OBSERVER(オブザーバー)|第3話 削除済み
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LOG 02 誤差
閲覧権限:承認済
LOG 03 削除済み
朝、久瀬は一睡もできないまま端末を開いた。
宮坂直人。
【記録照会】
検索開始。
システムシークが走る。
数秒の沈黙の後、画面に文字が浮かび上がった。
《該当データなし》
久瀬は眉をひそめる。完全に削除されている。
不自然だった。すでに処理された死者のデータを、システムがわざわざ遡って抹消する理由がない。
情報管理室の片隅で、七海が紙コップを二つ持っていた。
「これ、一階の古い自販機で見つけたんです」
ブラックコーヒーと甘いミルクティーだった。ボタンを押してから豆を挽くタイプで、抽出に2分もかかる非効率なもの。しかも七海のコップからは中身が少しだけ零れて、紙コップの縁に茶色い染みを作っている。
片方を差し出してきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
七海は端末を見る。すぐ表情が変わった。
「え、消えてる……完全に」
久瀬は頷いた。七海が黙る。
やがて言った。
「隠蔽ですかね?」
その瞬間、背後から声。
「その可能性は高いね」
御影だった。
相変わらず気配が薄い。七海が苦笑する。
「教授、毎回急に現れますね」
「年寄りの特権だよ」
御影はそう言って笑った。だが目は笑っていない。
削除済み。その表示を、しばらく眺めていた。
「教授」
久瀬が聞く。
「宮坂を知っていますね?」
御影は否定しなかった。
「優秀な学生だった」
「何を研究していたのですか?」
沈黙。
七海が御影を見る。久瀬も見る。
やがて御影が口を開いた。
「未来予測モデル」
予想通りだった。だが、続く言葉が予想外だった。
「そして――未来予測が、初めて失敗した記録だ」
会議室。ホログラムが展開される。
宮坂の研究記録。
削除された論文。
途中で公開停止になったデータ。
タイトル:『予測不能領域について』
未来予測精度:99.98%
都市モデルと同等。
しかし、途中から内容が変わる。
《予測精度の向上に伴い、説明不能な誤差が発生する》
《誤差は個人単位ではなく観測単位で発生する》
《これは計算誤差ではない》
そこで記録が終わっていた。
七海が首を傾げる。
「意味分かります?」
久瀬は答えない。御影も黙っていた。
しばらくして、御影が言う。
「予測そのものを壊す人間がいる。宮坂はそれに気づいたんだ」
御影は会議室の隅に置かれた古いコーヒーメーカーへ歩く。豆を挽く低い音だけが、静まり返った会議室に響いた。
これ以上、話すつもりはないという合図だった。
「教授、またコーヒーですか」
七海が特に意味もなく言う。
「ただの黒い苦い水だよ。効率のいいカプセルじゃ、この苦味は再現できなくてね」
御影は、少しだけ皮肉めいた笑みを返す。
その日の午後、宮坂の研究室へ向かった。
閉鎖済み。立入禁止。扉には封印。だが、監査局権限で解除できる。
扉が開く。空気が重い。
誰もいない。
机。
椅子。
端末。
資料。
そして1枚の写真。
宮坂が久瀬の肩に腕を回し、満面の笑みでこちらを見ている。
時間だけが止まっている。
久瀬はゆっくり歩く。
違和感。
まただ。
数字にならない。説明できない。
何かがおかしい。
七海が棚を見ている。
「久瀬さん」
七海が古いファイルを取り出していた。データではなく紙だった。この都市では、重要記録はすべて電子化されている。
紙そのものが異物だった。
開く。中には人物リスト。
【被験者一覧:研究協力者】
その中に、一つだけ知っている名前があった。
《久瀬透》
久瀬は思考が止まったように動けなかった。
研究年月日は十年前。久瀬は、まだ子供だった。
「……なんで?」
七海が呟く。
ページをめくる。
《久瀬透》のすぐ下に、《宮坂直人》の文字。
「あった……!」
七海が声を弾ませた瞬間、久瀬の網膜が微かに明滅する。
紙の上の黒いインクが、ゆっくりと滲んでいく。
「相馬、触るな!」
久瀬は思わず手を伸ばし、宮坂の名前を指で押さえつけようとした。だが、指先をすり抜けるようにして、黒い文字は急速に薄くなり、ただの透明な水へと変わっていく。
染み込んだ水が乾くより速く、紙は真っ白な空白へと上書きされた。
最初から、誰もそこにはいなかったかのように。
七海の手には、さっきまで紙を押さえていた感触だけが残っていた。
久瀬の指先には、インクの匂いすら残っていない。世界が、目の前で宮坂を「嘘」に書き換えたのだ。
七海も青ざめていた。
「今、見えたのに」
久瀬は頷いた。
見間違いじゃない。確かに書かれていた。
帰り道。小雨が降り始めた。
人々が足を速める。久瀬は立ち止まる。
ショーウィンドウ。
ガラス。
そこに映る街。
そして、黒いコートを着た彼が後ろに立っている。
振り返らない。今度は逃がしたくなかった。
「誰だ」
小さく呟く。ガラスに映った彼が笑う。
「本当に知りたい?」
振り返る。誰もいない。
再びガラスを見る。消えている。
代わりに、文字だけが残っていた。水滴の上に指でなぞったような文字。
《まだ見るな》
目を見開く。次の瞬間、雨で消えた。
夜。自宅。
端末を開く。
今日見たファイル。
【被験者一覧】
記録には存在しない。閲覧履歴もない。
まるで最初からなかった。
久瀬は椅子にもたれる。頭が痛い。
その時、端末が通知を鳴らした。
【新規死亡案件予測 No.1144】
年齢:二十三歳
職業:大学院生
所属:御影研究室
久瀬は息を止めた。
御影研究室。
宮坂直人。藤崎悠斗。そして今度は──。
偶然じゃない。宮坂の周囲から、順番に死んでいる。
次は、誰だ。
【観測ログ No.03】
削除対象:No.1144
状態:処理完了
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