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世界と社会と人と、ほんの少しだけ繋がりたい#32

孤独。

一人でいることにはもう慣れてきたはずなのに、ふと感じてしまうことがある。

専業主婦として生活して、約8年。

子どもたちが学校や幼稚園に行くようになって、一人で過ごす時間が増えた。

嬉しくもあり、寂しくもある。

こんな時に考えてしまいがちなことがある。

「私は社会の中に、
いない人間なんじゃないか」
ということ。

仕事をすれば半強制的に、
社会の中に属することができる気がする。

でも、専業主婦の中にはさまざまな事情があって、それができない人もいる。

私もその中の一人。

じゃあ、
社会と繋がるのは無理なんだろうか。

少しだけなら、
ほんの少しだけなら
繋がれるんじゃないかと思う。

例えば、子どもの幼稚園で
他のお母さんや先生と交わす、
ちょっとした会話。

行きつけのお店の店員さんとの、
他愛のないやりとり。

そしてこのnoteでの繋がりも。

些細なことかもしれない。
でも、ゼロじゃない。

そうやって、
ほんの少しずつ繋がっていく。


社会人だった頃。

満員電車に揺られながら、
周りにはたくさんの人がいるのに、
思えば心はいつも一人だった。

会社では毎日忙しく仕事をしていて、
社会の中の歯車の部品のひとつとして働けている実感があった。

あの頃は、苦しくても、
「社会の中にいる人間だ」とは思えていた。

確かに、“社会の中”には存在していた。

でも本当は、
「社会の中にいる人間」
ではなかったのかもしれない。

代替可能な、
歯車の部品のひとつだった。


社会の中にいる人間って、なんだろう。

私は、人と人との心の繋がりがあってこそ、
人間として社会の中にいることなのかなと思う。

小さくてもいいから、
誰かと温度を通わせて関わること。

それこそが、
人と繋がることなんじゃないだろうか。

人との関わりの中で、
ほんの少し心が温まったり、
誰かの心を温めたりするような関係。

そんなふうに、
中に血が通っているような関わり。

仕事の関わりの中でも、
それ以外の関わりでも、
そこに温度があれば
「社会の中にいる人間」に
なれるんじゃないかと思う。

もし関係が無機質で、
温度のないものなら、
それは歯車と歯車が噛み合って
くるくる回っているだけの、
ただの部品なのかもしれない。

人との関わりの中に、
少しだけ温度を乗せる。

外側に、自分を出していく。

玄関のドアを開けて外に出るように、
自分の心を、少しだけ外へ連れ出す。

そうやって、社会と少しずつ繋がっていく。

世界と、社会と、人と。
ほんの少しずつ繋がっていきたい。


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