Side Story⑦:本編第四章前-稔之、情熱の自覚と、忍法「空気と同化する術」 学園小説relationship
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Act.1:虚飾の波紋。尽きぬ心配
九月上旬。終礼のチャイムが鳴り響いた直後の、重く湿った空気。雨上がりのアスファルトから立ち上る熱気が、校舎の輪郭を陽炎のようにぼんやりと滲ませていた。
荷物を取りに体育科の教室に入った稔之は、クラス内でも折り合いの悪い一団が、先週発売されたばかりの地元密着型情報誌『街の天使たち』を囲んでいるのを視界の隅に捉えた。彼らは、高嶺の花を仰ぎ見るような、熱を帯びた憧憬の眼差しを誌面に向けていた。
その瞬間、心臓の奥がざわつくのを感じた。彼らが熱心に見つめているのが、あの「偽りの美少女」として現像された綾香であることを、本能が察知していたからだ。
(こんなもん軽い気持ちで載ったら、どんな面倒に巻き込まれるか分かんねぇだろ……。)

水瀬綾香の写真を憧憬の眼差しで
見るのを面白くない関谷稔之。
自分の席へ向かうため、そのグループの前を通り過ぎようとした時、わざとらしく突き出された誰かの荷物が、稔之のつま先に当たった。
「……っ」
足をもつれさせ、前のめりにグループの中へと倒れ込みそうになる。一瞬、教室内を冷え切った静寂が支配した。稔之の内に眠る、剥き出しの殺気が湿った大気を震わせる。
「おい、稔。先生が通るぞ」
中田の低く、冷静な声に弾かれたように我に返った。稔之は忌々しげに舌打ちすると、踵を返して教室を飛び出した。
(……綾香。安易に雑誌の取材受けたりするなよ! 全く!)
胸の奥で爆発的に膨れ上がったその怒りを、稔之はまだ、単なる苛立ちだと思い込もうとしていた。焦燥を打ち消すように、彼は写真部部室へと全力で走り出した。

広まり水瀬綾香を
不意に心配する関谷稔之
Act.2:忍法「空気と同化する術」
「綾香! 居るか……って、おい!」
乱暴に扉を跳ね上げた稔之は、予想を裏切る光景に眼光を鋭くした。
そこにいたのは、ブラウスの首元のボタンを外し、リボンをだらしなく緩めたまま、頬をプリンで膨らませている綾香だった。
綾香イラスト(写真部・プリン間食Ver.)
「な……何だ、その恰好は!」
その無防備さに、稔之の常識が警鐘を鳴らした。
「お前……女である前に、一人の人間としての羞恥心ってものがないのかよ!」
「え? 誰も居ないよ? どうしたの、突然?」
綾香は大きな瞳を見開き、不思議そうに稔之を見つめた。
しかし、この部室には、稔之の殺気を察知した瞬間に「忍法・空気と同化する術」を極めた二人の気配が、確かに存在していた。堀田と悠平は、雑誌の販売期間中の稔之が「猛獣」と化すことを事前に予測し、もはや存在そのものを背景の機材ラックへと同化させていたのだ。
「まずは、その口回りを拭け!」
差し出されたティッシュを受け取り、綾香は「あ、プリン付いてた? ごめんごめん」と照れ笑いを浮かべながら口元を擦った。
「大体、部活をもっと真剣にやれよ。襟元を直せ……こんなのと身内だと思われて、こっちが恥ずかしいぜ」
稔之は吐き捨てるように言ったが、その眼は、綾香の緩んだ襟元から覗く、陶器のように白い首筋のラインに釘付けになっていた。
(……っ)
湿った熱気が、稔之の喉の奥を焼く。吸い寄せられるように、精悍な腕から伸びた手が綾香の細い首筋へと伸ばしかけた、その時だった。
「関谷。勝手に部室に入られては、困るな」
入口に立っていた西谷の咳払いが、部室の静寂を切り裂いた。

牽制する西谷武久。
西田の懸念は本編第四章Act.1へと。
Act.3:観測者の憂鬱
「クッ……!」
西谷の冷徹な声に、稔之は弾かれたように手を引っ込めた。自らの暴走じみた衝動に、顔が熱くなるのを感じる。
西谷は穏やかな笑みを浮かべていたが、その瞳は冷静なままだった。
「ここは写真部の部室だ。すなわち、僕の管轄。関谷、ここでの水瀬さんの行動に対して意見があるのなら、僕を通すのが筋ではないかい?」
「……俺がどうかしていたよ。綾香、悪かったな」
稔之は西谷の正論に抗う術もなく、気を取り直して部室を後にした。
「君が直したという公園の写真は、文化祭で展示する予定だ。都合がつけば見に来てあげて」
すれ違いざま、耳元で囁かれた西谷の言葉にも、稔之は応えることができなかった。
西谷は急に真顔になり、去りゆく稔之の背中を、深淵を覗き込むような瞳で見つめた。
(……これまでの殺気とは違う。関谷はついに、自分でも気づかなかった思いを自覚し始めたのか)
西谷の心に、不穏な影がよぎる。理性を凌駕し、一人の少女を呑み込もうとする程の情熱は、これからの学園生活を根底から揺るがしかねない危うさを予感した。
「西谷君、ごめんね。私のせいで……」

出来事に謝罪をする水瀬綾香。
「別に気にしなくていいよ。ここでは、水瀬さんが楽しくいられることが一番だから」
一年の入部当初と比べ、ずいぶんと打ち解けて明るくなった彼女の笑顔を思い浮かべながら、西谷は努めて明るい声で言葉を重ねた。
『西谷さんの言う通りですよ。僕たちも、水瀬先輩がここで伸び伸びできるのが一番です』
何もなかったはずの空間から、堀田と悠平の姿がヌッと浮き上がってきた。
「うわっ! 居たんだ、二人とも!」
「忍法、マスターしましたから」
(……君たちの生存本能も、なかなかのものだね)
西谷は、静かに溜息をついた。
エピローグ:多忙な境界線
九月も終盤に差し掛かった頃。特別進学科の大量の課題、後期予算折衝に向けた膨大なデータ分析、および文化祭の準備。西谷の「観測」すべき領域は、限界を超えて多忙を極めていた。
「大丈夫か、武ちゃん。明らかに疲労が顔に出ているぞ。何か俺に出来る事はないか?」
放課後の教室。予習ノートを閉じた亮哉が、心配そうに西谷の顔を覗き込んだ。

彩賀亮哉。
「そうだね……。本当に困ったら、頼むよ……」
少し虚ろな目で答える西谷。
彼が見つめる静かな日常の先には、崩落の予兆を孕んだ稔之の執着と、まだ何も知らない綾香の笑顔が、危うい均衡で現像されていた。
(Side Story⑦ 終わり)
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