「もしそうだとしても、僕たちはどこにも辿り着けない」
もしも、星南になれたら。この手が星南の手なら、泣きじゃくる創の肩に触れることが許されるのだろうか。
「僕が星南に気持ちを伝えたら、星南はきっと困る」
「わからないじゃない」
「無理だよ。冷静になればすぐに分かる。僕たちは、兄妹なんだ」
「じゃあ、ぼくが確かめる」
「彗?」
「星南ちゃんは、ぼくにまた来てほしいと言った。ぼくは、星南ちゃんの体調に障りのない範囲で、また会いに行こうと思う。探りを入れることくらいはできる」
創の涙にぬれた瞳が、川底の石のように光っていた。彗は、創の瞳を覗き込み、創の本当の気持ちを探った。暫く見つめた後で、彗は確信した。創はやはり、星南を想っている。
「彗。また僕とここで会ってくれる?」
「もちろん。当分の間は、星南ちゃんの前でだけ、形式的に彼女でいてあげる」
創の顔が、晴れた。彗が愛する創が戻って来た。彗が心を奪われた創は、星南のいのちを礎として存在しているのだ。自分の本当の気持ちを偽らないと、彗は創の傍にいることすらできない。
創と別れた彗は、大学のキャンパスをあてどなく歩いた。農学部横の原生林へとつながる道に入る。枝と幹だけになった黒い林の中で立ち止まり、天を仰いだ。空の頂点に向かって、木々が枝を伸ばしている。雨が降り出しそうだ。動物たちは、冬の眠りについているのだろうか。風から生き物の匂いが消えている。
彗は、土の上に膝をついた。コートがわりに羽織った白衣が雪混じりの泥で汚れる。そのまま彗は、地面に両手をついた。創に出会ってから、泣いてばかりだ。創は彗を利用した。同時に、彗は星南を利用し、「嘘の彼女」になって、これからも創と一緒にいようとしている。
「好きだよ……。それでも好きなんだ……」
創の白い手を取れたなら。頼りない背中に触れられたなら。どうして創なんだろう。どうして、創じゃなきゃだめなんだろう。こんなに踏みにじられたのに、何故嫌いになれないんだろう。何故好きでたまらないんだろう。
地面を両手で叩いた。口から内臓が飛び出るほど泣き叫んだ。それでも彗は、創の本当の恋人にはなれない。
「彗!」
聞き慣れた低い声が近づいてくる。顔を見ずとも、声の主はすぐに分かった。
「彗! 何があった?」
博人が目の前で息を切らしている。
「博人は優しい目をしているね」
涙を拭いもせず、彗は泥だらけの顔を上げて笑った。
博人が彗を、白衣の上から抱きしめた。博人の温かくて大きな手のひらが、彗の黒く短い髪を撫でる。
「彗。こんなに冷たくなって」
博人は、着ていたダウンジャケットを脱ぎ、彗を包んだ。秋の陽だまりのような博人の匂いが鼻腔に届き、彗は少しだけ安心した。加速度的に涙が溢れる。震えが止まらない。
「彗。もう大丈夫。俺が来たから。もう大丈夫だから」
博人の手のひらが、彗の頬を撫でる。来福飯店で触れられた時はあんなに混乱したのに、今は博人の温度が心地よい。博人の中には、きっと温かな血が巡っているのだろう。
「帰ろう。彗」
彗は博人に背負われ、そのまま原生林を後にした。
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