Side Story⑥:本編第四章前-【構造の断罪】(西谷の再起編 ‐永遠の現像‐) 学園小説relationship
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Act.1:白球の残像と、銀塩の福音
西谷は小学校時代、ピッチャーとしてその碧い瞳で打者の呼吸を読み切る、類稀なる制球力を持った野球少年だった。
十歳にしてすでに、打者の反応から一瞬の隙を見抜く術を知り、針の穴を通すような投球でマウンドを支配していた。だが、その輝かしい未来は、一台のトラックがもたらした衝撃によって、あまりにも呆気なく閉ざされた。
リハビリへ向かうバス停の前。握力を失い、震える右手を隠しながら、彼は何度も悔し涙で視界を腫らした。そんな彼に声をかけ、現像液の独特な匂いが漂う店内で「一瞬を永遠に変える写真」を見せながら、絶望の淵から引き上げてくれたのが、近所の写真館の店主だった。それが、西谷と写真との運命的な出会いである。
野球で培った、世界の動きを一点で見極める鋭い観察力。それが写真技術者としての開花を早めるのに、そう時間はかからなかった。
Act.2:教室の対話、魂の解像度
九月下旬。残暑の湿り気が、朝の廊下を重く支配していた。特別進学科の教室。
「……はぁ」
西谷は珍しく肩を落としながら教室に入り、予習ノートに目を通していた亮哉の前に立った。

教室に入る西谷武久。
「武ちゃん、元気がないな。何か不備でも生じたのか」
亮哉はノートを閉じ、心配そうに顔を上げた。
「最近、美樹ちゃんと一緒にいる時間が少なくてさ……。すれ違いが多くて、さっきも少し怒られちゃったんだ」
西谷は項垂れたまま、自分の席に深く沈み込んだ。時間は少なくとも、彼女を大切に想う気持ちに一点の曇りもなかった。
「武ちゃん、部活動に力を入れすぎだ。堀田君や一年の悠平に任せられる部分は任せて、君は全体を見ることに集中した方がいい。一人で抱え込んでも、組織は育たんぞ」
「文化祭の準備だけならいいんだけど、校内撮影は理事長が直接絡んでいるからね。誰にでも任せられる仕事じゃないんだよ」
「……大変だな。しばらく予習、俺も手伝おう」
「ありがとう、彩賀」
少しの間を置いて、亮哉がふと思い出したように、窓から差し込む秋の光を透かしながら尋ねた。
「ところで武ちゃん、どうしてそんなに写真という行為に執着するんだ?」
西谷は、親友に自分の根源的な想いを語ったことがなかったことに気づいた。
「人生って、何が起きるか分からないだろう。ずっと続くと思っていたものが、ある日突然、音を立てて終わることもある。だからこそ、今この瞬間が、何にも代えがたい価値を持つんじゃないかって思うんだ」
事故以来、色彩を失ったはずの風景が、ファインダー越しに全く違った輝きを持って現像された記憶。西谷は言葉を継いだ。
「瞬間だからこそ、人は鮮烈に輝く。その一瞬の光を銀の薄霧に閉じ込め、永遠として定着させることができたなら……。それは、瞬間に消える儚さを超えた『永遠』になるんじゃないかって。うまく言えないけれどね」
亮哉は窓の外、高く澄み渡った秋の空へと視線を向けた。その瞳は、西谷の言葉の裏にある「真実」を鋭く射抜いていた。
(……写真は、人の真実の魂が宿る光の器になる……か)
亮哉はこの時、西谷の言葉を自らの心に深く刻み込んだ。それが、後に彼が直面する運命の選択において、自らの命を賭してまでも守り抜くべき「真実」を現像するための、強固な原動力となっていく
Act.3:市街地の悲鳴、最上位の証明
放課後。待ち合わせのセミナーハウスに美樹の姿はなく、西谷は亮哉と共に駅へと向かっていた。
駅前の大通り。その静寂を切り裂くように、二台のパトカーがサイレンを激しく鳴らし、風を裂いて駆け抜けていった。パトカーが向かった方向へ目を向けた二人の前に、血相を変えた悠平が、肩を激しく上下させながら駆け寄ってきた。
「西谷さん、大変です! 僕のアパートの近くのコンビニに強盗が……! 中に萱原(かやはら)先輩が巻き込まれています!」
現場は、野次馬と警官隊の怒号が入り混じる混沌とした状況だった。入口を塞ぐ二人組の犯人を前に、警察側も有効な突入手順を見出せずにいた。
現場を取り囲んでから三十分ほどが経過しただろうか。膠着状態が続き、警官たちの間にも焦燥が漂い始めていた。黙って現場を俯瞰していた亮哉が、冷徹なまでの冷静さで口を開いた。
「武ちゃん、見ろ。入口から死角となる位置にある、あのカーブミラーだ。あの手前に正確に『投球』しろ。犯人が反射的に飛来物へ視線を移した瞬間、ミラーの反射光が奴らの目を焼き、一瞬の隙ができる。そこに、突破口を開くんだ」
「そんなこと言われても、僕には……!」
亮哉は答えず、近くの少年のボールを借りて西谷に握らせた。

ボールを渡す
彩賀亮哉
「武ちゃん。この間の体育での投球フォーム。君の重心移動の安定性は、すでに『答え』を導き出せる域にある。……狙えるな?」
亮哉は一瞬だけ不敵な笑みを浮かべると、現場を取り仕切る責任者の元へ歩み寄った。
「何だね、君たちは。高校生が出る幕ではない。早く現場から離れなさい」
一蹴しようとする責任者に対し、亮哉は無言のまま、定期入れに忍ばせていた「理想の少女(綾香)」の写真を……誤って提示した。
「おっ! 凄く可愛い娘だね。だが、それが何か? 邪魔をしないように」
耳元まで真っ赤に染めながら、亮哉は瞬時に本来のカードを責任者に突きつけた。
「……! 斯様(かよう)な御方に、最前(さいぜん)は斯くも非礼なる物言いを……。伏してお詫び申し上げます。何なりとお申し付けくださいませ」
今までとは打って変わり、最上位の礼儀を持って深々と頭を下げる責任者。西谷は驚愕しながらも、亮哉の提案を伝えた。
「左様(さよう)でございますか。その提案、一分の隙もございません。……許可を致します。ただし一度きり、失敗すれば直ちに現場を離れていただきます」
西谷は震える手でボールを握りしめた。脳裏に、事故の直前の試合、応援に来てくれた両親が撮影した「ピッチャー姿の自分」が鮮明に現像された。
両足をしっかりと踏みしめ、左足をわずかに引いて重心を一点に集める。右膝が高く上がり、軸足は微動だにせず。腰のひねりが一気に腕へ伝わり、しなやかに振り下ろされた指先から、白球が鋭い放物線を描いて放たれた。

10歳の頃のエースとしての自分を
現在の姿に重ね合わせる西谷武久。
パァン! という乾いた音とともに、ボールはカーブミラーの手前を直撃。
「今だ! 総員、突入ッ!!」
責任者の号令とともに、複数の機動隊員が防弾盾を先頭に一斉に店内へ雪崩れ込んだ。室内に響く怒号と、犯人を制圧する迅速な動き。一瞬の隙を突いた警察の突入により、犯人たちは床へと叩き伏せられ、瞬時に手錠がかけられた。
Act.4:理想の現像と、未来への託送
安堵の歓声の中、解放された美樹が西谷の元へと駆け寄ってきた 。いつもは気丈な彼女が、瞳を潤ませながら、真っ直ぐに彼を見つめる。西谷はそっと歩み寄り、落ち着いた眼差しで彼女を迎えた。
「無事で良かった、美樹ちゃん」
二人の間に流れるのは、言葉を重ねずとも通じ合う、静かで強固な信頼関係だった。
その様子を見届けた亮哉は、腕時計を一瞥した。
「武ちゃん、萱原さんが無事で何よりだ! 俺は電車の時間があるので、これで失礼する!」
亮哉は颯爽と駆け抜け、駅へと向かった。その途中、心配そうに駆け寄る西谷と美樹の方へ綾香と律子の姿を捉えた。
(あれは、定期入れの娘じゃないか。彼女の友人だったのか!)
運命の奇妙な繋がりに不敵な笑みを浮かべ、亮哉は駅へと吸い込まれていった。
エピローグ:現像された未来
十一月下旬。立華大学付属高校文化祭。
展示会場で、一枚の「野球少年の写真」に釘付けになっている少年がいた。
「この子の写真がきっかけで、息子は野球を始めたんです。今は楽しくて仕方ないみたいで」
母親の笑顔を受け、西谷は温厚な瞳で少年に微笑みかけた。少年の瞳には、かつての自分と同じ、未来を確信した光が宿っていた。
自分は夢を叶えられなかったかもしれない。だが、その一瞬を写真という名の「永遠」として現像し、誰かに託すことで、夢は形を変えて続いていく。
西谷はその夜、六年ぶりに机の奥から取り出したピッチャー時代の自分を写した一枚の写真を、希望の光を見出すように、じっと見つめ続けた。
Side Story⑥終わり
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