【不透明度30%の猫を重ねる】 │ ヤンデレ猫ちゃんの使命 #11
フカが世界から消えてから1週間。
わたしの世界の見え方は変わっていた。
いつでもフカと目が合う。
それは霊とかそういう非科学的なものではない。
単に、思考の片すみにいつでもフカがいるということ──。
▼このお話は、愛猫フカとの別れから7日間でどう生活を立て直したのかを記録したものです。目次はこちら。
地下茎の秋明菊
「玄関へ移動!!!」
朝の出発時刻を知らせる通知とともに、アラームが鳴り響く。
着替えて階段を降りてくると、息子はパジャマ姿のままテレビを見ていた。
今までなら怒るシーンだ。
すでに何度も忠告したのにと、爆発しているはずだった。
けれどもわたしは凪いでいた。
抑揚のない声で「着替えよう」と促し、パジャマを脱がせて制服を着せた。
玄関を出ると、ふと視線の先に秋明菊の花が揺れているのに気づいた。
ヤマボウシの木の下で、砂利の間から控えめに顔をのぞかせる、背の低い小さな花。
秋明菊は、地下茎で地面の中を自由に伸びていく。
植えた覚えのない場所にまでひょっこりと顔を出すから、植える場所を慎重に選ばなければいけない。
目にしたその花も、わたしが意図して植えたものではなかった。
大きく成長した株から離れたところに、ある日、小さな葉っぱが出てきた。
抜き取れば庭の見栄えが良くなるのは分かっているのに、摘むことができず、つい見逃していた。
あの日、──フカの火葬の日には、庭の秋明菊を惜しげもなく切り取った。
傷んだ花びらを除きながら束にして。
それなのに今、目の前には新しい花が咲いている。
時間は静かに進んでいる。
それを知るたび、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「むっかっし、なきむぅーし、かみさまがぁー」
自転車の後部座席で、息子が口ずさむ。
息子は歌がうまい。幼児特有の澄んだ声で、音程の狂いなくつむぐ歌は、よく人にほめられる。
声マネも得意で、アニメに出てくるキャラクターと寸分違わぬ声色を出すときがある。
もしかして「聴覚優位」な認知特性を持っているのかもしれない。夏ごろに、フカにじゃまされながらぱらぱらめくった読書ノートを見て、そう思うようになった。
目で見て、心に描き、言葉を創る
認知特性は、もしかしたら、わたしの視界にいつでもフカがいなことと関連しているのかもしれない。
というのも、どうやらわたしは、物事を考えるとき、音や文字よりも「視覚情報」で頭を使っているようなのだ。
こうした考え方には「認知特性」という名前がついているらしい。『kodomoe』という雑誌で、数年前にその言葉を知った。
人が物事を理解したり、記憶したりするときに得意とするパターン。
それが認知特性で、ざっくりと視覚・言語・聴覚の2タイプに分かれるのだという。
たとえば、
見たものを写真のように覚える「視覚優位」タイプ
話したり読んだりすることで考えを整理する「言語優位」タイプ
耳からの情報をすぐ覚える「聴覚優位」タイプ
雑誌に載っていた”認知特性のチェックリスト”は、切り抜いて、読書ノートに貼ってある。
子どもはどれに当てはまるのか知りたくて、ときどき引っ張り出しては項目を読み直している。
一例として、わたしがこの文章を書いているときのはなしをする。
目で見たものをこころの中に写真のように描き、それを言葉に変換していく──意識して考えると、そんな流れだと思う。
もしかすると、これも「視覚優位タイプ」の特徴なのかもしれない。
不透明度30%のフカ
いつでも目の前にフカの姿がある。
このフカの姿は、あくまでもわたしの”思考”であって、本当に目に映るわけではない。
言葉にするのはむずかしい。でも、ちょっとたとえ話をしてみようと思う。
一枚の写真や風景のうえに、透明なセロハンを重ねたような感じをイメージしてみてほしい。
そのセロハンには、フカの姿が描かれている。
紙とは違って、うしろの風景は透けて見える。
こういうイメージだ。
デジタルイラストを描いたことがある人なら、イメージしやすいかもしれない。
背景レイヤーに新しいレイヤーを作り、そこにフカを描く。そうして、不透明度を下げていく。
30%くらい。後ろがくっきり見えるくらいに。
このとき、フカの姿はスライドショーのように、ゆっくりと変わっていく。
フカが動くことはない。
これまでに撮った写真が次々流れていくようなイメージ。
新しいものはひとつもない。
だって、すべてが、わたしの記憶の中にあるものだけで構成されているからだ。
その姿がどれだけ鮮明に見えるかは、わたしの思考をどれくらい占めているかによって変わる気がする。
たとえばフカが亡くなってすぐのころは、まるで不透明度90%くらいの濃さで、毎日いつでもどこでもフカがいた。
はっきりと目が合った。
いまは30%くらいまで薄くなった。
鮮烈な記憶が少しずつ遠くなるのにつれて、姿が淡くなってきた、のだろうか。
フカだけではない。
わたしの頭のなかを強く支配する出来事や考えがあるとき、それは同じように風景に重なって映る。
たとえば怒りや悲しみ、あるいは心配ごと。それらが静かに、不透明なレイヤーとして現れるのだ。
コニシ木の子さんに「 #なんのはなしですか 」と言われそうだけれど、夫とお付き合いをはじめてから1年くらいは、この”夫ver”に悩まされていた。
恋も不透明レイヤーになる。
日常を愛おしむためにできること
自転車から息子を下ろす。5歳になり、ずいぶん重たくなってきた。
どこまでも沈んでいきそうな空が綺麗だった。
「写真、撮ろうか」
「いいよー!」
わたしはしゃがみ込んだ。
ようやく秋めいてきた羊雲が太くまっすぐに整列している。それを背景に、しゃがんで、見上げるように、息子の写真を撮った。
息子は、ちょっとにやけていて、でもちょっとだけ硬い表情で、マリオポーズをした。手をぐっと空に突き出して、決めている。
逆光で撮った写真はふんわりと優しい雰囲気になった。
そういえば、幼稚園の行き帰りに写真を撮ったことはあまりないと気がつく。
それは、当たり前の日常だから。
でも、本当はそういうものほど、写真に残しておくのがいいのでは。
このごろ、そう思っている。
大学時代に住んでいた街の雰囲気がとても好きだった。
だから、効率の悪いことが嫌いなくせに、底冷えする冬でも、片道30分かけて歩いて通学していた。
急勾配の坂道を越えると、昔ながらの古い木造家屋が立ち並ぶエリアに変わる。車が通れるか通れないかないくらい細い道を抜けると、道沿いに看板が錆びた昭和風の酒屋があったり、ひっそり紛れているおしゃれなカフェがあったり……。
通り道の中にいくつかのお気に入りスポットがあったはずなのだけれど、今ではもう、あまり思い出せない。
夫が娘に、かつて暮らしていた東京の街をストリートビューで見せることがある。
習い事の待ち時間やレストランで料理が運ばれてくるまでの間に「ここがおうちだったんだよ」とスマホを見せながら。
その様子を思い出して、ある日、わたしも学生時代を過ごした街をストリートビューで歩いてみた。
大通りにあったお気に入りのケーキ屋さんはなくなり、コンビニができていた。
目印だったものが残らずなくなっていて、どの道を通って学校へ向かったのかわからないくらいに様変わりしていた。
思い出がつながらない。
懐かしさよりも、遠さだけが胸に残った。
一方、娘にはかすかだけれど東京時代の記憶がある。
「あーここでドーナツたべたねえ」と懐かしそうにしたり、「児童館の先生大好きだったな。会いたいな」と目を細めたりした。
一方、毎日のように行ったはずのスーパーを「知らなーい」と無関心に言ったりもした。
記憶というものは、楽しさの度合いに比例して形を残すのだろうか。
もしあのころ、もっとたくさんの”日常”をカメラに残していたら、わたしの中には記憶は根づいたのだろうか。
答えはわからない。
一分一秒も忘れたくない
子どもを送ったあと、どうするか迷った。仕事が溜まっていた。
けれどもやっぱりカフェの方向には曲がれず、まっすぐ家に帰った。
風を切って田んぼ道を進みながら、昨夜の夫の言葉を思い出していた。
「……俺さ、一生ほかの猫、飼えんと思う」
夫は、深夜0時ごろ、いつものように供養をしているわたしに言った。
半分に折った線香が燃え落ちるまでのわずかな間、夫とわたしは、バロに触りながら、とりとめのない話をするのが日課になっていた。
そのとき、夫がぽつりとこぼしたのが、その言葉だった。
「でも、世の中のひとは、また新しくペットを迎えるわけやん。……立ち直れるんかな」
わたしは答えなかった。
──いや、答えられなかった。
「人間の脳って、嫌な記憶は忘れるようにできとるって言うし。……忘れるからまた一緒に暮らせるんやろうな」
夫は、ひとりで納得したようにつぶやいた。
わたしはそのとき、いやだ、と、思った。
大好きだった祖父母の声も表情も思い出せないように、ほんの数日で、フカの声も、手ざわりも、どんどんわからなくなっている。
──苦しくても忘れたくない。
いまのわたしは、フカが亡くなってすぐのころのわたしが、羨ましい。
だって、いくらでも泣けた。
わたしの世界は、ほとんどすべてフカで満たされていた。
不透明度は90%くらいあった。目の前にある光景見えないくらいフカのことだけがそこに鎮座していた。
それなのに、いま、──不透明度は30%くらいになっている。
頭のなかから、フカの占める割合が減ってきている。
このままどんどん下がり続けたら?
わたしの記憶から、薄く、淡く、溶けていって、最後には塵のような残滓になってしまうのではないか。
そう考えはじめたら、指先からしんと冷たくなった。
不透明度5%の猫は、もうほとんどなにも見えない。
目の前にただ、景色があるだけになってしまう。
スマホの動画フォルダを開いた。──フカの写真は、思っていた以上に少ない。
何よりも、動いている姿が。
フォロワーさんから、ルームツアー動画を撮ってほしいとリクエストをもらって撮ったものに、フカが映り込んでいるだけだった。
もう、フカの動画は増えない。
新しいものは撮れないのだ。
当たり前のその事実に、ひどく打ちのめされた。
”いつもの” 異変
夜、帰ってきた夫が「明日、東京に行かないかんわ」と言った。
夕方に香川を出て、翌日朝一番の便で帰ってくるという。
指先に針の先端に触れてしまったような痛みが走った。
目には、ざらりとした違和感、
胸の奥からぞわぞわとした不安が這い上がってくるのも感じる。
まずいな、”アレ”だ。
わたしは慌てて引き出しを開け、漢方薬を探した。
このはなしを書くべきか、すこし迷っている。信じてもらえないかもしれないし、情けないとも思う。けれどもここからの2日間について触れるなら避けては通れないと思い、正直に書くことにする。
わたしは夫から月に2回ほど「人格が変わる」と評される時期がある。
爆発的な苛立ちを覚える。異常なくらいの不安感に苛まれる。
身体にもひどい痛みや痺れが出る。
明け方まで眠れないか、あるいはどうやっても起きられないくらい眠るか。
症状はどれがどんな組み合わせで現れるのか、そのとき次第だ。法則性も一定ではない。期間はだいたい2、3日。それを毎月2回──。
これは病気ではない。女性ならではのホルモンバランスの変化が引き起こすもの、のようだ。
ここ10年ほどでPMSという言葉が広く知られるようになった。それでも、まだわかっていないことも多い。
20代のころ、生活に支障が出るレベルの身体の痛みと痺れに耐えかねて病院を受診したことがある。
恐怖に震えながらCTからMRIからいろいろ撮ったものの、なんの異常も見つからない。
ペインクリニックから脳神経外科までいろいろ受診した。
発狂しそうなくらいの痛みに苛まれているのに、医師には「気のせい」と呆れたように片づけられて、涙が止まらなかった。
その後、スマホのアプリを使い、心と体の変化を記録し続けたところ、ようやく規則性に気づいたのは、24歳のときだ。それまでは、自分がおかしいのだとずっと悩んでいた。
痛みや眠気もつらい。眠りたいのに明け方にようやく睡魔が来る日もしんどい。けれども、いちばん堪えるのは、こころがまるで別人のように変わってしまうことだ。
普段ならなんでもないことが、異常なくらい怖くなる。
悲しいニュースを見たら、それがいつか自分の身に起こるのではないかと、漠然とした恐怖に苛まれる。家族に不幸があるのではないかと不安に襲われる。
法則性を理解した今では「ああ、この時期なのか」と客観的に見られるようになった。
漢方を飲んでみたり、眠れないなら仕方ないと開き直ったり、ドラマを一気見したりしてやり過ごせる。
けれども、原因がわからなかったときは、生活に確実に支障が出ていた。
その日は、まさに”その時期”だった。
夫の出張を聞いたわたしは、猛烈な不安に襲われた。胸がいやな感じにどきどきした。聞こえにくくなっていた耳の奥に、きぃんという高い不協和音が響く。
たぶん、フカのことで降り積もったストレスがあるせいだろう。
これは、今までのどのタイミングよりまずい気がした。
ふと、ママ友の言葉を思い出した。
ストレスからの不眠に悩んで、市販の睡眠薬を買ってみたという話だ。
使うかどうかは別として、”お守り”あるいは”最終手段”として置いておくのはありかもしれない。
とりあえず、水に触れる。
洗いものをどんどん進めていく。洗濯ものを干す。
水の音を流しながら。
”水は癒やし”
絵の講座にログインする。
とにかく集中する。
そうして、また午前0時になった。
初めての26時間ねむらなかった日
チャッカマンを出してきて、線香の先に火をつける。
「またやっとる」
線香を上げるわたしに気づき、夫はヘッドホンをずらした。
かすかに金木犀の香りを含んだ煙がゆらゆらと立ち昇る。
「線香さ、ほんまにやめられるん? 怪しくない?」
「やめるって言ったじゃん」
「ふうん」
夫はヘッドホンを戻し、パソコンに身体を向けた。
はじめは白かった煙が、上に行くにつれ、だんだん細く、透き通っていく。
完全に燃え落ちるまで、ソファでバロを触りながら待つ。
「……やけに手慣れとるよ。そんなにルーティンみたいになってしまったら、やめられないんじゃないの。……てかさ、洗脳されてる?」
夫が怪しんでいた。
「……本当に終わるってば。決めてるの」
「どうだか。すぐ流されるからな」
普段ならわたしはむっとして怒るのだけれど「あとはね、明日だけ」と、落ち着いていった。
「フカが亡くなった日から1週間で、やめる。絶対だから。うそじゃない。……それより早く寝なよ。出張やばいじゃん」
線香がまた灰になったのを確認して、逃げるように上に戻る。
いつものように、寝室にバロがついてくる。
なんだろう、きょうは、……軽い。
今までは家のあちこちにフカがいるような気がしていたけれど、もうそう思わなくなっていた。
だんだん気持ちが落ち着いてきたけれど、それはそれで悲しくって、結局眠れたのは明け方だった。
前夜も午前3時まで起きていたので、わたしは生まれてはじめて、26時間ものあいだ、起き続けていた。
あとがき ── 悲しみ方は人それぞれ
12月上旬にこの記事を書いた。
あれから少しずつバロの食欲は戻ってきた。前ほど食べている感じはないけれど、大好きなウェットフードをずっと催促されている。
きょうは、まだバロが体調を崩して、病院通いをしていたときの話を書きたいと思う。
わたしはこの2ヵ月近い間、毎日必ずフカの写真を見て過ごした。
スマホの待ち受けもフカに変えた。
Googleフォトを見直して、フカの痕跡を探し続けた。
忘れるのが、苦しい。
夫も同じだと思っていた。
けれども待合室で、夫にフカの写真を見せたら、ふい、と顔を背けた。そのときはじめて、夫があれからフカの写真を見られないのだと打ち明けられた。
思い出すのがつらいから、写真を見られないのだという。
わたしは自分と同じように、夫もフカを忘れたくないだろうと決めつけていた。
でもそうではなかった。
この頃になると、わたしは、悲しいけれどずいぶん気持ちが楽になってきていた。
フカの話を夫やAIのソラと共有していたこと。
期間を決めて供養を毎日したこと。
すべてを忘れないために記録していたこと。
家族の中の誰よりもたくさん泣いたこと。
そういうフェーズを一つひとつ経て回復していた。
夫は、フカが亡くなった日とその翌日しか涙を見せなかった。
いつもと同じように会社に行き、夜になるとそこそこ長い付き合いのゲーム仲間と、たぶんフカのことは共有せずに、いつも通りしゃべっていた。
感情を吐き出していないから回復していないのだろうか。
それとも、わたしとは違う悲しみ方や立ち直り方をしていくのか。
きっと後者なのだろう。
人の数だけ、悲しみ方というのは違うのだ。
▼最後までお読みいただき、ありがとうございました。

▼次回のおはなしはこちら。
『明け方の夢を編む』
フカが消えた世界の物語、7日目。
夫が東京へ行ったその日、子どもたちとわたしはフカが亡くなる直前に決まった予定である、ママ友&子どもたちとの公園遊びに出かけていた。そして、最後の供養をしたあとに、夢を見る──。
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