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言の葉の裏庭 |【短編小説】

数か月前までは、自分で買い出しに出かけていたけれど、お店の通常営業に加えて、週1回のキッチンカー営業に出るようになってから、細かなところに手が回らなくなってしまった。

馴染みのお店の人に事情を伝えると、お店まで配達してくれるようになった。

小型バイクが、店の近くで停まった音がして、裏口へ向かう。
今にも扉を開けようとした時、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

配達員から、本日分の食材を受け取る。


配達員が着用していたカッパからは大量の水滴が垂れていたが、食材は何重にもビニール袋に包まれていて、無事だった。
こういう配慮が、とてもありがたい。
お礼に、先ほど挽いたばかりのコーヒー粉を手渡した。

裏口の扉を閉めると、更に雨音が大きく響き始める。


雨の音が嫌に感じずに、心地よく感じるようになったのは、いつからだろうか…と、思い起こそうとするが、何も浮かばなかった。


ひと通りの準備ができた。
朝8時、喫茶店🍀nanohana cafe🍀の開店である。


今日は、降水確率が80%と高めの日である。
それを物語るかのように、外はどんよりと黒い雲が広がっている。雨も降りやみそうにない。

今日は、久しぶりに、来客が0ノーゲスかもしれない。

そんな覚悟をしつつ、この先に来る冬支度をする日にしようと決めた。


暖炉に、クリスマスツリー。
この季節、店内がいちばん写真映えする。
エモくて評判なお店となるに違いない。


自分がいちばんだと思える装飾を目指して、年々クリスマスグッズを買い足しているのだが、黒猫みーちゃんでさえ、気づいていないだろうと思うと、だいぶ切ない話なのだが。


もう少しで、ツリーの装飾を始めるところまで行きそうになったその時、来店を知らせるベルが鳴った。


驚きで転びそうになったところをギリギリのところで耐えて、「いらっしゃいませ」と声を出し、扉の方に目を向ける。


どこかで見たことのあるような、カジュアルな装いの男性がひとり、傘をたたみながら入ってきた。


「空いている席へお座りください」と声をかけると、男性は頷き、ソファー席へと向かっていった。

お水とおしぼり、メニュー表を持ち、男性のもとへ向かう。

「ご来店は、初めてでしょうか?モーニングセットは、軽食。ランチセットは、しっかりめの食事。と、捉えていただいて、大丈夫です。お好みでお選びください。本日のコーヒーは、グァテマラ産のお豆を使用しています。外が寒くなってきましたので、もし甘いのが大丈夫でしたら、シナモンスパイスラテも、おすすめしております。注文がお決まりになりましたら、お声がけください。」

ひと通り説明をした後、男性客から離れた。

すると、あたかも慣れているかのように、黒猫みーちゃんが近づいていく。

知っているような、はじめましてのような…。

と、頭を悩ませていると、席の方から、『すいません』と声をかけられた気がした。


正確に言えば、それは声ではなく、男性が手を挙げていて、その姿を見た黒猫みーちゃんが、私の足元に来たのである。

その様子を見て、はっとする。
慌てて近くにあったメモ紙とペンを持って、男性客のところへ向かった。



「ご注文は、どうなさいますか?」

普段より、ゆっくりと話しかけた。男性客は、声を発さずに、モーニングセットと、私がおすすめしたシナモンスパイスラテにすると、メニュー表を指さして教えてくれた。

「他にご注文は、ございますか?」
首を横に振り、にこやかな表情の彼と目が合った。



その表情を見て、確信に変わった。
いつも女性に付き添われて、キッチンカーのコーヒーを飲みに来てくれていた男性だ。

「もしかして、公園でお会いしたことがありましたかね?」

男性は、ややうつむきながら、コクッと頷いた。


「今日は、おひとりでいらっしゃってくださったのですか?わかりにくいお店の場所なのに、ありがとうございます。何か必要なものなどございましたら、遠慮なく、おっしゃってください。できることはしますので。こちらに、紙とペンを置いておきますので、もし必要でしたら、ご使用くださいね。」

「それでは、お料理の準備をしてきます。」


男性から、言葉が返ってくることはないけれど、喜んでもらえているような気がしていた。


それにしても…。
黒猫みーちゃんの懐き方が異常に早い。何か通ずるものがあるのだろうか。


カトラリーセットを用意するために、席へ向かうと、紙には『ご配慮、ありがとうございます。』と、書かれていた。


「いえいえ、とんでもないです。今、お料理をお持ちしますが、1つ確認しておきたいです。コーヒーは、食後にお持ちしてよろしいですか?」

男性は、大きく頷いてくれた。

よかった…。
うまく伝えられているか不安だったが、返事がもらえているところを見ると、どうやら伝わっているらしい。


「こちら、本日のモーニングです。サンドイッチは、2種類ご用意しています。左側がツナとレタス、右側がパンプキンサラダを具材としています。付け合わせは、スクランブルエッグにソーセージ。小さいマグには、コンソメスープが入っています。メニューを書いてきたので、置いておきますね。ごゆっくり、お召し上がりください。」

一礼して、カウンターに戻った。


男性が、あまり気にならないであろう位置から、店内を眺める。
ソファー席で、ゆっくり食事をしている姿が見て、少しずつ安堵してきた。


こういう時、手話ができたらスムーズに会話ができるなかもしれないが、何も持ち合わせていない。


せっかく来てもらったのに、何もできないか…。
もどかしく感じていると、また自分の足元に、黒猫みーちゃんが来ていたことに気づく。


男性の座る席へ向かうと、先ほど渡していた紙の両面に、びっしりと文字が書かれていた。


今日は、当然来たのに、
温かいおもてなしをありがとうございます。
うまく言葉が出てこないことに気づいてくれて、
助かりました。

今日は、オレにとって、挑戦の日でした。

実は、普段手伝ってくれている人が、
肺炎をこじらせて、
入院することになってしまいました。

その人が、ずっとオレのことを
心配してくれていて、
「入院しない」なんて言うんです。

一人でもコーヒーを飲みに行けるということを
なんとか証明してみせることで、
安心して治療に専念してほしい、
と思って、来ました。

道に迷いはしましたが、
このお店ならいけるんじゃないか…と。

おいしいです。
ありがとうございます。


なかなか勇気の必要な来店だったらしい。

雨の日だから来れたのか、はたまたどんな天気の日でも来ることを決めていたのかは、分からなかったが、こんな再会の道もあるのか…と驚いた。


ここは、私からも一筆添えておく。

良かったです。ありがとうございます。
もう少ししたら、
食後のコーヒーをお持ちします。


男性が書いてくれた余白部分にメッセージを書き記したあとに、一度席を離れた。


コーヒーの準備をしながら、ふと男性の方へ目を向ける。ソファーに座っている姿勢でさえ、美しくなった。

来店直後の様子とは違って、どこか誇らしげに感じる。


店内には、沈黙が流れているが、不思議と気まずくはない。





彼が、どのような経緯で、言葉を話すことがしづらくなったのかは、知らない。

ただ、1つだけ分かったことは、彼が、言葉を嫌いになったわけではなく、伝えたい想いがあるということ。

この想いが、私にも、黒猫みーちゃんにも、確かに届いている。

そして、その想いが届くようにという一心で、彼のパートナーさんは、一緒の時を過ごしているのだろう。



フォームミルクの上に、シナモンとココアパウダーを軽く振り、シナモンスパイスラテの準備が出来た。

なみなみと注がれたくすみグレーのマグカップの隣には、オレンジ色の小皿に、白砂糖をたっぷりまとったブールドネージュを3つ乗せた。

スパイスの効いたラテには、シンプルな味の焼き菓子が合う。ーというのは、私の持論だ。


席に持っていくと、ちょうど食事が終わったタイミングだった。
完食していただけることは、何度経験しても嬉しく、表情がにっこりしてしまう。


モーニングセットの皿を下げ、食後のコーヒーを差し出し、一度カウンターに下がった。


男性が黒猫みーちゃんと遊び始めたタイミングを見計らって、再び客席に向かう。

「よい時間を過ごしていただけましたでしょうか?」とゆっくりとした口調で尋ねると、男性はにこやかな顔でうなずいた。

「言葉や想いは、あたたかなものであればあるほど、澄んでいて、まっすぐに届くようですね。もし、伝えたいことがあるようでしたら、そのことは大切にされてください。時間がかかったとしても、きっとあなたが届けたい相手に届くはずですから。」



反応がもらえなかったとしても、いつか彼の中で花咲くタイミングがあったら、それ以上の喜びはない。

これが、今の私にできる、精一杯の彼へのメッセージだった。


あまり長く留まってしまうと、反応を急かすことになりかねない。

伝えた後の様子を見届ける前に、その場から離れようと思ったが、彼の純粋な目に吸い込まれてしまった。


まるで時が止まったかのように、何ひとつとして動かないまま、しばらく静かな時間が過ぎた。

しばらくして、彼がペンを手にした。


言葉を発する機会を失ってから、
景色を見なくなりました。
目の前に見えるのは、暗闇だけ。

確かに周りにいる人の時間が
刻々と刻まれているはずなのに、
自分だけ時が経っているのかもわからなくなり、
ひとりぼっちでした。

今日までの日々が、自分に何を求めているのか、
わかったような気がします。

諦めずに、自分の日常に戻ろうと思います。

ありがとうございました。


男性が書き終えた瞬間、時計の針が動いた音が響いた。
ちょうど、11時を回ったことを告げる合図が鳴った。


何かのきっかけになれたことを
光栄に思います。
また、ぜひお越しになってください。



紙に書く文字のスピードは、話すよりも、時間がかかる。

だからこそ、言葉に想いが乗って、ありがたみが増すのかもしれない。


黒猫みーちゃんが、ポツンとしていたこの時間だけは気の毒だが、これは、この社会で暮らす者同士だからこそできるコミュニケーションの1つで、特別感もある。
些細な、普通の日常の中にも、ちょっとしたスパイスを利かすことができるものだと、知った。


席でお会計の準備をしてもらっている間に、彼に渡すプレゼントを準備した。

「あなたのパートナーさんが元気になりましたら、お二人で開けてみてください。ささやかなものですが、私からのプレゼントです。」


彼の口が、かすかに動いた。

『ありがとう』
私の心の中には、彼の声が届いていた。


雨の中、傘を差して帰っていく後ろ姿を見送った。



この小さな街でさえ、両手では数え切れないほどのたくさんの人が時間を過ごしている。
全員と出逢うことなどできないし、すれ違うことさえない人だっている。

一人ひとりには、それぞれの人生がある。
楽しいことばかりではなくても、みんなが毎日を生きている。

そんな一人ひとりの人生が、交差したりしなかったりして、紡がれていく社会の暮らしは、なんて奥深いのだろう。



店の中に戻ると、いつも以上に温かく、シナモンが香った。

ここで彼が大きな挑戦をしたあかしの残り香だ。



ことの裏庭
《了》


月1開店している🍀nanohanacafe🍀。

これまでの物語は、下記マガジンに収容しております。


noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「 #なんのはなしですか   」です。


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