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二人を待つ かどで | 【短編小説】

「はあ…またやってしまったな。」

さっきまでいたきらびやかな世界から一転して、地元の公園のベンチに腰を掛けて、かれこれ30分は動けずにいる。

お祝いごとの時用の明るい色合いのネクタイをしめたスーツを身に着けてベンチに腰を掛けている姿は、誰にも見られたくないものだ。


唯一の親友とも呼べるだろう、友人倖生こうきの新郎姿は、嫉妬できないほどにかっこよかった。

しっかり新婦のことをエスコートして、穏やかな笑顔で新婦のことを見つめていて。

いつまでも幸せでいてほしい。
心から、願った。

「それにくらべて、自分は…」

もう、友人の前に顔見せできないかもしれない、と思うほど、みっともない出来だった。


あの時と、変わってないなぁ。
苦笑いしかできない自分がもどかしい。


ふぅ~っと息を吐いて、空を見上げると、過去の情景がフラッシュバックしてきた。




倖生と僕塁輝るいきは、俗に言う幼馴染だった。

家が近くて、母同士の仲が良かったという理由で、小さい頃からずっと一緒にいた。自他共に認める親友だった。

小学校は、クラスが違っても、一緒に宿題をやったり、ゲームをしたり。
一緒に過ごす時間が長かった。
高学年になり、野球チームに一緒に入ったが、そこからがうまくいかなかった。

僕の父親の熱心な指導もあり、野球チームの成績も良かったが、僕のエラーが続くようになった。
父親からは、試合が終わる度に叱責された。チームでも、自宅でも、もうしんどすぎた。

小学校に行こうにも、足が進まなくなった。


ただただ無気力だった。
小学6年生の頃は、週に一度、放課後に登校するくらい。

こんな僕にも、何ひとつ変わらずに、毎日のように倖生が誘ってくれ、遊んでいた。

他の友人と遊びたいであろう時期に…と思いつつも、僕は、彼に甘え、完全に頼りきっていた。


小学校卒業を控えた、ある日。
当然のように、卒業式には出ない気でいた。
みんなが卒業アルバムにメッセージを書いているだろう日も、自分の部屋にいて、来てくれるだろう彼を待った。

卒業式前日。いつもと変わらず、倖生と遊んでいた。

ふと、倖生が話しかけてきた。

「明日、塁輝と一緒に写真撮りたいな。人から見えない学校の隅とか、建物の角でもいいからさ。」

明日というのは、卒業式を示していることくらいは理解できた。

僕は、あの時。
倖生に、なんと返事をしたんだろうか。

そして、写真を撮りに行けたのだろうか。


全く思い出せない。


なぜか倖生の悲しみの表情だけが、ずっと脳裏に残っていた。


ただただ、ずっと思い続けてきた。

僕は、この先、倖生を悲しませることは、絶対にしないのだ…と。




そこからさらに時は経ち、気付けば、お互いに社会人5年目になっていた。


倖生は、地元の公務員として勤め、僕は、システムエンジニアとして働いていた。

違う道を歩み、少しずつ会う頻度も減っていたが、年に2回、夏休みと冬休みに会うことが恒例になっていた。

昔から、よく話をしてきた二人だ。

半年分の積もる話をしていると、お酒も進み、楽しい時間はあっという間だった。


新年度が始まったばかりの4月。
新しい体制での業務依頼を受けるようになり、少しだけいつもより忙しく働いていた。

気分転換に飲みに行きたいな、と思うが、まだその時期ではない。

そう思っていた矢先、突然、倖生からLINEが届いた。


塁輝、久しぶり。
今週末、空いてる?
いつもの店で会えないかな。



年齢的にも、この時に言わんとされていることは、なんとなく予想がついたが、あえて聞かずに質問にだけ答えた。


土曜日の夜なら、空いてるよ。


ありがとう。
じゃあ、土曜日の18時に、店の前で。





その週は、なぜか仕事が忙しく、あっという間に土曜日を迎えた。

ルーティーンとは違うタイミングに誘われる。
あの頃を思い出して、ソワソワしていた。

今度こそは…。

その思いだけを抱えて、店へと向かった。




ソワソワ感からか、いつもより早く待ち合わせ場所に到着した。

しかし、それよりも早く倖生は、店前についていた。二人揃って早く待ち合わせてしまっうなんて。
ふいに、笑みがこぼれた。それは、僕だけでなく、倖生も同じだった。


何ごともなかったかのように、店内に入り、いつものようにビールを注文し、乾杯する。

近況を報告しつつも、倖生がタイミングを図っているのをなんとなく察し、あくまでも平常心を保って声をかけた。

「あっ、そういえば、倖生。何かあったの?」


ちょっとした間が空いた。

「ははっ。やっぱり今日の俺、おかしかった?いつもと違うタイミングで、飲み行こうって声掛けたら、そりゃあ、気付くよな。塁輝、さすがだわ。」

「本当は、今日会った時に言えばよかったんだろうけど、なんだか言えなくって、悪かったわ。実は、結婚するんだよね。相手、同じ小学校だった子。たぶん塁輝も名前は知ってるかもだけど、学生時代あまり思い出したくないかな?なんて考えちゃって、言えなかった。あっ。別に、変な意味じゃなくてさ」


この後、相手の名前を聞いたが、知っているような、知らないような…だったが、親友の新たな一歩が、心からおめでたいと思う自分がいたことに驚いた。

「やっぱりなあ。そんなことだろうと思っていたよ。本当におめでとう!僕もうれしいわ。」



「ありがとう。それでさ、塁輝にお願いがあるんだけどさ。


これから婚姻届を書くんだけど、ここ。証人欄お願いしたくて。」


「むしろ、いいの?」


「もちろん!塁輝だからお願いしたいんだ。あとさ…うーん、どうしようかな…。」


「ん?なんだよ。そこまで言われたら、気になるだろ。」


「12月の1週目の日曜日って、空いてる?夜じゃなくて、日中なんだけど。」


「あぁ。たぶん空いてるんじゃね。先のことすぎて、まだ分かんないや。」


「なら、空けておいてよ。その日、塁輝に、みんなの前で話してほしいと思ってるから。」


「それって・・・もしかして、結婚式でスピーチってこと?」


「当たり~。頼むなら、塁輝しかいない!って、ずっと思ってたんだよね。頼むよー。」


目の前で手を合わせながら、頭を下げ続ける倖生がいる。


彼のお願いは、聞くって決めている僕の口からは、まったく自信がないのに、「あぁ、わかったよ。」という答えしか出てこなかった。




そこまで思い出していた時に、突然木枯らしが吹いた。落ち葉が風を舞い、再び地面に落ちる。


夕日が、ビルの陰に沈みがかっている。外が暗くなりつつあった。
ひんやりとした風が、自分の心を突き刺すようで、身震いした。

ふと足元に、黒猫がいたことに気付いた。


ん?この猫、いつからいたんだろう??


黒猫と目が合った後、再び木枯らしが吹いた。

夕方の風は、さすがに冷たい。
無意識に、身体の上半身に力がこもる。

木枯らしが吹いた後の落ち葉が、綺麗に両脇に寄っていて、まるで歩道ができたようだった。

黒猫が先導を切るかのように、その道の真ん中を歩いていく。

数歩進んで、こちらを振り返り、また数歩進んで、こちらを見つめてくる。


ついてこい、ってことかな?


僕は、吸い込まれるかのように、黒猫の後を追っていった。




たどり着いたのは、路地の裏にある小さな店だった。

なんの店かはわからないが、看板が見える。

🍀nanohana cafe🍀と書かれているから、喫茶店のようである。


中からは、複数の人の声が聞こえてくる。
楽しそうな笑い声や、音楽。
自分が入るには、やや場違いなのではないか、と思うほどだ。


足元にいたはずの黒猫は、気付いたら姿を消していた。


ここは入らずに、帰った方がいいかな。

心の中でつぶやいた直後、突然扉が開き、エプロン姿をした男性から声を掛けられた。


「いらっしゃいませ。外は寒いでしょう。店の中を暖めておいたので、どうぞお入りください。今、『年忘れお疲れ様week』を開催中で、普段より盛り上がっていますが、まだお席は空いています。おひとり様でも、大歓迎です。」


僕はこういう時の断り方を知らないことに、ここにきてようやく気付いたが、時すでに遅しというやつで、誘われるままに入店した。


「お好きな席へ、どうぞ。」


入店した時に空いていた席は、カウンター席と小さな丸テーブルの席だった。

テーブル席は、二人組の来客があった時に使われそうだと思い、カウンター席を選んだ。

カウンター席は、全部で3席あり、入口から一番遠い席に、男性がひとり、座っていた。

男性の座っている席の隣の席を空けて、左端の椅子に腰かけた。


自分の座る席が決まってホッとしたのか、周りの景色がより色濃く見えるようになった。

店内には、さっき公園で出逢った黒猫がいることに気付いた。


「お待たせしました。お水とおしぼりをお持ちしました。本日は、特別な日ですので、こちらの“ちょっと寄り道な休息セット”をオススメしています。私達みんな、1年間、よく頑張りましたからねぇ。セットには、お飲み物3杯と、前菜3種、メイン料理、付け合わせのバゲットが付いています。メイン料理は、ローストビーフ、アクアパッツァ、魚介のトマトソースパスタの3つからお選びくださいね。」


料理も気になるところだが、僕は、黒猫の存在が気になって仕方なかった。


「あの。黒猫は、こちらのお店の飼い猫ですか??」


「ああ。みーちゃんのことですね。そうですね。飼い猫と言えば飼い猫なんですが、私が別の方からお預かりしている黒猫なんですよ。みーちゃんが、お客様を導いてくれることもあります。この店は、特に宣伝もしていないですし、こんな路地裏にありますから、気付かない方も多くて。みーちゃんが、お客さんに、この店を教えてくれることも多いのです。」


わかったようなわからないような不思議な感じの話で、どのように返答すればよいかわからなかった。

このままでは、場が持たないと思い、とりあえずオススメしてもらったセットを注文した。

店内にあるものであれば、なんでもいいという寛容度だったため、1杯目の飲み物はクラフトビールを、メイン料理はローストビーフを選んだ。


注文を終えたら、少し心に余裕が持てた。

周りを見渡すと、客同士で談笑している。
歌っている人がいれば、本を読んでいる人がいる。
絵を描いている人もいた。

一体。ここは、何なのだろうか。


雰囲気に飲まれそうになっていると、カウンター席に座っていた男性から声を掛けられた。


「君、この店は初めて??」


「あっ。はい、そうなんです。なんだか不思議な体験をして。黒猫についてきたら、この店の前にいたんです。」

「どこかわからずに入ると、緊張したでしょう。ここは、マスター店主の人柄にお客さんが集まってくる店で、後ろで親しく話している人たちも、最初から知り合いだったわけではないんだよ。私は、別のルートで店を知ったタイプなんだけど、この店に来る人は、たいてい現実に疲れて、休みに来る方たちばかりなんだって。」

「そうなんですね。あの…別のルートって??」

「私は、この店から注文を受けて、パンを納品しているんだ。マスターは、女性好きだから、私の店にいる女の子としか話してくれないけどね。」

苦笑しながら話す様子は、何とも自然体だった。年代は、自分の父親くらいだろうか。いや、自分の父親よりも、生き生きとしている。


「ところで、今日は、何かお祝い事でもあったのかな?」

「そうなんです。親友の結婚式で。ちょっと落ち込むことがあって、二次会には行かず、抜け出してしまいました・・・」

話し始めたあたりに、前菜とクラフトビールが運ばれてきた。


「ゆっくりお話しながら、飲みましょう。私は勤務中なので、炭酸水ですけど(笑)。本日のクラフトビールは、湘南ビールです。クリスマスのラベルのものをご用意しました。かわいいので、ボトルを置いておきます。それでは、3人で乾杯しましょうよ。」
と、マスターが誘うと、

この店にパンを納品しているという男性が、渋い声で、「乾杯。」とグラスを掲げ、

2人に応えるように、自分も「乾杯です。」と、グラスを掲げた。



緊張が和らいだのか、クラフトビールの味がよくわかる。
この苦みと炭酸のシュワシュワ感が、自分の心を絶妙に刺激してきた。

前菜は、プチトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ風のもの、蒸し鶏ときゅうりの和え物、トマト煮込みの3種だった。

なんとなく野菜からいただくことにする。
蒸し鶏ときゅうりの和え物は、中華風のドレッシングがかけられているとのことで、クラフトビールにも、よく合う味付けだった。

次に、バゲットが運ばれてきた。
オリーブオイルと塩も一緒に運ばれてくる。

「今日のバゲットの出来は、上々だよ。」と、焼いてくれた本人が言っているのだから、きっと間違いない。

とはいえ、普段そんなおしゃれな食事をしていないから、味の感想をうまく伝えられる自信はないというのが本音である。
見られながら食べるのは、緊張するな。と、思いつつも、一口サイズにバゲットをちぎり、塩を少し入れたオリーブオイルをつけて食べる。

外はカリっとしているが、中の白い部分はモチっとしていて、オリーブオイルのおしゃれな香りと共に食べるのが、美味しい。

このシンプルさに美味しさを実感ができるのは、自分がある程度大人になったという証拠なのかもしれないな、と思いつつ、クラフトビールを口に含んだ。

バゲットとクラフトビールの相性も良かったが、マスターの話によると、他の前菜と組み合わせて食べたり、ワインと合わせていただくのも、オススメらしかった。

ワインは詳しくないが、せっかく味わうなら、オススメをいただこう。

そう思えるようになるくらいには、自分の気持ちも前向きになっている。

美味しい食事は、人の気分をまるで変えてしまう効果もあるらしい。


次に出てくるローストビーフとのペアリングも考えて・・・と話しながら、マスターが持ってきてくれたのは、赤ワインだった。
初心者でも飲みやすいという、ライトボディのものらしい。

オリーブオイルをつけたバゲットとカプレーゼを一緒に食べても美味しいし、トマト煮込みとバケットとの相性も、抜群だった。

素材を生かしている、というのは、このようなことを言うのかもしれない。


味わっていると、隣の男性から、再び声を掛けられた。


「さっき、話が途中で終わってしまっていましたよね。ご親友の結婚式のお話。何かあったのですか?もしよければ、お話聞かせてくださいよ。」


食べることについ夢中になってしまい、話が途中になってしまっていたことを、すっかり忘れてしまっていた。


「そうでした。すっかり食べるのに、夢中で。このバゲットも、とても美味しいです。美味しいおかげで、なんだか今日のことを忘れて、楽しんでしまっていました。」

納品したバゲットを褒められた男性は、とても嬉しそうに、ニコニコしていた。

「親友に頼まれて、結婚式でスピーチをしたんです。親友には、学校に行けなくなったり、何もしたくなくなったりした時にも、数えきれないくらい、たくさん支えてもらって、とてもお世話になってきたので、恩返しをしたくて、自分的には、ものすごく頑張って練習して。多分ちゃんと読めたと思うんですが、頭は真っ白で、何をどう話したかも覚えていなくて。今日のことなのに。ましてや、自分にとっては大切な親友の結婚式なのに、しっかりと親友の姿を目に納められていない。こんな自分は、なんてみっともないんだろう・・・と思ったら、披露宴までいるのが限界で、二次会を抜け出してきてしまいました。気づいたらいなくなっている自分のことを、親友はどう思うかなと考えたら、どんどん暗くなってしまって。それで、気付いたら、ここにいる、という感じです。」


話を聴きだしてくれた男性は、静かにうなずきながら話を聴いていた。
僕からの話が終わったタイミングで、このように尋ねてきた。


「ご親友は、今の君を見て、どのように感じていらっしゃると思われるのですか?」


脳内に、倖生の姿を思い描いた。

白いタキシードに身を包んだ彼は、凛々しくて、普段の姿よりも勇ましく見えた。

挙式で歩いている時に、参列者の中から僕を見つけて目が合った時、微笑んでくれたような気がしたことを思い出した。

スピーチで自分が話していたことは思い出せないけれど、その時の倖生の様子は、想像が簡単だ。

穏やかな笑顔で、まっすぐに僕のことを見つめてくれていて、少しくらい、噛んでしまっていても、表情一つ変えずに、見守ってくれていただろう。

スピーチを終えた時、会場の中で一番に拍手を送ってくれたのも、新郎の倖生だった。

あの瞬間、何か通じ合ったものがあった気がする。


僕が自分の言葉で、彼の幸せを願い、背中を押してあげたこと。

彼が、僕の雄姿と勇気を称賛して、「大丈夫だって信じていた」と言わんばかりに、微笑みかけてくれたこと。


スピーチを終えて、自分席へ戻った時、心臓の鼓動はかなり早まっていたが、「自分なりには、上出来だ」と思えていたことを思い出した。


「親友は、自分の姿を見て、なんだかとっても喜んでくれていたような気がします。」


しばらく悩んだ末に、ようやく回答できた。


いつから、いてくれたのだろう。

気づけば、別の場所から椅子を運んで持ってきていたらしいマスターも、椅子に座って炭酸水を飲みながら、話を聴いていた。


「いやあ。いいでしたねぇ。」

「随分と、軽い感想をおっしゃる。この青年は、必死に考えて、答えを導き出して、話してくれたというのに。」

「そういうつもりじゃなくて。ねえ?」

ふたりは、僕という存在をはさんで、仲良さげな掛け合いを楽しんでいる。


「私、あなたの様子を見て、思ったんですけどね。」と、マスターが僕の方を見て、口を開いた。

「落ち込んでいると話されていましたけれど、お店に来た時から、あなたには自信の色が窺えました。まあ。でも、ちょっとお疲れの感じもあったので、みーちゃんが連れてきてくれたことには、納得はしていて。来ているお洋服や持ち物を見ても、結婚式帰りだろうなとは思いましたので、その幸せの話を伺えるのかなと思ったんです。でも、違いましたね。確かに、あなたの親友の幸せな門出の話でしたけれど、一方で、あなたが新しい道を歩き始めた話でもありましたね。素晴らしいです。」


褒められた時、素直に受け取れないタイプなのだが、この時ばかりは、なんだかニヤけてしまった気がする。

初対面の人に、ここまで深く観察されたことはなかったからだろう。


「また、マスターに、良いところを取られちゃったなあ~」と話しつつ、パン職人の男性がこう続けた。

「君は、とても繊細な感性をお持ちのようだね。君の持つその感性、すごく好みだよ。人って、完璧を求められているようで、それは自分が勝手に言っているだけだったりするんだよね。自分では「うまくできなかった~」と嘆くような時でも、案外他人から見れば、「ものすごく良くできているじゃん」と思うようなこともあるし。その一方でさ、人と違って、パン作りは、ものすごく難しいんだよ。マスターに話そうとすると、いつも流されてしまうから、君にこそ、聞いてもらいたいんだけどさぁ。」


パン職人の男性は、お人よしなタイプかと思いきや、ご自身もお話好きな性格であるらしい。
初対面の人とも、何不自由なく話を引き出すことだけじゃない。

これが、「話し上手は、聞き上手」ってやつか。

と、感心しながら話を聴こうとしていると、マスターが、「話長くなると思うから、食べながら聞いてください」とささやき、メイン料理を出してくれた。


メイン料理は、ローストビーフ。和風ソース、わさび、塩が別添えで運ばれてきた。味変も楽しめそうである。


自分の知らない世界の話を聴くことが出来るうれしさと、メイン料理の説明が、省略されてしまったのことに対する残念さが、共存している。

こうなったら、料理の方は、自分の味覚を頼りに行くしかない。
ナイフとフォークで一口大に切り、まずは塩をつけて味わう。
ソースに、わさび。自分の好みの味付けで食べられるのが、味変の良さである。調味料の柔軟さには、どんな料理も、助けられることだろう。

食事を楽しむ僕の視界には、楽しそうに語ってくれているパン職人の男性の笑顔が見えた。お酒を嗜みながら、饒舌に話す姿からは、大人の余裕さえ垣間見える。

「たとえば、今日この店に提供したバゲットなんかはさ、上手に焼くには、いくつもの条件を、ちゃーんとクリアする必要があるんだよ。パン生地をこね上げた時の温度。発酵具合。オーブンの温度。すべてを、バチっとストライクゾーンに決めに行く覚悟が必要ってわけだ。それに、スチームが弱くてもダメだしねぇ。」


素人が理解するには、なかなか難儀な話だったが、今日食べた美味しいバゲットが出来るまでの苦労は、窺い知ることが出来た。

「今日僕が食べさせてもらったものも、奇跡が重なって食べられたってことなんですね。」

「そうだよ。君がここに来なければ、こういう話だってできなかっただろうし。食材という角度からだけて見ていたら、何も変わらないし、一瞬で食べ終わっちゃうだろうけど、こうやって生産者の顔を知れるっていうのも、ツウな楽しみ方だろう?」

た確かに、この男性が話すことは、一理ある。

今日、式場で食べた食事の方が、各段に美しくて、尊いものであるはずだが、ここで食べている食事の方が、何倍も楽しくて、美味しく感じていた。


「上機嫌ですねぇ。せっかく来てくれた青年に、押し付けないでくださいよ?」
と、マスターが、男性に向けて声を掛けている。

「そんなことないんだけれど。おかしいなあ~」と、独りごちている様子を見るのも、なんだか微笑ましかった。

マスターがクルっと向きを変え、僕の方を見て、話をした。

「さて、そろそろセットのお時間が終わりになりそうですね。お食事は以上になりますが、3杯目のお飲み物のご注文がまだでした。こちらのお店は、一応喫茶店ですので、コーヒーなんかもご用意しているのですけれど、最後の締めに、いかがです?」


「それじゃあ、お願いします。」


店内には、コーヒーの豆を挽く音と、コク深い香りが漂ってきた。

挽きたての豆から抽出されるコーヒーをいただくことは、初めての体験かもしれない。運ばれてきたホットコーヒーの湯気と共に、コーヒーの香りに癒される。


「本日ご用意しているのは、特別なブレンドコーヒーです。クリスマスを祝うのにぴったりなブレンドになっています。甘いものとの相性も良いので、ホリデーらしく、シュトーレンをお付けしています。こちらは、本日ご来店いただいた記念のサービスです。あっ。こちらのシュトーレンも、隣の方に入れていただいたものなのですけれどね。あなたに提供したのなら、きっと喜んでくれるはずなので、ぜひコーヒーと一緒にお召し上がりください。」


普段は、コンビニや某バーガーチェーン店のコーヒーしか飲まない。
このようにちゃんと淹れてもらったコーヒーを飲むのは、初めての体験だ。

カップを口元に近づけただけで、「何かが違う」と分かった。
コーヒーを知らない僕でもわかるほどの、コク深い香り。酸味や苦味より、なんだか甘さを感じる気がする。

フワッと香る豊かなコーヒー感。
その先にあるのは、幸せだろうと思った。

コーヒーと合わせていただく、甘さとスパイス感が融合しているシュトーレンは、口に入れただけで、「冬の華やかさ」を感じさせた。


「美味しいです。このどちらも。」

「それは、良かったです。」
マスターが穏やかな笑顔で、僕の方を見ていた。


「黒猫ちゃんだけでなく、お二人とも出逢えて、とてもいい時間でした。心地よく、帰宅できそうです。」

それと・・・と言いかけて、パン職人の男性へと目を向けた。

「大事なことに気付かせていただいて、ありがとうございました。すべてのことに完璧じゃなくてもいいし、いろんな角度から見て判断することって、大切ですね。」

パン職人の男性は、ハハッと笑い声をあげながら、こう話した。

「その気付きは、君自身がしたことであって、私は何もしていないですよ。それにしても、こんな良い話を、店内のかどっこで聴くもんじゃないなあ。中央の席で、お披露目してもらってもいいくらいだ。いやあ。それにしても、良い夜だ~。ね、マスター。」

「そ、そうですね。」

ふたりとも、笑っていた。



「ご来店ありがとうございました。休みたくなったら、いつでもお越しくださいね。あ、たまにその公園で、コーヒーを販売したりしているので、見つけたらぜひ。また、お待ちしています。」

店主と黒猫が、見送ってくれる中、ひとり歩き出した。



初めて入ったお店に、長居してしまった。外は、すっかり夜の景色になっていた。

空気が冷たく、吐いた息が白く形をつくっていた。


空を見上げると、ひらひらと白いものが舞っているように見えた。

「明日、次の飲み会の日程、提案してみようかな。」


たとえ行く先が別々でも、僕たち二人の関係性は、簡単には変わらない。

改めて、彼を祝うために、この店を訪れたいと思った。


二人を待つ かどで
《了》


月1開店している🍀nanohanacafe🍀。

これまでの物語は、下記マガジンに収容しております。


noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「 #なんのはなしですか 」です。


▼直近の物語は、こちら▼


*--*--* Special Thanks *--*--*

マスターは、いつものこの方。


本日の特別ゲストは、この方。

ねこのてさんから、第1回noteクリエイターフェスへの応援をいただきました。

RaMからのささやかなプレゼントとして、創作物語のひとりのキャラクターとして参加していただきました。

わたしから見るねこのてさんは、包容力と心の余裕がある、大人な男性です。

今回の主人公、20代半ばの男の子の背景を理解して、背中を押してくれる大人として、ご出演いただきました。

この度は、応援くださり、本当にありがとうございました。


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RaM 応援くださり、ありがとうございます✨いただいたチップは、note活動のための研鑽、創作のために必要な文房具の購入費用として、使わせていただきます。