線路は暮らしの縁側——ヤンゴン環状線と日本人墓地|前編【海外での記憶#13|ミャンマー編-02

帰国前の半日をどう過ごすか。
名所は回ったし、
あとはゆっくりと街の普段を見ようと環状線へ。
環状線は、
市場や住宅地を縫って走る、暮らしの電車。
近くの日本人墓地にも寄ってみる。
まずはミャンマー最大のヤンゴン中央駅へ。


歴史をひもとくと、
イギリスの統治下、
ヤンゴン中央駅は1877年に英国人により開業。
第二次世界大戦にいったん破壊され、
戦後はビルマ様式で再建された。
壁のはがれ具合が、その時間を物語る。


白と緑の帯に、「JR」のロゴ。
日本で役目を終えた車両が、
海を越えてここで第二のしごとを続けている。
駅舎も似ている。
植民地期に生まれ、戦争で壊れ、
戦後にビルマ様式で立て直された白壁は、
塗り重ねと剥がれが時間の層を見せる。
少なくともこの駅とこの車両は、
新品へ総取っ替えではなく、直して使い継ぐ。
ここからヤンゴンの日常が始まった。


日本から来た骨格に、
現地の仕様を継ぎ足した感じが心地いい。
JR時代のステッカーや押しボタンはそのまま、
頭上には小型扇風機が増設されたように見える。
冷房ではなく、窓と扇風機で走る。
――新しくはないけれど、よく働く。
「直して使い継ぐ」という時間の層が、車内の手触りになっている。


行商の声が行き交い、
新聞も菓子も日用品も、
必要なものは向こうからやって来る。
売り声が車内に響き渡り、
扇風機が唸り、窓からは土の匂い。
ロンジー(ミャンマーの民族衣装)の結び目も、
細身のデニムも、
同じ車内で揺れている。
それだけで、この街の体温が少しわかった気がした。


ここでは列車が運ぶ。
売る人も仕入れる人も、
荷といっしょに乗って移動する。
座席は人の席であり、ときどき荷の席。
束のままのほうき、野菜袋、麻袋。
荷も声も、停車と同時にホームへあふれた。

この駅では、
ホームがそのまま市場になっていた。
ホームには仮の売り場と荷の山、
向こうには別の列車、
さらに奥には常設の市場のパラソルが続く。
一枚の中に「移動」と「売買」と「日常」が地続きで重なっている。
ここでは線路が通路で、列車は荷を運ぶ台車。
売る人も仕入れる人も、
荷といっしょに乗って降りて、また次へ。
暮らしとレールの距離は、ほとんどゼロだ。

新品へ総取っ替えしない街は、
直して使い継ぐテンポで走っている。
切符はホームで数十円(当時)。
売り声が響き、ロンジーもデニムも同じ揺れの中。
駅が市場にもなる。
列車はヤンゴンを丸くなぞるように、
のんびり進む。
ぬるい風が入ってきて、肩の力が抜ける。
移動そのものが風景に変わる時間。
ひと回りして、
ここにある「いつものヤンゴン」に少し触れた。
――この先は、同じ街のもうひとつの時間へ。
*これは2017年の記録です。
海外での記憶
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