【#創作大賞2026ミステリー部門】一架の声が聴こえる?(一)※全十話
一架の声が聴こえる?
あらすじ
白昼の都心で起きた、十七歳の女子高生による都議会議員刺殺事件。世間を騒然とさせた凶行の犯人である少女は、逮捕後も一切を語らず、沈黙を貫いていた。
そんな中、ルポライター・藤波のもとに一通の手紙が届く。そこには「彼女は被害者である」と記されていた──。
真相を追う藤波は、天真爛漫な新人記者・安藤帆奈とともに取材を開始する。しかし、少女の過去を辿るほどに浮かび上がるのは、誰にも届かなかった闇と、社会の歪みだった。
なぜ彼女は人を殺さなければならなかったのか。沈黙の奥に隠された、少女の〝叫び〟とは──。
《以下本文》
人生って、この世界が平等でもなんでもないって気づいた時に始まるのかもしれない。
優しくなんかなくて、正しくなんかなくて、私に都合よくなんかなくて、それに気づいた時初めてスタートラインに立てる。そして、始まった瞬間にようやく知るのだ。
今から私は終わってくんだって。
内側から発熱してるみたいなじっとりとした汗が纏わりついて、こんなに暑いのに寒気がした。
レジでお金を払う手が震える。小銭が手から溢れて、急いで拾おうとすればするほどうまく掴めない。すみません、すみません、と小声で謝る私を見ていかにもバイトといった風貌の店員さんは「ごゆっくりどうぞー」と興味なさげに声をかけてくれた。
心臓が煩くて、息ができない。
商品を奪うように受け取ってしまいそうで、そんなことしてはいけないとゆっくりゆっくりソレを受け取る。なにをこんなに焦っているのか。私はまだなにもしていないのに。
足早に店を出て、さっきまでいた駅前広場に戻ろうとする。
「宮島!」
突然名前を呼ばれた気がして、心臓が飛び跳ねる。痛い。殴られたのかと思った。無視するのもおかしい。返事、返事しなくちゃ。
「なぁ、宮島」
あの、ごめん、私今なにも考えられないの。心臓がどくどくと突き上げてわけもわからず涙が出そうになる。
「聴こえる?」
寒い。こんなに暑いのに。私、こんなに汗かいてるのに寒いの。視界が陽炎に包まれてゆらゆらとぼやける。
一言、二言交わして私はまた歩く。
だって、この世界ってこんなに馬鹿みたいで、こんなにズルくて、こんなに平然としてる。頭が、膨れ上がるみたいに暑い。寒い。
こうするしかない。だからやろう。それだけ。それだけ。買ったばかりの商品を震える手で開封していく。
誰にでも見える場所なのに、誰にも気づかれない。
あなたに見えている世界は私と同じだったでしょうか。そこら辺に突っ立っている人と同じでしょうか。あの子と同じだったでしょうか。
じゃあ、私はどうしたらよかったですか。
息を殺して、足を前へ。心臓の音が煩さすぎてなにも聞こえない。
こんなにたくさん人がいるのに、今私が大声で叫んでも誰にも聞こえないんじゃないかとさえ思う。
誰にも、聴こえない。どこにも、届かない。
お願い、誰か。
ねぇ、聴こえる?
(一)
うるせぇな。女の声とは朝からどうしてこうも耳に障るのか。
キンキン響き渡るアナウンサーの声が二日酔いの脳天に突き刺さる。なにが「イマドキッ♡」だ。服じゃなくてニュース流しとけ。
震える脳みそをそーっと動かしベッドからリモコンに手を伸ばし点けたばかりのテレビの音量を下げる。
「んうぉ⁉︎」
横着したせいで身体半分がぐらりと床へと落ちた。
「危ねぇ〜」
こういうことがあるから喰い終わった後のカップ麺は地べたに放置しない方がよい。俺の勢いがあと数センチよかったら、今朝は残り汁ぶち撒けからのスタートになるところだった。徳は積んでおくもんである。
二日目のカップ麺を華麗に拾い上げ、空のペットボトルを適当に蹴り飛ばしながら台所へ向かう。二日目ぐらいはノーカン。シンクに流せば一緒だ。
テレビの中では子どもみたいに細いねーちゃんが、ノースリーブにスケスケのなんかを身に纏いクネクネとポーズを決めていた。
テフロンの剥がれた小さなフライパンで湯を沸かしカップの味噌汁に注ぎ込む。
「あ゛ぁ〜」
染みる。染みねぇ。二日酔いの朝の味噌汁はなんでこんなに旨いのか。立ったまま台所でズッっと次の一口を啜る。味噌を溶かして立派な朝ご飯なるとは、日本に生まれたことが相当ありがたい。
小っこいアサリがぷかぷかと褐色の水面に浮いている。世知辛いサイズしやがって。もっとないのかと手近な割り箸で掻き回すが、二、三匹しかいない。つまんで食べるつもりだったが嫌になったので全部まとめて汁と一緒に流し込んだ。
コップ一杯、水を一気飲みする。
顔は洗った方がいいに決まっている。というかシャワーを浴びてから出ても十分間に合う。髪、も一応いい感じにしておくか。ジジイは口うるせぇからな。念のためだ。
スーツはてんで着る気にならなかった。企業人じゃないから。昔はそれなりに見てくれの好感度を気にしていたがここ数年はすっかりそういうことに気が向かなくなっていた。
「スタイルよく産んであげたんだからシャンとせぇよ〜」といつか母親に言われたことを思い出さないわけではないが、そんな気にならないので今日もいつものテロテロのシャツだ。最近この身長が役に立ったのは、せいぜい満員電車でちょっとマシな空気を吸えるくらいか。
すべてを終えて鏡を見る。まぁ、普通か。三十代の普通の男。見てても楽しい気分にはならないが、「まぁ、俺だな」という感じ。よし、行くか。
気乗りはしねぇが、呼ばれたら行かなきゃならないのが今の俺の現状で。朝より夜が好きだがこればっかりはしょうがない。
『ハチジダヨ! ハチジダヨ!』
ニュースのマスコットが踊りながら八時の訪れを告げる。
『おはようございます。ニュースエイトのお時間です。十七歳女子高校生による都議会議員春村登喜男(はるむらときお)氏の刺殺事件が──』
今日もまた、乱雑に散らかった陽の入らないこの部屋から、わずかに残った社会との繋がりを確かめるように外へ出る。
「おーおー、最近のJKは怖いねぇ」
本当はずっと求めていたのかもしれない。
とっくに諦めてしまったこの世界に刃物を突き立てる存在を。
***
日本というやつはいつからこんなに夏が長くなったのか。
随分前から夏だった気がするがまだ夏だと。今、七月にしてもう夏に飽きている。八月、といわず十月ぐらいまで暑いことを考えると人類の未来に希望はない。
何が悲しくてこんなギチギチな電車に乗って、何が嬉しくてこんな悶々とした顔してみんなどこかへ向かうのか。行きたくない場所に嫌々行くにはこの道中は些かキツすぎる。
転職しろとか、投資しろとか、毛を抜けとか、毛を生やせとかいう電車内の広告を心の内でせせら笑いながら、そういえば今の時代週刊誌の中刷り広告はないもんだなと気づく。圧倒的斜陽産業である。
この車内はこれほどまでに密集して人間が運ばれているわけだけど、この中の果たして何人が「クントウ」と聞いてあの雑誌を思い出すだろうか。下手したらゼロかもなと自嘲する。
『薫陶』はかつて教育系や社会派雑誌でそれなりに頑張っていた薫陶社という独立出版社の看板雑誌だった。だった、というのは今はだいぶ事業縮小して看板雑誌というよりはむしろ『薫陶』を出すためだけに薫陶社が存在していると言った方がまだマシなレベルだからだ。
最近は芸能ニュースや事件ルポ系のオンラインメディアがメインらしい。薫陶という響きは今やすっかり立派なお飾りとなった。栄枯盛衰、諸行無常、盛者必衰とかいうやつである。
何故俺という人間がこのマイナー雑誌にここまでクダを巻いているかというと、どうにもこの薫陶社というやつと切ってもきれない腐れ縁が続いてしまっているからであり、そこに鎮座する和狸からお声が掛かれば俺はどんなに気が乗らなかろうと馳せ参じなくてはならないからである。
地下鉄の駅から近くもなく文句を言うほど遠くもないその雑居ビルはいつ見ても年季が入っていて、パッと見は会社っぽくない。だからと言って人が住んでいそうかといえば全くそんなことはなく、壁を這うツタも味わいがあるというか、廃れていると言うべきか。まあ、風情があって親しみを感じなくもない。
「藤波くんさ、君ほんと相変わらずだよねぇ。僕、君のためしか思って言ってないけどねぇ、なんなら」
この男、コミカルで柔和に見せかけて滲み出る有無を言わさない圧は堂に入っている。昔の恩もあるし面倒だが嫌いではないので、結果いつだってこの人に呼び出されるがままだ。
「いつも言ってるでしょ、綿貫編集長。刑事事件の記事はやらない。俺には荷が重いっす。いるでしょ、期待の新人ライターとか」
「またそんなこと言って。とりあえず見てよ、ほれ」
放られたのは新聞記事。今朝少なくとも三回は朝のニュースで聞かされた話題の事件だ。
『十七歳の女子高生、都議会議員春村氏刺殺』
「十七歳」も「女子高生」もマスコミの好きそうな単語だなと思う。より一層やる気が湧かない。
「白昼堂々、女子高生が駅前挨拶中の都議会議員を包丁でぶすり。世間は騒然。一体何故?」
「テロリズムに感化されたんじゃないですか。悩める高校三年生。それかあれじゃないです?」
小指を立てて、ゆらゆら降ってみせる。この春村登喜男といえば春頃不倫騒動でお茶の間を騒がせていた話題の議員だ。
爽やかな笑顔で長身、イケメン。おばさまファンもそれなりに多く、クリーンなイメージだった春村にまさかのスキャンダル。これ以上のまさかがあるかとイメージ復活を目指して挑んだ次の選挙でまさかまさかの殺されるとは。
犯人は十七歳、ということは未成年にも手を出していたんだろうか。四十代で爽やかイケメンを売りにしていた癖に実情は気色の悪いオヤジということらしい。選挙のために適当に切って、拗れて、凶行に……といったところだろう。
「春村が下手にちょっかいかけて、リスクヘッジで不誠実に切った。その逆恨み……ってのが今のところ世間の求める物語かな」
「犯人の女子高生、妊娠でもしてりゃあそれこそそういう話になってくるんじゃないですか?」
「そう。ネットの奴らは今、そう思ってる」
綿貫がパサッと事件資料と思しき書類が入ったファイルをデスクに投げる。促されて仕方なく手に取った。
「それ、今朝までの資料。ネットではそろそろ実名が出そうな勢いだ。宮島結愛(みやじまゆあ)、十七歳、現行犯で逮捕されて現在勾留中」
「結愛? なんか馬鹿っぽい名前だな」
「藤波くん? それコンプラ違反だから普通に。口を慎むように」
綿貫が眼光を鋭くする。こういう時ばかり編集長の圧を遺憾なく発揮しやがって。
「警察発表によると彼女と春村はまったくの無関係。交際はおろか、事件の日まで会っている形跡もまだ見つかっていないらしい」
「それは警察の捜査が間抜けすぎるってオチではなく?」
「藤波くん? まあいい。彼女は逮捕されてからこの四日間とにかく黙秘を続けている。はて、一体何があったんだろうね」
デスクチェアに深く腰掛けた綿貫は「もう言いたいことはわかったよね?」という無言の圧で微笑むでもなく睨むでもなくこちらを見上げている。狸オヤジめが、と声には出せない不服で俺は思わず眉を顰める。
「取材で彼女の口を割れと? ただでさえ刑事事件の記事はやりたくないって言ってるでしょう。未成年が絡むなんて尚更」
「まあまあそう言わず。事件記事じゃなくてルポでしょルポ。それに今回はご指名のようだよ、藤波先生」
そう言って綿貫が差し出したのは飾り気のない真っ白な封筒だった。身に覚えがない。疑わしい気持ちで中を確認するとこれまた絵柄一つない真っ白な便箋が出てきた。
藤波先生
夏の候、ご健勝のこととお喜び申し上げます。
突然のご連絡失礼いたします。先生は春村登喜男議員の刺殺事件について連日の報道をご覧になりましたでしょうか。
宮島結愛は被害者です。この事件の真の犯人は彼女ではありません。
法律が彼女を守らないなら、法の力を借りず己れ自身の手にて制裁を加えるべきです。
先生、彼女を助けていただけませんでしょうか。
「なんですかこれ」
シャープペンで丁寧に書かれたその手紙の宛名は間違いなく俺の名だった。
〝宮島結愛は被害者〟
一見取るに足らない怪文書。だが──、
「彼女は未成年。実名での報道は行っていない。それなのにそんなものが君宛に届いた」
どうして俺だった。
「匿名のお手紙だ。藤波くんが大先生様だった時のファンかな?」
誰がなんのために。
「何はともあれ、彼女は留置所で家族との面会すら拒否しているらしい」
その強張った字を指でなぞる。
「藤波くん、会いに行ってみる気はないかい?」
彼女は俺に会う気があるのだろうか。あるとしたら何故? 何もかもがわからなかった。突如として現れ白昼堂々大の大人を刺し殺した十七歳。堅く口を閉ざし、世間は妄想のストーリーを口々に語る。
あまりにも突拍子なく、あまりにも不確かな事象だけが宙に浮いていた。
──先生、彼女を助けていただけませんでしょうか。
「その代わり……」
言葉が口を突いて出ていた。
「その代わり、何が出てこようと記事は出させてくれるんでしょうね?」
古狸が満足そうに微笑む。
「それはもう、こちらも全力でやらせてもらうよ」
もう後には引かせてもらえないとわかっているから嫌は嫌だが進むしかない。彼女が勾留されている警察署を訊ねると綿貫はニコニコと取材資料を捲り始めた。
「宮島結愛が面会拒否したらそれまでですよ」
俺の言葉を聞いたところでお綿貫の表情は揺らぐことはない。
「いいや、彼女はきっと君に会うよ。そして、彼女に会うことは君にとってもある意味贖罪になるかもよ」
「やめてください、昔のことです」
「昔のことにできないのは君自身では」
クソ狸め。だから来るのが嫌だったんだ。本当は悪態をつきたかったけれど、「君の生活費、ほとんど薫陶社からの仕事だよね?」などと言われようものならそれこそ立場がなくなるので下唇を噛みながら資料を集め鞄にしまう。
宮島結愛の口から真相を聞き出す。それが今回俺に課せられた仕事だ。
馬鹿野郎。やれというならやってやろうではないか。
続く
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