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【讃岐秘話】東かがわ市の旧・武家とその繋がり: 板西城主 赤沢信濃守宗伝、黒羽城主 永塩因幡守氏継、十河氏系三谷家、碁浦御番所役人 八田孫太夫、仙石秀久家臣 森権平久村

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トリリンガル讃岐PRオフィサーの森啓成 (モリヨシナリ)です。

今回は、香川県と徳島県の県境に位置する東かがわ市の旧・武家がどのような出自を持ち、どのような繋がりを持っているかを紐解いていきます。

ぜひ最後までお付き合いください。






【東かがわ市の旧・武家】


・永峰家(ながみねけ) : 黒羽 (くれは) 城主 永塩因幡守氏継 (ながしお いなばのかみ うじつく) の系譜

・森家(もりけ): 阿波水軍 森家の系譜

・三谷家(みたにけ): 名門十河 (そごう) 氏の系譜

・赤沢家(あかざわけ): 阿波・板西(ばんざい)城主 赤沢信濃守宗伝 (あかざわ しなののかみ そうでん) の系譜

・八田家(はったけ): 碁浦御番所 (ごのうらごばんしょ) 役人の系譜。1641年、阿波と讃岐の国境策定会議に八田孫兵衛が境目証人として出席し、重要な役割を果たしたことが認められて一帯の山と切田を与えられ碁浦御番所役人を命ぜられた。








香川県と徳島県の県境に位置する東かがわ市。この地は単なる境界線ではなく、戦国から幕末にかけて多様な武家が往来し、守り抜いてきた歴史の交差点です。

かつてこの地を駆けた武士たちの志は、長い年月を経て現在の地域文化へと受け継がれました。その歴史の断片を辿ることは、現代に生きる私たちとの繋がりを再発見する旅でもあります。




東かがわ市 旧武家の系譜と歴史的背景




🔹永峰家(ながみねけ) : 黒羽城主 永塩因幡守氏継の系譜



室町時代、細川家の細川勝元に仕えた出自を持ち、軍事・統治の重要拠点を支えた一族です。



特命による派遣
:
引田城の寒川氏に属する四宮右近を監視するという重要な任務を帯びて、細川家より東かがわ市黒羽(くれは)に派遣されました。


黒羽城主:

永塩因幡守氏継は、黒羽城を築き黒羽の地に住みました。1467年(応仁元年)8月に黒羽神社を創建し、10月に応仁の乱で安富元綱らと共に京都御所北側の相国寺で没しました。一族は帰農し、姓を永峰へ改姓しました。永峰家は、この黒羽城主・永塩因幡守氏継(ながしお いなばのかみ うじつぐ)の血統を汲んでいます。

江戸時代には、黒羽村の庄屋・地主を代々務め、土地を守る重責を担いました。




・東かがわ市黒羽にある黒羽神社。1467年創建。



🔸永峰家 家系図 (引田町人物史)


・永峰杢左衛門について

・永峰杢左衛門家の家系図


・黒羽の永峰家は代々、西家が庄屋、東家が地主でした。



・永峰杢左衛門直系子孫の永峰チヨ、永峰市次郎の長女


・永塩因幡守氏継→長塩元親→永峰宅本の歴史。摂津国守護代を歴任した長塩家の面々。




🔹森家(もりけ): 阿波水軍 森家の系譜


海を渡り、新たな土地を切り拓いた不屈の精神を持つ一族

引田の戦いと移住:
出自は阿波水軍森家の分家で、本家の木瓜紋に対し、「丸に木瓜」の家紋を継承しています。

1583年の引田の戦いにおいて、一族の森権平久村が討死。その後、残された一派の者たちが馬宿から東かがわ市馬篠(うましの)へ逃れ、柏の木が生い茂る山を開拓し、柏谷上池、柏谷下池を作り、定着しました。一帯の山林と土地を所有しました。

阿波水軍時代の高い土木技術を活かして普請の仕事に従事し、橋や道路を作り、金刀比羅宮の石段造営にも参加しました。


実務の継承:
江戸時代においても帰農せず、高松藩の普請方(土木・建築の管理役)を務めることにより武士の身分を守りました。

開拓の精神と実務能力を代々引き継ぎ、厳格な武家教育を子孫に伝えていきました。




🔸阿波水軍森家の家系図




・1583年の引田の戦いの後、馬篠の柏の木が生い茂る山へ落ち延びた。山を開拓、治水を行い柏谷と名付けた。土木技術は阿波水軍時代から受け継いだ。


・柏谷上池



・江戸時代、高松藩は東かがわ市の小磯北山に大筒台場を設置していた。高松藩主一行が見回りに来た際は馬篠の森家がお膳立てし接待していた。大変な出費になったと伝わる。



・阿波水軍 森家は3,000石を有し徳島藩蜂須賀家に260年以上、海上方として仕えた。中老として参勤交代、海防役の重責を担った。元の拠点は鳴門の土佐泊城だったが、阿南市の椿泊へ移り、松鶴城を居城とした。森甚五兵衛家代々の墓と始祖 佐田九郎左衛門を祀る佐田神社は阿南市の椿泊にある。森甚太夫家代々の墓は板野町の四国88ヵ所札所 地蔵寺にある。


・木瓜の香り: 阿波水軍森家の出自と歴史。始祖の佐田九郎左衛門は、因幡国出身で鎌田→佐田→森と改姓した。先祖は藤原秀郷の系譜となる。



・阿波水軍森家の木瓜紋と分家の丸に木瓜紋。屋根瓦や墓石に丸に木瓜紋が見られる。



・高松藩 森虎太郎と永峰チヨの娘 森トメノの神戸新聞によるインタビュー記事。森トメノは、碁浦御番所の役人を世襲した八田家の八田キヨの孫にあたる。

・下記記事の祖父というのは高松藩 普請方の森喜平、祖母は碁浦御番所役人の八田孫平の長女 八田キヨ。八田キヨは風流な人で、阿波浄瑠璃の三味線が得意だった。春になると三味線を弾きながら近くの島に舟で渡り、遊山を楽しんでいた。そんな関係もあり孫の一人は琵琶の師匠をしていた。





🔹三谷家(みたにけ): 名門十河氏の系譜


讃岐守護代の流れを汲む有力豪族・十河(そごう)氏の血を引く、知性と文化を象徴する名家です。


虎丸城陥落後の再起
:
1584年、長宗我部元親軍による虎丸城陥落という激動の中、一族は黒羽に落ち延び、そこに根を張りました。この時、十河存保は豊臣秀吉を頼って大坂へ逃れました。


文化的・社会的貢献
:
この三谷宗家からは、後に作家・僧侶の瀬戸内寂聴氏や町会議員らが輩出されました。



🔸三谷家 家系図 (引田町人物史)


三谷家は遡れば讃岐に派遣された景行天皇の皇子 神櫛王の流れを汲み、名前に”景”の字を持つ先祖が多い。1584年(天正12年)、三谷景則の代に黒羽へ来た。


・瀬戸内寂聴さんは三谷甚六の子孫で、江戸時代から代々、製糖業を営み財を成した。しかしながら、寂聴さんの祖父 三谷峰八の出奔により製糖業を止めざるをえない状況となり、父の豊吉は幼くして徳島の指物商に丁稚奉公に出た。
寂聴さんが高校生の頃、父の三谷豊吉は瀬戸内いとの養子となり、瀬戸内姓となった。



・東かがわ市黒羽にある糖業感謝碑。この近くに瀬戸内寂聴さんの父の実家がある。


【写真】右端: 瀬戸内寂聴さんの母 コハルと1才の晴美(瀬戸内寂聴さん)、姉の艶(つや)(真ん中)、瀬戸内いと(左端)。コハルさんは戦時中に空襲で亡くなられた。

いとの夫 傳(つたえ)は、坂出の塩田を開いた久米通賢の次男で、瀬戸内家の女婿になった。傳がクリスチャンになり、いとがそれにならった。久米通賢は代々、黒羽の隣りの馬宿に住んでいたが、通賢の生家は屋島の四国村に移転され大切に保管されている。

瀬戸内いとがクリスチャンだった為、引田の積善坊にある瀬戸内寂聴の父母の墓石には十字架が彫られた下に、ヨハネ黙示録十四章十三節の「今より後、主にありて死ぬる人は幸ひなり」という言葉が刻まれている。

瀬戸内家はクリスチャンだったが、徳島市の眉山前で神仏具店を営んでいた。現在は、瀬戸内寂聴さんの姉の子孫が受け継いでいる。


東かがわ市引田の積善坊。近くの萬生寺に笠置シヅ子さんの養父母と義弟の亀井家の墓がある。笠置シヅ子さんは黒羽の三谷家の出身だったが生後間も無くある事情から大阪に住む亀井家の養子となった。笠置さんは生前、萬生寺に屋根の銅製の雨どいを寄進した。現在も雨どいと寄進塔が残っている。



・徳島市東大工町で現在も営業を続けている瀬戸内神仏具店







🔹赤沢家(あかざわけ): 阿波・板西城主 赤沢信濃守宗伝の系譜


激動の戦国期を越え、地域の精神的支柱として代々信仰を守り抜いた一族です。


中富川の戦い
:
1582年、阿波の板西城主であった赤沢信濃守宗伝の一族は、中富川の戦いで長宗我部軍に敗れ全滅しました。板野群板野町には、赤沢信濃守の霊廟を祀る愛染院、娘のカヨが長宗我部軍に斬られた場所にある振袖地蔵、板西城将兵の墓があります。赤沢信濃守の一子は命からがら讃岐の小砂(こざれ)へと逃れました。

大坂天満で得度し、勝覚寺を開基しました。江戸時代の1684年に小砂から三本松へと移りました。


歴史的絆
:
1583年の引田の戦いで長宗我部元親軍ににより討たれた森権平久村の母が赤沢一族の赤沢伊賀守の娘であったという縁に基づき、高松藩 森家の菩提寺は、赤沢家が住職を務める勝覚寺となりました。数百年にわたり、地域の信仰の礎を築いています。




・東かがわ市小砂の正真堂。1582年、中富川の戦いに敗れた赤沢信濃守宗伝の長子が板野町の板西城から命からがら落ち延びた場所。赤沢宗伝一族は討ち死にし、母は自害、妹のカヨとおつきの二人は板野町の振袖地蔵がある場所で長宗我部軍に斬られた。赤沢信濃守宗伝は板野町の愛染院内の霊廟に祀られている。愛染院内には板西城将兵の墓もある。宗伝の長子は一族の菩提を弔う為に大坂天満で得度し、勝覚寺を小砂で開基した。1583年、引田の戦いで森権平久村を失った一派の者は馬篠に落ち延びた。森権平久村の母は赤沢一族の赤沢伊賀守の娘であった縁で勝覚寺が森家の菩提寺となった。森権平久村の墓は伊座にあり、位牌は叔母が嫁いでいた引田の日下家にある。森権平久村の過去帳は引田の積善坊にある。



・板野町にある赤沢信濃守宗伝を祀る愛染院蔵



・大内町史に、赤沢信濃守宗伝の長子が小砂で開基した勝覚寺の経緯が書かれている。1684年に小砂から三本松へ移った。


・第20世 赤沢融海法師。西本願寺からの興正派の独立に貢献し、興正派執事を務めた。三条実美、鷹司家と親交があった。勝覚寺の寺紋は鷹司家から下賜された。海暁閣は本願寺のトップから賜った。四国唯一の閣寺院。


・裸の大将のロケ地にもなった境内


・【動画】1996-07-28 裸の大将放浪記-清と三姉妹の宝探し(東かがわ市)







🔹八田家(はったけ): 碁浦御番所役人の系譜


八田家は、讃岐と阿波の物理的な「境界」を司ってきた極めて重要な家系です。


国境決定の功労
:
1585年(天正13年)、阿波と讃岐の国境を画定する際に中心的な役割を果たしました。この時引かれた境界線が、現在の県境の基礎となっています。




御番所の世襲
:
藩境の要衝である碁浦(ごのうら)御番所の役人を200年以上にわたって世襲した、格式高い「禄持ち」の家系です。

江戸時代、測量中の伊能忠敬、久米通賢、四国遍路途中の松浦武四郎 (北海道の名付け親、アイヌ研究家)らも碁浦御番所を訪れています。





森家との縁
:
幕末期、当主・八田孫平の長女キヨが、阿波から藩を跨いで讃岐・馬篠の森家へと嫁ぎました。





・碁浦御番所。国道11号線建設の為、解体された。


・碁浦御番所の三ツ道具


・伊能忠敬上陸地点



・碁浦御番所 八田家文書



・史跡 碁浦御番所跡



【讃岐秘話】1641年、生駒家改易後の阿波と讃岐の国境争議の裏側: 阿波側証人 八田孫兵衛の主張は? 八田孫太夫の先祖覚え書きから読み解く国境決定の経緯 (鳴門市史 上巻)





歴史の交差点としての東かがわ:共通の宿命が結んだ「不屈の連帯」


東かがわの地は、単なる地理的な国境ではありません。

ここは、1580年代の長宗我部元親軍による猛攻という、過酷な歴史の荒波を生き抜いた武家たちが集い、新たな希望を切り拓いた「再起の地」です。

三谷家、森家、赤沢家の三家は、いずれも長宗我部軍との戦いの中で苦杯をなめ、故郷や拠点を追われるという共通の宿命を背負っていました。

三谷家:虎丸城陥落という激動の中、黒羽へと逃れました。

森家:引田の戦いで森権平久村を失いながらも、馬篠の地を開拓し再興を遂げました。

赤沢家:阿波の中富川の戦いで敗れ、小砂へと落ち延びました。

同じ痛みを分かち合い、同じ時代を生き抜いたこれらの家系は、東かがわの地で互いを支え合うように深く結びついていきました。

その連帯の証こそが、数世代にわたって幾重にも重ねられた「婚姻」と、400年以上揺らぐことのない「信仰」の絆です。


時代を繋いだ「血脈の織物」

・幕末期、森喜平と八田キヨの婚姻

・明治初期、森虎太郎と永峰チヨの婚姻

・明治初期、三谷磯八と森トヨの婚姻

・昭和初期、永峰修一と森ミヤコの婚姻

・赤沢信濃守宗伝の長子が開基した勝覚寺が森家の菩提寺となり400年以上




・江戸時代、小磯には大筒台があり高松藩主一行が見回りに来た際は森家がお膳立てし接待していました。幕末期は外国船が瀬戸内海を行き来し、薩摩、長州の倒幕の動きが見え隠れしていました。

そんな状況下、1864年に高松藩 普請方 森義右エ門の長男 森喜平と徳島藩 碁浦御番所役人を200年以上世襲した八田家当主の長女 八田キヨは藩を跨い婚姻を結びました。この婚姻には両藩にとって情報漏洩リスクにまさる深い意味がありました。

12万石の高松藩松平家は徳川家に近い親藩、四国一の26万石を誇る徳島藩蜂須賀家は外様大名でしたがお互いの藩の動向が気になる時代でした。

森喜平の長男 森虎太郎は、黒羽の永峰家当主 永峰市次郎の長女 永峰チヨと婚姻を結びました。

森虎太郎の妹の森トヨは、黒羽の三谷家の三谷磯八と婚姻を結びました。


・森虎太郎と永峰チヨの娘 森ミヤコは黒羽 永峰家へ嫁ぎました。




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著者のプロフィール




森啓成 (モリヨシナリ)



海外ビジネスコンサルタント、ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部マーケティング専攻。

大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事(北京オフィス所長)。

その後、香港、中国にて外資系商社設立に参画し、副社長を経て顧問に就任。

アメリカ、シンガポール、中国、ベルギーなど、海外滞在歴は計16年以上。


現在はBizconsul Office代表として、海外ビジネスコンサルタント、ビジネス英語講師、全国通訳案内士(英語・中国語)として活動中。

観光庁インバウンド研修認定講師、四国遍路通訳ガイド協会会員、トリリンガル讃岐PRオフィサーも務める。


【保有資格】

  • 英語: 全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級

  • 中国語: 全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級

  • ツーリズム: 総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド


【メディア・研修実績】

香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載。

瀬戸内海放送(KSB)及び岡山放送(OHK)ニュース番組コメント。

観光庁インバウンド研修認定講師として地方自治体や宿泊施設で登壇。

四国運輸局事業コンサルタント、 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド、香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験面接官を務める。


・香川県登録通訳案内士サイト




・座右の銘は「雨垂れ石を穿つ


・全国通訳案内士登録証 英語

・全国通訳案内士登録証 中国語

・香川せとうち地域通訳案内士登録証 中国語

・四国遍路ガイド協会会員証

・観光庁インバウンド研修認定講師


・直島の地中美術館、ベネッセハウスミュージアムを設計した安藤忠雄さんに書いて頂いたサインと『光の教会』






以上

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