第九章「深層心理」Act.3「相手を想う事」 学園小説relationship
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Act.3「相手を想う事」
寮の門の前で、亮哉は西谷を待っていた。
「……武ちゃんに気を遣わせてしまったな」
相変わらずの余裕の笑みだったが、その瞳には確かな感謝の色が浮かんでいた。
「いいよ、別に。でも、こういうのは今回だけだからね」
西谷もいつもの調子に戻って笑い返した。二人は並んで、駅に向かって夜の道を歩き始めた。
亮哉は、西谷に向かって話し始める。
「関谷という男は、非常に『愛されたい』という気持ちが強い男なんだな。それなのに、自分の気持ちを素直に出せない。そこが、あの男の可哀想なところだ」
西谷は黙ったまま、亮哉の話を聞き続けた。
「だが、水瀬さんが関谷を突き放せないながらも、遠ざける理由も分かる。関谷の愛情というのは、無意識に見返りを求めているからな。自分に気持ちが向いてほしいから、世話を焼く。水瀬さんにすれば、それは負担だろう。……俺にも経験がある」
亮哉はさらに話を続けた。
「自分で言うのも何だが……俺はよく告白される。そして、俺が断るだろう? そしたら、『あんなに色々してあげたのに』と言われたり、こちらが勉強している時に電話してきて、『寂しいの』と懇願されたりすることもある。好意を持たれることは俺も嫌じゃない。だけど……それは本当は俺が『好き』なのではないんだろうな。……俺から愛情を得たい、というのが本音に近いんじゃないのか?」
それまで聞いていた西谷が口を開いた。
「確かに彩賀の言っていることは筋が通っていると思う。しかし、人間、普通はそこまで強くないよ。特に女性はね。『好かれたい』『必要とされたい』と願うからこそ、人間はお互いの存在を大切にしていくと思うんだけど……」
「ふふん。武ちゃんは随分と女性に優しいんだな。まあ……俺もこの考えを押し付けたりはしないよ」
駅に着いた二人は改札口をくぐって、別々の乗り場へと別れた。
ホームの片隅のベンチで電車を待つ亮哉は、綾香と初めて出会った時のことを思い出していた。 実は、文化祭の時が最初ではない。綾香の方は恐らく覚えていないだろう。綾香と出会ったのは、一年生の終わり頃だった。
あの時、亮哉は社会科教室へと向かっていた。当番だったので、亮哉の両手には大量の資料があった。そして、たまたまコンタクトレンズを失くしていたので、引っ張り出してきた度の合わない眼鏡をかけていた。 視界を資料に遮られ、足取りのおぼつかない亮哉は、正面からやって来た女生徒とぶつかった。床一面に散らばる資料。それを一緒に拾い上げたのが、綾香だった。
亮哉は直感した。この少女は「僕」が落としたから拾い上げたのではない。「僕」でなくても、同じことをしただろう。 端正な顔立ちをした亮哉は、幼い頃から非常によくモテた。それゆえ、自分に近づいてくる女性が見せる特有の「媚び」に敏感だった。綾香のことは、何となくその時から印象に残っていた。こういう縁になるとは、その時は思わなかったが。
一か月後。 期末試験も終わり、夏期講習に入って間もなくの日の午後。 綾香は、亮哉に呼び出されて写真部の部室に向かった。ドアの前には、すでに亮哉の姿があった。綾香が部室の鍵を開けると、亮哉に入るように促した。 開けるなり、ムッと立ち込めた熱気が二人を襲う。綾香は机の端にある年代物の扇風機のスイッチを入れた。扇風機は首を振りながら、部屋の空気を回転させた。
「……勝手ながら、関谷の連れから事情は大体聞いた」
亮哉のカッターシャツの襟が風に揺れる。しかし、事情を聞いた亮哉でさえ、かけるべき言葉が見つからなかった。何を言えば、綾香の救いになるだろうか。
「……あれから、関谷と会ったのか?」
綾香は首を振った。 「今、全国大会で忙しいみたいだから……」 もちろんそうでなくても、二人が意識的に避けるだろうということは亮哉にも分っていた。しばらくの沈黙の後、亮哉が口を開く。
「水瀬さん。関谷も十分に苦しんだんだ。昔のことに囚われてばかりいると、大切な時間はすぐに過ぎてしまう……」
言いながらも、なんてありきたりな台詞を言っているんだろうと、亮哉は自分の無力さに苛立った。こんなことを言ったところで、事態は何一つ解決しないではないか。
「……どうして、彩賀君にそんなことが言えるの?」
案の定、返ってきた綾香の言葉は冷たく感じられた。綾香にとって亮哉の言葉は、高い所から見下ろしているように聞こえたのかもしれない。
「どうして! どうして!」
またしても、大きな瞳に涙が浮かぶ。
「水瀬さん……」
綾香の興奮を抑えようとして亮哉の腕が伸びた時、肘が机の上に積み上げられた雑誌に当たった。雑誌が音を立てて床に叩きつけられる。
「おっと、悪かったな」
屈んで雑誌を拾い上げる亮哉のカッターシャツの胸ポケットから、金属製の小さなケースが零れ落ちた。ケースはカシャンと甲高く周囲に音を響かせると、パックリと蓋を開け、中身をぶちまけた。 様々な種類の錠剤が、コロコロとあたりに転がる。ケースはピルケースだった。
「彩賀君、大丈夫?」
涙を引っ込め、綾香もしゃがみ込んで錠剤を拾い始める。綾香の姿を見て、亮哉の口元が思わず緩んだ。 (やっぱり、僕の思った通りだ。水瀬さんは裏表のない優しさを持った人間だ……) 社会科教室での出来事が、亮哉の頭を掠める。

床に散らばった錠剤を拾いながら、
隠していた病を告白する彩賀亮哉と、
自分の事しか考えていなかったと赤面し俯く水瀬綾香。
錠剤を指先で拾い上げていた綾香は、何気なくパッケージの表示を見た。 ……? 表示名は心臓疾患に関する薬剤名を示していた。 綾香は、その薬の種類をテレビで聞いたことがあった。重い心臓病の治療に使われるものだ。一瞬にして顔色を失くした綾香に気づき、亮哉が言った。
「……始業式の日、俺は倒れただろう? あの時、精密検査をしたら見つかったんだ。幸い、日常生活に影響がない範囲で収まっているがな」
静かな声で、亮哉は薬の意味を認めた。
「……そんな」
言葉を失う綾香だった。
「……ずっと普通通り、学校に来てたよね?」
「五月から、家ではなく病院から通っている。学校で知っているのは、一部の先生だけだ。武ちゃんにも言っていない」
「全然、気がつかなかった……」
亮哉の方が大変な問題を抱えていたのに、自分のことばかりで甘えていた自分に、綾香は恥ずかしくなった。
「病気のことが皆に知れても構わないが……周囲に同情されるのは堪らなく嫌だからな。俺は必ず治ると思っているし、悲観はしていない」
強い意志が感じられる声で、亮哉は告げた。
「でも、無理しないで」
「分かっている」
「だけど、倒れたのは病気のせいじゃなくて、やはりショックだったからな」
半分拗ねたような笑みを、亮哉は綾香に向けた。
「……ごめんなさい」
申し訳なくて、目を合わせられない綾香だった。
「ははっ。じゃあ、病気が治ったら、今度は俺とどこかに一緒に旅行へ行こうか?」
病人とは思えない積極さである。その前向きで行動力のある性格が、実は亮哉の病の進行を最小限に留めているのだが。
「ええっ」
途端に綾香の顔が引きつる。 (……旅行は、もうたくさんだよ……) 目の前に縦線が入りそうなほどの困惑を見せる綾香を見て、亮哉は吹き出した。
「ははは。別に泊まりがけでなくていいんだ。堀田君から聞いたよ、水瀬さん、高知に行きたいんだって? 高知なら、高速バスを使えば日帰りで行けるじゃないか」
「そうだね……」
それなら、と綾香も承諾した。
「ん? そろそろ武ちゃんたちが部室に来そうな時間だな。俺はそろそろ失礼するよ」
亮哉はクルリと綾香に背を向け、ドアのノブに手をかけた。
「彩賀君」
呼んでから、意味もなく呼び止めてしまったことに綾香は気づいた。
「うん?」
首だけを動かし、亮哉は向き直る。
「ううん、何でもないの。ごめん」
綾香は小さく首を振ると下を向いた。亮哉は再び綾香に笑いかけると、ドアを開けて外に出て行ってしまった。
一人になった綾香は、急に寂しさに襲われた。両手を組み合わせて自分の肩にかける。 (もっと彩賀君と一緒にいたい。誰か、何とか早く彩賀君を治して……) 亮哉の回復を心から願う、綾香であった。
第九章「深層心理」 完
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