見出し画像

OBSERVER(オブザーバー)|第2話 誤差

▼ログ履歴参照
 LOG 01 幸福な死

閲覧権限:承認済


LOG 02 誤差


藤崎悠斗の部屋は、驚くほど整っていた。

机。
本棚。
端末。
衣類。

すべて規則的に配置されている。
生活感が薄い。
だが不自然ではない。

七海が端末を操作する。
異常なし。
綺麗すぎた。

久瀬は壁にもたれる。
違和感。数字にならない違和感。
机の隅。古いメモ。手書きの数式。

『効率、効率って。たまには無駄な計算もしろよ』
昔、宮坂が久瀬のノートを見て呟いた言葉が、耳の奥で蘇る。

拾い上げた手書きのメモ。そこには赤ペンで丸が付いている。
久瀬はメモを見つめた。
───宮坂なら、きっと笑った。
《観測誤差》

「相馬」
「はい」
「これ」

七海が覗き込む。
「観測誤差?」
予測誤差ならある。観測誤差はない。
聞き慣れない単語だった。

七海が首を傾げた。
「研究用語ですかね」

その時、背後から声がした。
「違うよ」

振り返る。知らない男の人だった。
五十代くらい。白衣。眼鏡。
白髪混じりの髪は伸び放題で、痩せた頬には深い疲労が刻まれている。
それでも、深い隈の下にある瞳だけが異様なほど鋭かった。
いつ入ってきたのか分からない。

「観測誤差は研究用語じゃない。この都市が前提としているものの問題だ」

七海が警戒する。
「どちら様ですか」

男性はポケットから認証証を出した。
外部顧問。御影恒一。

久瀬は名前を知っていた。
都市運用モデルの開発者の一人。予測理論の権威。

「御影教授」
御影は少し笑う。
「知ってくれていて光栄だ」

御影は机のメモを見る。しばらく黙る。
そして、小さく息を吐いた。
「やっぱり」
「何がです?」
久瀬が聞く。

御影はすぐ答えなかった。代わりに藤崎の本棚を見る。
御影は藤崎の古い研究ノートを取り出す。
「彼はここまで来ていた」
呟くように言う。

七海が聞き返す。
「何の話ですか」
御影は首を振った。
「まだ早い」

久瀬はその言葉に引っかかった。
まだ。
つまり何か知っている。

「教授」御影がこちらを見る。
「藤崎はなぜ死んだとお考えですか」

沈黙。

やがて御影は言う。
「死んだんじゃない」
久瀬は眉をひそめる。
「どういう意味です?」

御影は、藤崎の机に視線を落とし、低く、かすれた声で呟いた。
「正確には、消された」
御影は笑っていた。
しかし目だけは、全く笑っていなかった

七海が笑う。
「都市伝説でもあるまいし」
御影も笑った。
「そう聞こえるよね」


監査局へ戻る途中。七海が大きく伸びをした。
「変な人でしたね」
久瀬は答えない。

「消された」
その言葉が残っていた。

論理的ではない。証拠もない。
だが、なぜか頭から離れない。


食堂。
七海が嬉しそうに言う。
「今日はカレーです」
「栄養効率ならB定食だ」
久瀬は迷うことなく選ぶ。合成トレイに乗せられたそれは、過不足ない栄養素と引き換えに、湯気すらも計算された温度でしか立ち上らない。

「久瀬さん、人生それだけじゃないですよ」
七海が呆れたようにスプーンを動かす。七海の選んだカレーからは、この整然とした食堂には不釣り合いな、スパイスの強い匂いが立ち上っていた。
いつもなら「嗅覚への過度な刺激は合理的ではない」と一蹴するところだった。なのに、久瀬はその匂いから、どうしても目を、感覚を逸らせなかった。

湯気の温度まで計算された味気ないB定食を口に運ぶ。
いつもなら脳内で自動的に行われる、栄養素の吸収率計算ログが、なぜか途中でかすれて消えた。
脳裏に、消えない染みのようにこびりつく御影の言葉。
──消された。
計算が壊れていく。
完璧なはずの食べ物が、ひどく味気ない砂のように感じられた。


夜。監査局。上席会議。
会議室には緊張が漂っていた。

壁面ディスプレイ。
【死亡案件一覧】
No.1142
No.1143

二件。
異常な増加率。

上席の情報管理官が言う。
「予測成功率は維持されている」

画面が切り替わる。

《99.97%》
都市運用モデル正常。
異常なし。

「ならなぜ死亡が増える」
誰かが聞く。

沈黙。

情報管理官は答えない。代わりに久瀬を見る。

「久瀬」
「はい」
「最近」

一拍。

「君の判断誤差が増えている」
久瀬は黙る。
「対象への感情移入。独自判断。報告遅延」
数字が表示される。

【監査評価】
A+ → A → A-

画面の文字が切り替わるたび、久瀬は自分の心臓が冷たく収縮するのを感じた。
評価が、落ちている。
「監査官は客観であれ」
情報管理官の冷徹な声が、会議室の空気を凍らせる。
「我々自身が誤差になってはならない。誤差は、排除される」
呼吸が止まった。
宮坂の死を追い、七海の言葉に揺らいでいる久瀬の内面が、システムによってリアルタイムで「異常」と判定されている。
監査していると思っていた世界で、本当は久瀬自身が、評価され、不要と判断されようとしているのではないか。
底知れない恐怖が、背筋を駆け上がった。

会議終了後。部屋を出る。
廊下の窓には、都市の完璧な夜景が広がっていた。
完璧な光。完璧な秩序。
そして、ガラスに映る久瀬の後ろに、誰かが立っていた。
振り返る。誰もいない。
再び窓を見る。そこには確かに男がいた。顔は良く見えない。彼は声もなく口の形だけで動いた。
『本当に監査されてるのは誰だと思う?』
久瀬はしばらく動けなかった。


帰宅後。端末に新着通知が届く。
発信者不明。
送信時刻不明。
添付ファイル一件。
表示されたのは、たった一行だった。

《お前はそっち側へ行くな》
送信者:宮坂直人。
死亡日時の三日前。
息を止める。死亡した人間から、メッセージが届いていた。


【観測ログ No.02】
観測誤差:0.02%
状態:監視継続


#創作大賞2026
#ミステリー小説部門

▼ログ更新
 LOG 03 削除済み


▼観測ログ一覧


いいなと思ったら応援しよう!