【#創作大賞2026】一架の声が聴こえる?(七)
前回
1 year ago
「ねぇ、テスト終わったらさ」
「夏来るよ、夏」
「そうなのよ。来るよ、来ちゃうよ!」
試験準備期間の教室は夕方まで自習に使えるように開放されている。今日は私たちしかいない。おしゃべりし放題。机の上の数学のワークは全然進まないけれど、私たちの夏の計画はどんどんどんどん進んでいく。
海に行こう。服を買いに行こう。焼肉も行こう。やっすいやつだけど。輪ゴムみたいな最悪のカルビ食べて一生に笑おう。食べ放題についてくるソフトクリームも作りまくろう。
話は弾む。私たちは無敵で、今、人生の一番楽しいところを謳歌してる。来年は受験だし。
「じゃあ海とかき氷は二人で行ってー。焼肉とプールはさおりんたちも誘お。人数多い方が楽しいじゃん」
「それはそうすぎる。え、待って、海も砂の城とかやりたいし人数いた方がいいかな」
楽しそうに彼女が笑う。私はさも凄いことを言うようにもったいつけて彼女に言う。
「……海って実は何回も行っていいらしい」
「じゃあ、二人でとみんなでと二回行くしかない」
「それしかない!」
楽しみすぎる。ここを頑張ったら輝かしい夏休みが来ると思うと嫌なテストも頑張れる。
「500%夏休み楽しむぞー」
「おおーーー!」
「その前にテストだーーー!」
「いやーーーー!」
二人で声をあげて笑う。あぁ、なんか今青春っぽいなって思った。大人になって思い返した時、私多分今この瞬間のことを〝青春だったな〟って思う気がする。勉強してるフリして喋っているだけだけど。
「ねぇ、一架(いちか)」
「何?」
一架はノートから視線を離さず返事をする。
「あたしたちさ、今年もいっぱい遊ぶでしょ。で、来年もいっぱい遊ぶじゃん。で、お酒飲める歳になっても仕事終わりに遊ぼ」
「当たり前じゃん」
そういう日が来たら、その時は絶対今日みたいな日の話がしたい。何にもない日。何でもなかった日。一緒に残って自習したよねとか、担任の小松はキモかったよねとか。そんな思い出話ができる日をいつかの楽しみにして今日もまた私たちは机に向かう。
(七)
藤波の後ろ姿をじっと眺めながら、この前の先輩と藤波の会話についてじっくり思考する。
五年前。
ヒヨリさん。
罪滅ぼし。
本当はもう踏み込んで訊いてしまいたい。
五年前に何かあったんですか。あったとしたら一体何が? 藤波さんて意地悪で、無愛想で、部屋とかめちゃくちゃ汚そうですけど、人を殺したり追い詰めたりする人ではないですよね、と正直に全部訊いてしまいたい。
「あ? 何だお前じっと見て。お前もなんかジュース飲みたいんか?」
「え、いや」
自販機でコーヒーを買う藤波の背中を無意識のうちに穴が開くほど見つめてしまっていた。
「……おらよ。じゃあ、いくぞ」
リンゴジュースのペットボトルをポンと放り投げてくるので慌ててキャッチする。ようはあげるから飲んでいいよ、の意。
最初はおっかなびっくりしていたけれど、これは彼なりの不器用な優しさなのかもしれないと考えると、このおじさんムーブも可愛く思えてくる。あの日から歩調も合わせてくれているし、意外と私の手に届かないところの物をサラッと取ってくれたりする。
そういうことができる人。
そんな彼が一体何をしたのか。そして、何を後悔しているのか。
長谷川からもらったメモに書かれていた前任教師の家までの道中、私の頭はもうずっとそのことでいっぱいだった。
藤波の気怠げな笑い方や投げやりな物言いにいちいち反応して「何か背負っているんじゃないか……」という視線を向けてしまう。「お前今日なんか変だぞ、いつも変だけど」と眉を顰める藤波に対し、心の中でごもっともですと頷きながらなんとかやり過ごしている。
最初は色々思うところがあったけど、なんだかんだだんだんいいコンビになってきている気がするのだ、私たち。適材適所。凸凹コンビ。私切込隊長、後ろで構える藤波。後門の虎前門の狼?
まぁ、彼がどう思っているかは知らないが、歯車が噛み合って手がかりが増えてきた。
だからこそ、藤波の中に何かわだかまるものがあるなら力になりたいと思った。私にできることなんて今は思いつかないけれど。
そんなことに頭を悩ませていたら目的地にはあっという間に着いてしまった。
「ここが桑野美緒(くわのみお)の自宅だな」
桑野美緒、昌徳第一高校の元教師。体調不良を理由に一カ月ほど前に自主退職している。
インターフォンを鳴らすとラッキーなことに一発で彼女が出た。宮島結愛の名前を出すと戸惑いながらもドアを開けてくれた。
青白い顔をした三十代半ばの女性が顔を出す。どこかやつれた印象だ。
「帰ってください。もう、来ないでください」
開口一番、彼女は低い声でそう言った。
「宮島結愛さんのために、もし何か犯行に及んでしまった背景があるなら明らかにしたいんです。教えてください。あなたの在任中に何があったのか」
桑野にそう問いかけてみるが彼女は首を振ることさえしない。
「もう思い出したくないんです。私にお話しできることはありません、それだけ言おうと思って出てきただけです」
よく見ると小さく肩で息をしている。もしかしたらこれ以上は危ないかもしれない……、そう思って切り上げようとした時。
「それでも教師ですか」
投げかけたのは藤波だった。
桑野は藤波の目を仰ぎ見る。睨みつけるような視線をそのままに彼女は言う。
「だから教師を辞めたんです。失礼します」
ドアは沈み込むように鈍い音を立てて閉ざされてしまった。
***
進展しているような。全くしていないような。もどかしい時間が過ぎていた。
宮島結愛は何故人を殺したのか。その根本的な問いにすら近づいているような、遠いような。
「あー、お腹空きました!」
「メロンパンあるぞ、喰うか?」
相変わらずお母さんかよ。いただきます! とデカい声で返事をしながら藤波四次元ポケットの異名を持つコンビニのレジ袋からメロンパンを取り出す。
大口を開けてパクリ。おぉ、外サクサク系の好みのメロンパン。
「やっはり、あのはっほうえなんかあったってほほでふよね」
「食べながら喋んな。何言ってるかわかんねぇ」
「あの学校で何かがあったってことですよねって言ったんです〜!」
──もう思い出したくないんです。
玄関先で目を逸らした彼女の言葉は何かがあったことを明確に示唆していた。いじめ? それとも何か犯罪行為や不祥事だろうか。何故みんな頑なに口を閉ざしているのか。
「どうしたら真実を聞き出せますかね」
「さあな、まだ材料が足りねーな。一旦会社戻って情報洗うか。おし、あんぱん車だせ」
「はい!」
最近ようやく使い始めた社用車のエンジンをかける。
つい数日前まで「お前のような人間の運転する車には恐ろしくて乗りたくない」と言っていた癖に、今や藤波は助手席で電話したりメールしたり忙しそうだ。どうだ、少しは私も成長してきたことだろう!
そんなこんなで、オフィスに戻って次なる作戦会議をするつもり、のはずだった。
「なにこれ……」
編集部のドアを開けた瞬間、刺さるような冷たい視線が四方八方からこちらへ向かっていた。私に、ではなく、私の背後に立つ藤波へ。
空いているデスクに並んでいるのは大量のFAXだった。
〝人殺し〟
〝同じ過ちをまた繰り返すのか〟
〝時間はない、罪を償え〟
太いマジックペンで書かれた文字で責め立てるような強い言葉が並んでいる。この状況で、このFAXが誰に当てられて送られてきたのかなんて一目瞭然だった。
「藤波さん、これって……」
見上げた先の藤波は私を無視してゆっくりとした手付きでデスクに並んだFAXを拾い集める。
ぼんやりとその紙を見つめ、ぎゅっと目を瞑る。
「あんぱん、打ち合わせは明日にしよう」
そう言うと藤波は持っていたFAXをクシャッと鞄にしまうといそいそと部屋を出ていこうとする。私は必死になってその袖を掴んだ。
「待ってください。まだ藤波さんから何も聞いてないのに」
このまま帰らせられない。そう思って引き留めたのに私の掴んだ右手はいとも容易く藤波の手で引き剥がされる。
「お前には関係ないし、薫陶社も関係ない。迷惑かけてすみませんでした」
編集部全体に向けて深く頭を下げるとそのまま藤波は行ってしまった。追いかけたいと思っているはずなのに、もう、身体が動かなかった。
静まり返った編集部のフロアで、自分の心臓の音だけが吐きそうなくらい煩かった。
続く
