見出し画像

ポイペト国境越え——線の周りを歩く時間【海外での記憶#41|カンボジア編-07】


「KINGDOM OF CAMBODIA」と書かれた国境ゲートの前を、バスやバイク、荷車、人々が行き交っている。
ポイペト(Poipet)の国境ゲート
(カンボジア側)

目的地は、カンボジアのシェムリアップにあるアンコールワットだった。
その一方で、陸路で国境を越えてみたいという気持ちもあった。

タイとカンボジアは地続きで接している。
その境目を、バスで近づき、歩いて越えたら、何か見えてくるのではと思った。
実際、陸路でポイペトの国境を越えてみると、地図の線だけでは見えてこない場面がいくつもあった。

“BANGKOK BUS TERMINAL (CHATUCHAK)” と書かれたバンコクのバスターミナル外観。建物前にタクシーが停まっている。
北バスターミナル
(モーチット・マイ)

2017年。
バンコクの北バスターミナル、モーチット・マイに私はいた。かなり早めの時間にバス乗り場に来ていた。

何故、早めに来ていたかというと、長距離バスを、海外のサイトから事前にネット予約をしたのが初めてで、本当に現地でチケットを受け取れるのかが少し不安だったからだ。ただ、その不安をよそに、チケットはあっさり受け取れた。
海外サイトからのネット予約、そして国際バスに乗るのも、陸路国境越えも、カンボジアへ入ることも、すべてが初めてだった。
その初めて尽くしの中で、旅は始まった。

屋根のあるバス乗り場に白い大型バスが停まり、荷物を持った旅行者たちが乗車前に集まっている。
シェムリアップ行きの国際バス
(タイ国営バス)

バスの前には、海外からの旅行者が続々と集まっていた。
英語やスペイン語の混じる旅行者の声が聞こえ、明るい雰囲気だ。なんだか、海外旅行者用のバスに思えるぐらい、外国から来た人たちが目立っていた。そして私もその一人だ。
自分と同じような立場の旅行者が周りにいると、初めて尽くしの不安が少し和らいだ。
バスは、賑やかな声とともに定刻通り出発した。

バスの車内から見たタイ側の道路。舗装された道の先を車が走り、左側にタイ語の標識が見える。
タイ側の車窓
バス車内のテーブルに、ふたを開けた弁当が置かれている。容器の中にはご飯が入っている。
車内で配られた弁当

正直、陸路で国境へ向かう道中は、もう少し荒々しいものを想像していた。
けれど実際には、町があり、緑があり、標識があり、揺れの少ない舗装された道が伸びていた。さらに、温かいご飯が入った弁当まで手渡される。
なんだか、陸路で国を越えるという言葉の大きさに比べて、目の前の時間はずいぶん快適で、拍子抜けするほどだった。
バスは順調に進み、私は弁当を食べ、窓の外を眺めていた。

バスの車窓から見たタイ側の風景。道路の脇に畑や木々が広がり、遠くに低い山並みが見える。
国境へ向かうタイ側の車窓

そうした中、突然、添乗員が立ち上がり、車内で声を張った。
カンボジアのビザを持っているかという確認だった。国境が近づいてきたのだろうと思った。

さっきまで、弁当を食べながら車窓を眺めていた時間に、急に手続きの気配が入ってくる。私は事前に、日本でビザを取得していた。初めての陸路国境越えだったので、そのあたりは慎重だった。
けれど周囲には、そこで初めてビザの必要を知ったような旅行者もいた。
同じバスに乗り、同じ国境へ向かっていても、構え方はずいぶん違っているなと少し驚いた。
外の景色からは、国境そのものの気配は感じなかったけれど、ビザの確認によって近づいていることを理解した。

大型トラックの横の細い通路を、旅行者たちが出国審査へ向かって歩いている。
大型トラックの横を進む
出国審査へ向かう列

そしてバスが止まった。
いよいよ陸路で国境を越えるのだと思うと少し胸が高ぶった。
外へ出ると、空気が一気に変わった。さっきまで冷房の効いた車内で弁当を食べていたのに、熱気があり、埃っぽさがあり、人の声が重なっていた。
少し緊張しながら、出国審査へ向かう列に加わった。
前には出国審査へ向かう旅行者の背中があり、横には大きなトラックが連なって止まっていた。
国境は、自分たち旅行者だけの通り道ではなかった。

国境周辺の道路に車やトゥクトゥクが停まり、パラソルの近くを人々が行き交っている。
国境周辺の人と車の流れ

そんな中、横に並んでいるトラックの隙間を見ると、荷物が運ばれ、人が行き交い、パラソルの下で物を売る人がいた。
私にとっては、国境は出国審査のために通り過ぎる場所だった。
けれどその横には、荷物や人が集まり、そこに来る人たちを相手に物を売る人の姿もあった。出国審査へ向かう私とは別の動きが、国境にはあった。
その光景を見ていると、国境であると同時に、小さな市場のようにも見えた。

“PASSPORT CONTROL” “DEPARTURE” と書かれた青い案内看板の下に、人々や売り物の並ぶ場所が見えている。
出国審査へ向かう青い看板

そのまま進んでいくと、青い看板が見えた。
「PASSPORT CONTROL、DEPARTURE」と書かれていた。
出国審査へ向かう通路の案内だ。ようやく近づいてきた。
ただ、ここでも、出国審査とは別に、物を売る人たちの姿があった。
先ほど、たまたまトラックの隙間から見えた一場面だけではなく、そうした動きは国境周辺に続いているように見えた。

“Immigration Check-point Aranyaprathet” と書かれた建物の入口。階段を旅行者が上がり、右側には荷物を運ぶ人がいる。
タイ側の出国審査場

その光景を見ながら、私は列に沿って前へ進んでいった。
そして周りの騒がしさが少し遠のいたところに、ようやく出国審査の建物があった。特に何事もなくスタンプが押され、胸の奥にあった緊張が少しほどけた。
初めての陸路国境越えに身構えていたけれど、タイ側の出国手続きは、思っていた以上に淡々とスムーズだった。
深く息をついて、私はさらに前へ進んだ。

赤白の柵が続く国境付近の通路を人々が歩き、横の道路を大型トラックが通っている。
赤白の柵が続く国境の橋

また強い日差しが戻ってきた。
タイ側の出国審査場の建物を出ると、今度はカンボジア側へ向かう。
出国手続きは終わったけれど、国境を越える時間はまだ続いている。
歩道の先には赤白の柵が続く橋があり、横を大きなトラックが通っていた。人の声があり、車が動き、荷物が運ばれている。
最初、バスを降りたときには、人と車と荷物の近さに少し押されるような感じがあった。
けれど出国審査を終えて、ふたたび外へ出てその光景を見ると、もう、この国境では当たり前の風景に感じられた。
私もその流れに沿って、前へ進んだ。

赤白の柵が続く国境の橋の歩道で、人々が歩く横に、年配の女性と子どもが柵の影の近くにいる。
赤白の柵の影
年配の女性と子どもの姿

橋の歩道を進もうとしたところで、前のほうの人の流れが少し滞っていることに気づいた。
何があるのかと思い、私も前のほうを見た。
そこには、強い日差しの中、赤白の柵の影に年配の女性が座っていた。そばには布にくるまれた子どもが横たわっていた。
人が歩き、車が通り、荷物が動いている中、そこだけ時間が止まっているように感じた。現実のはずなのに、どこか遠かった。私は足を止めた。
そして思わずカメラを向け、一枚だけ写真を撮った。

なぜそのとき撮ったのかは、自分でもよくわからない。見たものを写真に残したかったのだろうか。そうだとしても、何のために、誰のために残したかったのか、自分でも答えは出なかった。
ただ、その距離から一枚撮っただけで、それ以上近づくことはできなかった。
怖かったのか、傷つけるのが怖かったのか、自分が傷つけられるのが怖かったのか。その理由もわからなかった。
ただ、橋の上で留まることもできない。
見たものをうまく受け止められないまま、入国審査へ向かう人の流れに戻り、ためらいながら橋を進んだ。
そこにいることはわかっていたけれども、年配の女性と子どもの近くを通ったとき、見ることはできなかった。
その場を通り過ぎたのに、通り過ぎた感じがしなかった。

白い壁に “FRIENDSHIP BRIDGE” と書かれた銘板があり、その下に英語とカンボジア語の文字が見える。
フレンドシップ・ブリッジの銘板
(タイ・カンボジア友好の橋) 

少し進むと、白い壁に銘板があった。
そこには「FRIENDSHIP BRIDGE」と刻まれていた。国と国をつなぐ橋に、友好という言葉が刻まれている。
その言葉を見ながら、私はさっき通り過ぎた赤白の柵の影を思い出していた。
友好という名前で橋はつながっている。けれど、同じ橋の上には、その名前だけでは受け止めきれない光景があった。なんとも言うことができない、もどかしい気持ちになった。

“KINGDOM OF CAMBODIA” と書かれたカンボジア側の国境ゲート。門の下に建物や車両が見えている。
カンボジア側の国境ゲート

見たものをうまく受け止められないまま橋を渡ると、カンボジア側の国境ゲートが見えた。
その先で入国審査を終えた。手続きの上では、これで国境を越えたことになる。ただ、バスの出発までは少し時間があったので、カンボジア側の国境の周辺を少し歩いてみることにした。

“KINGDOM OF CAMBODIA” と書かれた門の先に、カジノの建物が見える。道路ではトラックやバイク、人々が行き交っている。
国境ゲートの先に見えるカジノ

しかし、その前にトイレへ行こうとして、バスの従業員に場所を聞くと、近くの建物を指された。
そこは、新しそうなホテル型のカジノだった。国境でトイレを探して、案内された先がカジノというのは少し不思議な感じがしたけれど、バスの従業員は特に迷う様子もなかったので、私は言われるままに向かった。
建物の中に入ると、静かで、床は磨かれ、爽やかな香りも感じた。冷房の風には少し生き返ったような感覚があった。
トイレを済ませて外に出ると、再び、強い日差しと埃っぽさが戻ってきた。道路ではバイクや荷物が動き、人のざわめきがあった。
なんだか、トイレを借りるだけのつもりで入った場所なのに、外と中では、同じ国境にあるとは思えない違いを感じた。

ポイペト国境周辺の道に、電線、建物、カジノの看板、赤土の地面が見えている。
ポイペト国境周辺の道
(カンボジア側)

そのまま国境の周辺を少し歩くと、古いもの、新しいもの、舗装された道、赤土、カジノ、人や荷物の動きが、ひとつの視界の中に入り混じって見えた。整理された並びではなく、別々のものが、そのまま同じ場所にあるようだった。
それが、国境の町として普通の姿なのかは私にはわからない。
ただ、少なくとも、このポイペト国境の周辺では、できあがった町というより、国境を中心に、その時々に必要なものが先に置かれ、町の形があとから追いかけているように思えた。

“TROPICANA Resort & Casino” の看板の近くに、舗装された道と未舗装の地面があり、人やバイクが行き交っている。
カジノ脇の国境周辺

その一帯を歩いているうちに、強い日差しと埃っぽさが体に残り、喉が渇いてきた。
近くでは、首から大きめのかごを下げた少女がジュースを売っていた。小学生くらいだろうか。
私の手元にはドルとタイバーツがあった。カンボジアのリエルはない。とりあえず私はジュースを指差し、タイバーツの紙幣を見せた。
少女は、言葉で細かく確認する前に、すぐに頷いた。
彼女はタイバーツを受け取ると、ジュースを渡し、お釣りとしてカンボジアのリエルを差し出してきた。その動きに迷いはなかった。

カンボジアの500リエル紙幣が置かれている。紙幣には “NATIONAL BANK OF CAMBODIA” と数字の500が見える。
少女から受け取ったリエル紙幣

私には初めてのやり取りだった。
けれど少女にとっては、タイバーツを受け取り、ジュースを渡し、リエルをお釣りとして返すことまで含めて、国境でのいつもの売り買いの一つに見えた。小学生くらいの少女が、そうやって迷いなくジュースを売っている。
それは、橋の上で見た光景とはまた違う、ポイペトという国境の町の一面に見えた。

バスの車窓から見たカンボジア側の道路。車やバイクが走り、通り沿いに建物や看板が並んでいる。
シェムリアップへ向かう道

バスが動き出すと、窓の外のポイペトの国境周辺は少しずつ後ろへ流れていった。
入国審査は終わって、手続きの上では、もうカンボジアに入っている。
けれど、私の中では、橋の上で見た光景や、カジノの冷房、道端でジュースを売っていた少女の手際が、まだそのまま残っていた。
地図の上では、国境は一本の線に見える。
けれど実際には、出国審査へ向かう列があり、橋があり、そこに座る人がいて、友好橋という名前があり、カジノがあり、赤土の道があり、タイバーツで通じる売り買いがあった。
ひとつの線を越えたというより、その線の周りにあるいくつもの場面を通ってきたような感覚があった。

バスの車窓から見たカンボジアの郊外の風景。道路脇に草地と赤土の地面が広がっている。
国境の町を離れた先の風景
カンボジア

やがて、窓の外には赤土が見えた。
舗装された道の先に、舗装されていない地面があり、車体が細かく揺れた。埃っぽさも残っていた。
それを見て、私はようやくカンボジアの内側へ進んでいるのだと思った。
ただ、カンボジアに入っていく感覚は、国境ゲートをくぐった瞬間だけで生まれたものではなかった。
いくつもの場面を通りながら、少しずつカンボジア側へ入っていったと思う。
初めて尽くしで始まった私の陸路国境越えは、国を移動する手続きであると同時に、国境という場所そのものを歩く時間でもあった。

*これは2017年の記録です。


|追記|

|この文章について|

今回の記事は、以前に「アジア陸路国境の記憶」シリーズとして書いた、ポイペト国境の記事の一部を、あらためて再編集したものです。
以前の文章は、ひとつひとつの場面から、国境の意味を強く拾おうとしていました。今読み返すと粗削りですが、そのぶん、見たものに反応した勢いは残っていたように思います。
今回は、その場面をもう一度、バスを降りて、出国審査へ向かい、橋を渡り、カンボジア側へ入っていく時間としてつなぎ直しました。
書き直してみると、国境は一本の線というより、その周りにいくつもの場面が重なっている場所だったのだと、前よりもはっきり感じました。

参考資料:
ウィキペディア/TripAdvisor ほか。



海外での記憶

#42|古都アユタヤの別の見え方——教会風仏教寺院とおもちゃ博物館|タイ編-03【進む→】
#40|ラオス・ファイサーイ——通過点が旅になるまで|ラオス編-04【戻る→】
#00|目次:エジプト編 /カンボジア編/ラオス編/ミャンマー編/インド編/アメリカ編/タイ編/ベトナム編

関連記事


いいなと思ったら応援しよう!