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越乃雪 日本三大銘菓 大和屋 新潟長岡 和菓子なスクチャイ007 2025.05.29

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越乃雪 日本三大銘菓 大和屋 新潟長岡

越乃雪
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越乃雪
越乃雪
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越乃雪
越乃雪

大和屋「越乃雪」(新潟長岡)
日本三大銘菓の1つ。

日本三大銘菓とはこの他に森八「長生殿」(金沢)風流堂「山川」(松江)だ。
江戸時代の加賀藩と松江藩は当時から茶道とともに製菓業を奨励していたが今日に至るまでこの3種のお菓子は茶席菓子としてゆるぎない座にある。

「越乃雪」は1778年(安永7年)に長岡第9代藩主牧野忠精(まきのただきよ)が病床に就いていた時に大和屋庄左衛門が考案し献上したのが始まりと言われている。忠精はこのお菓子のお陰で恢復し「越乃雪」と命名した。
その後幕末には京都大坂江戸など諸国に銘菓として知れ渡った。
長州藩士高杉晋作(1839-67)は下関の病床で、結核で29歳という若きに亡くなる直前に見舞いに貰った「越乃雪」を砕いて盆栽の松にふりかけて雪に見立て、眺めて微笑していたらしい。もう自分は死期が近く次の冬の雪見が出来ないと悟っていたためだ。(「天下第一人」『日本及び日本人』677号1916年4月)
「越乃雪」は指で摘んだだけでほろほろと崩れる。
食べる時は一個をそっとつまんで持ち、そのままを口に入れる。そうすると口の中であたかも綿菓子のように溶けていく高貴な感触と甘みが味わえる。
この満足感は実際に味わった者にしかわからない相当なものだ。吾輩にとっても想像を絶するお菓子であった。

そのような崩れやすい「越乃雪」は徳島の岡田製糖所で作られた阿波和三盆が主体で、吾輩は直接見たことはないがこの「越乃雪」専用の和三盆として熟練の職人により通常よりも精製の工程を多くかけて特別な製糖を行っているとのことだ。そうして作られた水分を多く含む「生」の状態の特別な和三盆が口中で甘く溶けていく独特の感触を生むのだろう。

ちなみに長岡は戊辰戦争や太平洋戦争の戦火や中越大地震などの災いを潜ってきた地域で市の紋章は不死鳥をイメージしている。
大和屋も生き残り、戊辰戦争では長岡藩の敵であった政府側の岩倉具視、井上馨、大隈重信をはじめとして多くの著名人が「越乃雪」を買い求めに来て賞味したらしい。

徳島産の和三盆が古くから長岡で手に入ったのは北前船によるためで、信濃川とその支流の海運のご利益が大きかった。関西と北陸信越地方そして東北日本海側から新潟や山形の奥地まで川で繋がれた物流経路があり、物も文化も運ばれたのだ。
このあたりの話はブラタモリ長岡編に詳しい。(初回放送2023年9月2日)
番組中タモリは大和屋の店先で10代目女将さんに差し出された「越乃雪」をパクっと一口で食べて唸った。

16個入り税込1,296円で、写真のとおり小さいし箱で上げ底で・・・と購入当初の印象は良くなかったが、吾輩は一粒つまんでみてハッとした。
そもそもガバガバ食べるものではないのだ。思いついたときに一粒つまみ口に入れるだけで満足感と余韻は長く続く。
そもそもこういう高貴なお菓子は箱から直接つまんで食べるという行儀の良くない食べ方ではなく、お茶会などで漆塗りの皿に一個載せて上品にしんみりといただくものだろう。

そういうお菓子なので16個入りでまずは充分なのだ。
いっぺんに食べ終える気配はなく、決して急激に減らない。

「安心してください、入ってますよ!」と古典的なデザインの箱はとにかく明るく吾輩に語りかけてくれているのだった。

(おわり)

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