人を役割だけで見られない私#22
道を行き交うサラリーマン。
お店で働く店員さん。
子どもの学校の先生。
普段「役割」として
見てしまいがちな人たち。
でもみんなそれぞれの人生がある、
一人の人間。
それって世間では忘れられがちなことのように感じるけれど、私はいつもそうにしか見えない。
それが悩みでもあり、誇らしくもある。
この人も家に帰れば、パパやママなのかな。
この人のこんなところが
人間味あってとっても素敵だな。
この人、今日疲れているみたいだな。
大丈夫かな。
ついそんな目線で見てしまう。
そうやって見られることを好まない人がいることも分かっている。
だから表には出さない。
あくまで役割上付き合っていますよ、
という顔をして接している。
でもそんな中で
「実は私は〇〇で〜」
「うちの子どもは〜」
「今日こんなことがあったんですよ〜」
なんて、少しでも“その人”が見える話をしてくれたとき、私はとても嬉しいなと思う。
同時に、すごくホッとする。
役割の中での付き合いから、ほんの一歩だけ外れて、人と人として関わってくれたような気がする。
それが私じゃなくてもいいことも
分かっている。
でも、それを私に話してくれるのが嬉しい。
役割の中の人間関係だけで成り立つことが、本来ほとんどなのも分かっている。
でもその役割の中にいるのは、どうしても「役割」だけじゃない。
どんな役割の中にも、
“たった一人の人間”がいると思ってしまう。
だから私は、役割を外れたその人のことも、
ほんの少しでいいから知ってみたいと思う。
役割の中でも、ほんの少しだけでいいから、人と人として関われたらいいなって本当は思ってる。
でも、自分はこれが本当に苦手で、
やるのが怖いと思ってしまう。
もし自分が役割を外れた姿を見せて、
受け入れてもらえなかったら。
やっぱり私は、役割の中の自分でしか居てはいけないんだって思ってしまいそうだから。
だから、役割の殻の中に閉じこもり続ける。
そんな自分に対しては、
少しの情けなさとズルさを感じる。
こんなことを考える私は、
本当は役割の外にいる自分を、
誰かに見てほしいのかもしれない。
もちろんこれは、私の価値観であって、
すべての人に当てはまるものではないことも分かっている。
むしろ当てはまる人の方が少ない気がする。
一人ひとりを人間として見ていられるほど、
ゆっくり生きられる世界じゃないから。
それがダメだなんて思わない。
それぞれ世界の見方や捉え方が違うだけ。
みんながみんな、私みたいにゆっくり生きていたら、そもそも世界は成り立たない。
ただ、私はこのペースで生きている。
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