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線路は暮らしの縁側——ヤンゴン環状線と日本人墓地|後編【海外での記憶#14|ミャンマー編-03】


郊外のバスターミナル入口。強い日差しの下、道を渡る人影。
真昼のバスターミナル広場。路面から白い熱が立つ。


環状線を降りたのは、郊外のバスターミナルそばの駅。
日陰を拾いながら、
日本人墓地までは少し距離があるが、歩くことにした。

大通りの照り返しは強い。
その途中、白い塀と芝が整えられた住宅地に出た。
日本やアメリカの郊外みたいなカーポートが並び、
さっきまでの雑踏と同じ街と思えない。
また別の顔のヤンゴンを見た。

「日本人墓地」の表札がかかった鉄の門。
暑さの中、バスターミナルの外れに、静かな門が現れる。
緑に囲まれた細い参道が奥へ伸びる。
日差しと蝉の声。一本の道を進む。


門をくぐると、空気が変わった。
細い参道は掃き清められ、
草もていねいに刈られている。

緑に包まれた墓域。手前に金文字の黒碑、奥にも複数の慰霊碑が点々と続く。
碑が静かに並び、平和を願う言葉が刻まれている。
「戦友と共にここに眠る」の金文字と象のレリーフ。香炉が置かれた黒い碑。
象のレリーフが刻まれた黒碑。静かに手を合わせる。


第二次世界大戦の「ビルマ戦線」(現・ミャンマー)では、

日本軍と連合軍の激戦が長く続き、多くの軍人・民間人が命を落とした。
戦後、遺骨収集や慰霊が進められ、
ここミンガラドン郡区のYeway 日本人墓地(イエイウェイ)には
日本人墓地と平和記念碑が整えられている。
静かで、清掃の行き届いた空間だった。

白いアーチの慰霊堂。前に「鎮魂」の石碑。
ビルマ平和記念碑。1981年(昭和56年)日本国政府が建立。


白いアーチの前で、手を合わせる。
戦争を体験していない自分でも、
ここが丁寧に守られていることに胸を動かされる。

備え付けの記帳に名前を書いて、
しばらく座った。

自転車タクシーの運転手の背中越しに伸びる道。
炎天下の救世主。無言の背中に運ばれていく。


門を出ると、また暑さが刺す。
タクシーは見当たらない。
通りかかった自転車タクシーに声をかけ、
空港の方までお願いした。

こぐたびに小さく軋む音。
背中越しにのびる道。
風だけが涼しかった。
料金は拍子抜けするほど手頃で、
降り際に小さなチップを渡すと、おじさんは笑って親指を立てた。

列車も駅も、直して使い継ぎ、
ホームは市場になり、車内には売り声。
ロンジーもジーンズも同じつり革の下。
白い塀と芝の住宅地も、
手入れの行き届いた墓地の静けさもそうだ。
そして、無言でこぎ続ける自転車タクシーの背中。

ここで触れたのは一枚の時間ではない。
過去は白いアーチに眠り、
現在は環状線のざわめきに息づく。

どれも線路という「縁側」でゆるくつながり、
その温度の重なりがこの街をあたため、息づかせている。

それが、
私がヤンゴン環状線で見た「生活の層」だった。


*これは2017年の記録です。



海外での記憶

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#00|目次:エジプト編 /カンボジア編/ラオス編/ミャンマー編

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