ラオス・ファイサーイ——通過点が旅になるまで【海外での記憶#40|ラオス編-04】

メコン川の向こうに、タイの灯りが見えていた。
ラオス側の町、ファイサーイから、私はしばらくその向こう岸を見ていた。ファイサーイは、私にとって目的地ではなかった。
ラオスからタイへ抜けるために、国境の手前で一晩泊まる町。
翌朝には橋を渡り、私はタイへ向かう。
そのときの私は、この町も、この移動も、ただタイへ抜けるための通過点だと思っていた。
けれど、そうではなかった。

2017年。
世界遺産の古都、ラオス北部のルアンパバーンにいた。
その朝、トゥクトゥクに乗って、ファイサーイ(Houay Xai)行きの車が出るバス停へ向かっていた。
目的は、タイとの国境に近い町、ファイサーイを経由して、そこからタイ側へ抜けることだ。
本来は、メコン川を上っていく船で、川沿いの景色を見ながらファイサーイへ向かうことを考えていた。
でも、実際は船着き場ではなく、バス停へ向かっていた。

バス停に着くと、現地の人の姿が目立って見えた。少なくとも海外からの観光客の姿が見当たらなかった。
そもそも、何故、バス停に向かったかというと、宿泊していたホテルの人に、船でファイサーイに行きたいと聞くと、水位なのか、季節なのか、運航の都合で今は船が通っていないと言われたからだ。
代わりに紹介されたのが、山を越えてファイサーイへ向かう方法だった。

ただ、その道は、かなり長い時間、山間部を通る。確かな情報かわからないけれど、夜にバスが強盗に襲われたというような話をネットで見た記憶もあった。
迷った挙句、朝に出ることと、かなり安く行けることで、その陸路の移動に決めた。夜の山道ではないなら、まあ大丈夫だろうと思った。
というわけで、大型バスではなかったけれど、今、ファイサーイ行きのワンボックスカーの前にいる。

車内に入ると、乗っているのは地元の人ばかりで、海外からの旅行者は私だけのようだった。
決められた席に座ろうとすると、運転手に助手席へ回るよう促された。
理由ははっきりわからない。けれど、海外からの旅行者である私をほかの乗客の間に入れるより、そのほうが収まりがよいと判断したのかもしれない。
私はそのまま助手席に座った。


車はルアンパバーンを出ると、少しずつ山のほうへ入っていく。
出発してしばらくしてから地図を見ると、ファイサーイまでは、かなり遠かった。画面には11時間15分、481キロと出ていた。
山を越えては小さな集落、また山を越えては小さな集落と窓の外の風景は流れていった。
途中、乗っていた人の中に、気分を悪くしていた人がいた。
休憩所で車が止まってから、その人が吐いていたことがわかった。皆、少し心配している。
十人ちょっとの小さな車内だったので、大きなバスに乗っていると気づかなそうなことが近くに感じられた。

そのワンボックスで山道を進んでいると、中国の昆明へ向かう大型バスに何度か抜かれた。
青い車体の後ろには、中国語で「昆明」と「ルアンパバーン(琅勃拉邦)」の文字が書かれていた。中国の雲南省にある大きな都市、昆明へ向かうバスのようだ。
こちらは十人ちょっとのワンボックスで、山道を揺られながら進んでいる。
向こうは大きなバスで速度もある。スモークガラスの窓の向こうでは、ゆったりと座っている人の姿が見えた。少し羨ましかった。
同じ道を走っているはずなのに、乗っているものが違うだけで、移動の感じ方が違って見えた。
ただ、それだけではなく、そのとき、何かもっと別の差のようなものも私には感じた。


その後も、車は山道を進み続けた。
野生動物も生息するナムハ国立保護区(NPA)沿いの山を越え、時折あらわれる集落も通り過ぎ、走っていった。
そして少しずつ、外は暗くなっていき、ファイサーイのバス停に着いたころには夜になっていた。

長い山道の移動を終え、疲れたままバス停からホテルへ向かった。
夜の7時過ぎ、ようやく予約していたホテルへ到着した。
建物は、一見すると大きく、ちゃんとしたホテルに見えた。入口やロビーには明かりもついている。けれど、中に入ると、人の気配がほとんどなかった。どこか静かに感じた。
受付でもすぐには人が見当たらず、声をかけてようやく出てきた。
明るいのに、賑わってはいない。大きく見えるのに、どこか空いている。
長い移動の疲れも重なって、そのずれのようなものもあって、そのホテルが少し寂しく見えてしまった。

荷物を置いてから、ホテル前の通りを少し歩いた。
町は真っ暗ではない。
けれど、古都、ルアンパバーンのように、ぞろぞろと旅行者が歩いている気配はなかった。暗がりの中に、店の明かりだけがところどころ浮かんでいる感じだ。

ホテルへ戻り、併設された屋外の食事場所で軽く食事をした。
そこには明かりもあり、人もいたけれど、賑わう感じには見えなかった。
食事そのものを楽しむ場というより、国境近くの町で、次の移動を前に淡々と食事をしているような空気があった。

食事をしながら外を見ると、メコン川の向こうに灯りが見えた。
向こう岸はタイ側だった。派手な夜景ではない。
けれど、ぽつぽつとした灯りの並びに、そこには、地に足がついた暮らしがあるように見えた。たった川幅の向こうなのに、こちら側とは違う落ち着きがあるように感じた。
その感覚がどこから来たのかは、はっきりしない。こちら側でつかめなかった町の輪郭のようなものを、向こう岸の灯りに見ようとしていたのかもしれない。
向こう岸のほうが、こちら側よりも少し輪郭を持って私には見えていた。

ホテルへ戻ると、中はやはり静かだった。
泊まったホテルは、どこか西欧風にも見える古い木造の造りで、歩くたびに床がミシミシ鳴る。
寝床につくと、遠くから音楽や笑い声のようなものが聞こえた。旅行者向けのバーかレストランなのだろうか、空騒ぎの声がかすかに聞こえる。
街の賑わいというより、暗い町のどこかで、そこだけが騒いでいる音のように感じた。
私は疲れもあり、そのまま眠った。

朝早く目が覚めた。
空は明るくなり始めていたが、町にはまだ暗さが残っていた。
このあとタイへ抜ける予定だったので、長くファイサーイに滞在するわけではない。ただ、朝食前に少し時間があり、ホテルの近くにある寺まで歩いてみることにした。
寺は町の高い場所にあり、長い階段が続いていた。人の気配はなく、私はその階段を上っていった。

階段を上りきると、境内には犬がいた。
こちらに気づくと、何匹かが吠えた。朝の寺は静かだったが、こちらがすっと入り込める感じでもなかった。
私は少し身構えながら、犬を避けるようにして奥へ進んだ。

(ワット・チョムカオ・マニーラット)

寺の建物には色鮮やかな壁画があり、その前には仏像や旗が並んでいた。
境内の一角には、ろうそくの火があり、花も添えられていた。人の姿はないのに、そこには誰かが手を合わせた跡があった。
昨日の夜は、ファイサーイの町の輪郭があまりよくわからなかった。明かりや音はあるのに、町の顔まではつかめない感じだった。
それが今、寺の建物や、ろうそくの火、添えられた花を見ていると、夜には見えていなかったファイサーイの表情が少し見えてきたように思えた。

寺の奥に、メコン川を見下ろせる場所があった。
手前にはファイサーイ側の屋根があり、その向こうにメコン川が広がっている。さらに川の先には、タイ側の町と山並みが見えた。
昨日の夜、食事をしながら見ていた向こう岸は、ぽつぽつとした灯りの点だった。なぜかその灯りの下に、地に足のついた暮らしがあるように見えていたことを思い出した。
今、朝の光の中では、それが川沿いの町として見えている。
家並みや土地の起伏があり、山を背にした町の輪郭があった。あの灯りから感じていたものを、確かめているようでもあった。
その一方で、寺に来て、ファイサーイの表情も少し見え始めていた。それでも、私は川の向こうを見ていた。
こちら側に立っているのに、目は向こう岸に残っていた。

川の向こうを見たあと、私は朝食のためにホテルへ戻ることにした。
寺の長い階段を下り、通りへ出ようとしたところで、修行僧たちの列が見えた。
托鉢に向かう姿だった。

ルアンパバーンでも托鉢は見ていた。
けれど、そこには観光客の視線がかなり混ざっていた。朝早くから旅行者が集まり、カメラを向け、托鉢そのものが観光の風景にもなっていた。
ファイサーイで見た托鉢は、それとは違って見えた。
観光客の視線の中に置かれた風景というより、町の人たちの朝にある日常に見えた。
というより、そもそも周囲に観光客の姿は見当たらなかった。

僧たちが歩き、町の人が待ち、手を合わせ、布施をする。
それは誰かに見せるためのものではなく、この町の朝の中で、当たり前に続いているもののように見えた。
大きな出来事ではない。けれど、その当たり前の中に、前夜にはつかめなかったファイサーイの顔があるように思えた。

僧たちは、そのまま町の通りを進んでいった。
その後ろ姿を見ていると、前夜の自分の見方が少しほどけていった。
川の向こうのタイ側には、暮らしの輪郭を私は見ていた。こちら側のファイサーイは、夜に着いた時の印象だけで、よくわからない町のままにしていた。
でも、朝があり、僧たちが歩き、町の人が待ち、いつもの時間が流れていた。この町の暮らしの手触りを感じた。
見えていなかったのは、町ではなく、私の目のほうだったのかもしれない。

ホテルへ戻って朝食を食べた。
そこから、メコン川と、その向こうに広がるタイ側の町が見えていた。
昨夜も私は同じ川の向こうを見ていた。
けれど、今の見え方は少し違っていた。
昨夜は、向こう岸ばかりが輪郭を持って見えていたけれども、さっき見た寺や托鉢の列が重なり、こちら側も、はっきりと形として立ち上がって見えた。
ファイサーイはもう、夜に着いたときのままの、よくわからない町ではなかった。

朝食を終えると、タイへ向かう時間になった。
ここから国境を越え、第4タイ・ラオス友好橋を渡って、タイ側へ入る。
朝の通りには、日が差し始めていた。
トゥクトゥクに乗り、バス乗り場へ向かう。
ファイサーイを離れていく。

バスの出発場所へは少し早く着いた。
ベンチに座り、出発時間までぼんやり待っていた。すると、ひとりのラオス人男性が話しかけてきた。
お互いのつたない英語で、少し会話をした。どこから来たのか、これからどこへ行くのかと旅先でよくありそうな会話だった。
悪い感じはしない。むしろ、その短いやり取りが楽しかった。
その会話の流れで、男性は、手作りのように見える食べ物を私に差し出した。食べてみな、というような感じだった。
私は、それを受け取らなかった。少し笑顔を見せながら丁寧に断った。

警戒したのだと思う。
旅の途中で、知らない人から手作りの食べ物を受け取ることに、少し身構えた。それが売り込みなのか、ただの親切なのか、あるいは外国人の私と少し話したかっただけなのか、その場ではわからなかった。
断ったことに相手がどう感じたのかもわからない。
ただ、その男性は、そのあとも少し話を続け、最後は笑顔で去っていった。

ほんの数分のやり取りだった。
朝の托鉢を見て、ファイサーイの町の見え方は変わっていた。
それでも私は、急に何かを理解した人間になったわけではなかった。
考えてみれば、その男性との距離は、メコン川の向こうに見えていたタイ側よりも、ずっと近かった。
町の見え方が変わっても、人との距離までそのまま近く受け取れるわけではなかった。旅先での警戒心は、そのまま残っていた。
バスは、もう乗れる状態になっていた。
私は、中途半端なまま、そのバスに乗り、ファイサーイを離れてタイ側へ向かった。

(The 4th Thai–Lao Friendship Bridge)
バスは出発し、国境の橋へ進む。
車窓の外には、メコン川が広がっていた。
その両側には、ラオス側とタイ側の岸が見えている。
それまで向こう岸として見ていた場所と、自分がいた側が、橋の上では同じ景色の中に入っていた。
エンジン音だけを聞きながら、私は静かに国境を越えた。

橋を渡り終えると、そこはタイ側だ。さっきまでいたラオス側が、今度は向こう側として見える。
思い返すと、この移動は、ただラオスからタイへ抜けるためのものではなかったと感じる。
ルアンパバーンを出て、地元の人たちばかりのワンボックスカーに乗り、山を越え、昆明行きの大型バスに抜かれ、夜のファイサーイで川の向こうの灯りを見た。
朝には寺へ行き、托鉢へ向かう僧と地元の人が手を合わせる姿に、その町の顔が見えてきて、国境へ向かうバス停では、見知らぬ男性から手作りの食べ物を差し出された。
その一つひとつは、ばらばらな出来事なのかもしれない。
けれど、移動の中で、私の見え方はそのたびに揺らされ、考えさせられた。
少なくとも、ただ国境を越えるための通過点ではなかったことは言える。
私に残っているのは、国境を越えたという事実以上に、いつの間にか、通過点が私の旅そのものになっていたということだ。
*これは2017年の記録です。
|追記|
|この文章について|
今回の記事は、以前に「アジア陸路国境の記憶」シリーズとして、前後編で書いたファイサーイの記事を、あらためて再編集したものです。
今回は、それを一本化するつもりで書き始めました。けれど、同じ記憶でも、再編集というより、少し違う場所から見直した感覚に近くなりました。時間を置いて見直すと、記憶の見え方も少し変わるのだなと思いました。
参考資料:
ウィキペディア/TripAdvisor ほか。
海外での記憶
#41|ポイペト国境越え——線の周りを歩く時間|カンボジア編-07【進む→】
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