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第八章「インターハイ予選決勝」Act.3「謝罪と、償いと」 学園小説relationship

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Act.3「謝罪と、償いと」

薄く目を開けた綾香の視界に、天井の白いタイルの輪郭がゆっくりと、しかし確実に像を結んでいく。綾香は救護室のベッドで自分が寝かされていることに気づいた。ベッドの周囲はベージュ色のカーテンで囲ってあった。部屋はシンと静まり返っている。人の気配はなさそうだ。

(……夢を見ていたんだ……)

横になったまま、綾香はブラウスの襟元に手をやる。じっとりと汗をかいて湿っている。記憶の濁流がもたらした熱量が、まだ身体にこびりついているようだった。

(……彩賀君は、どこに行っちゃったんだろう……?)

無意識のうちに、亮哉の姿を捜した。その時、廊下からドンドンドンと近づいてくる足音を聞いた。ガチャンとドアが大きく開かれる。綾香はビクっと身体を硬くした。誰が来たか予想がついたのだ。布団を頭からすっぽりと被った。

「綾香。西谷から聞いた。大丈夫か?」

未だ、興奮から冷めない様子の稔之の声がした。稔之は少し躊躇ってから、思い切ってカーテンを開けた。綾香は布団に潜り込んでいる様子だった。試合を終えた稔之は、西谷から事情を聞いて、着替えもそこそこに、慌てて救護室まで飛んできたのだった。

「綾香、俺達、勝ったよ。……全国に行ける。本当に……本当に……応援ありがとうな」

稔之はベッドの脇に歩み寄り、綾香へと優しく囁いた。切れ長の瞳には、いつものような鋭い光はない。幼馴染の少女を想う、少年の目だった。

「……帰って」

冷ややかな綾香の声がポツリと、静かな部屋に響き渡った。

「綾香、どうしたんだ?」

綾香の異変に気づいた稔之は、掛け布団の裾に手をかけた。バシッと綾香は、その手を払いのけて、ゆっくりと起き上がった。乱れた髪を直す綾香の表情は、稔之が今まで見た事がない程、無表情だった。それこそ、石の彫像みたいに。

「……念願の全国大会出場おめでとう。だけど、私、稔之の顔、見たくないの。当分」

綾香は稔之と視線を合わさず、壁の方を見つめたまま。

「綾香、一体どうしたんだよ!」

流石に稔之も、只ならぬ綾香の様子に懇願の意を込めて、声を荒げる。嫌な予感がする。

「稔之。プールでの出来事、覚えてる?」

「お、覚えてるよ」

しかし、今更、何故そんな事を言うんだ?と言い掛けた稔之だったが、綾香の強気な気配に押されて、言葉を飲み込んだ。

「助けるの間に合わなくて、悪かったな」

稔之は視線を下に落とす。

「間に合わなかったって!? 嘘言わないでよ! あの時……あんた笑っていたじゃない?」

綾香の何年にも渡り沈められていた怒りは、叫び声となって表れた。

あのプールでの事件の日。校舎4階のベランダで級友達とふざけていた稔之は、校庭西側にあるプールサイドに綾香達の姿を見つけた。季節外れのプールに用がある者なんて殆どいない。綾香が呼び出されたらしいと、遠目に見た稔之でも咄嗟に状況を理解した。

教室を飛び出した稔之は、一目散にプールへと駆け出す。綾香が苛めにあっているのではないかという、綾香の両親の会話を何日か前に耳にはさんでいた。階段を一気に飛び降りるように降りていった稔之は、あっという間に、プールサイド脇の階段に辿り着いた。

丁度その時聞いた、綾香が西条という男子生徒と一緒に帰宅しているという話。それは稔之にとって初耳であった。

(……綾香が!?)

稔之も、綾香の想いに気づいていた。そして、稔之も綾香の事が好きだった。綾香は、自分だけを想い続けていると思っていた。しかし、それは稔之の勝手な思い込みだったのか。

綾香は今、同級生に追い詰められている。今、助けねばならないのは分っていた。が、稔之の身体は悔しさで動かない。(俺だけを好きだった訳じゃないのか)稔之の心の中は、綾香を救う気持ちよりも、裏切られた悲しさの方が大きかったのだ。

そして、激しい水しぶきの音が聞こえた。すぐに、三人の女生徒が階段から駆け降りてくる。お互いに笑い合っていた三人であったが、稔之の姿を見つけるなり、表情を強張らせて全速で駆け出してしまった。

稔之は、すぐさま階段を駆け上がり、プール脇に立った。綾香がもがきながらも、何とか縁をつかまり這い上がるところだった。稔之は、不意に愉快な気分になった。自分でも予期しなかった感情である。(俺を……俺を裏切るから、こんな事になったんだ)心の中で呟いた時、水面から顔を出した綾香と視線が合った。

「私ね、プールに落とされたから、ショックだったんじゃないよ」

綾香の声が、稔之の意識を過去から現実へと引き戻した。(分かってる、だから俺も何年も苦しんだんだ……)稔之は心の中で必死に言い募った。しかし、構わず綾香は続けた。

「稔之っていつも優しいよね。私に対して。あの事件があってからも、色々助けてくれた。だけど、今気づいたの。稔之の優しさって……私を独占したいから。私に、振り向いて欲しいから……なんだよ!」

最初、冷静なように見えた綾香の声は、段々、感情的に大きくなった。その言葉の刃は、既に二人で共有した身体の記憶さえも切り裂くような、鋭い痛みを伴っていた。

「そりゃ、私だって、何も出来ないから……今でも、稔之に甘えていた所あったと思う。稔之だけじゃない。西谷君にだって、頼ってばかり。だけど、稔之の優しさは見返りを求めているから、苦しい!」

・・・綾香の言っている通りだ。 でも、俺は、どうしようもない位、綾香が好きなんだ!

稔之はもう泣き出しそうな顔で、綾香の肩をつかもうとする。先程までコートで戦っていた相手選手を、萎縮させていた人間と同一人物とはとても思えない。

綾香の肩に稔之の指が触れる直前、綾香はドンと稔之の胸を強く突き倒した。一瞬、後ろに稔之がのけぞった隙に、綾香はベッドを飛び降り、床に置いてあった運動靴を片手に、外へと走り出て行った。

「稔! 何があったんだ?」

稔之を気遣って、後を追って来た中田は、激しい言葉のやりとりの後に出て行った綾香を見つけて、慌てて中へと駆け寄って来た。稔之は上半身を折り曲げ、ベッドに突っ伏していた。

(……もしかしたら、俺は……)

この日が来る事が、分っていて、強くなろうとしていたのかも知れない。過去の過ちを受け入れる為に。身体に刻んだ記憶さえも、綾香を繋ぎ止める確証にはならなかった現実を認めるために。稔之は、そう思うことで、あえて辛さを紛らわそうとした。もっと強くならねば、この絶望には耐えられない。

「中田……全国頑張ろうな」

突っ伏した体勢を崩さないまま、稔之はかすれた声で呼びかけた。



その後。インターハイに初出場した立華大学付属高校バスケ部は、ベスト8という大健闘を遂げた。

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