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春の温度にほどける声 | 【短編小説】

街中がピンクになると、人々の話題は、「桜」で持ちきりだ。

キッチンカー営業の水曜日。
週を追うごとに、人々が足元を見ずに歩くようになっているのが、分かりやすかった。


私は、そんな花咲く季節があまり好きではない。

それを、お客さんに伝わらないようにすることが、春の使命である。

このあたりのバランスは、看板黒猫のみーちゃんに、お任せすることにしよう。



木の下で、会いたい人の声が聞こえる。

そんな噂が立っていた、1本の桜の木がある街に住んでいたことがある。 

当時、海外赴任していた父親の都合で、父方祖父母宅に預けられていた。母親が、どこにいたのか…その時の記憶は、既にない。

祖父も祖母も優しくて、何不自由なく、生活はしていた。学校も、特殊な家庭環境に、気にかけてくれる子が多くいたが、どんなに強がろうとしても、寂しくないはずがなかった。


なんせ、まだ幼い頃の話だ。

当時の私は、父との思い出と、常に触れていたかった。

父からプレゼントしてもらった、キャップにTシャツ、サッカーボール。


忘れたことがなかった、父の背中。

あれだけ覚えていたはずなのに、ひとつだけ、少しずつ欠けていくものがあった。

父の声だ。

今にも消えそうなか細い音量の声を、自分の記憶につなぎとめるかのように、毎年春を待ちわびた。


幼い自分は、純粋で、とても素直だった。桜の開花に合わせて、毎日のように、木のもとへ歩いていき、とにかく願った。

「一度でよいから、父の声を聞かせてください。忘れたくない大切なものなのに、もうすぐ忘れてしまいそうなんです。」



桜の木を見上げる度に、父の笑顔だけが蘇る。

でも…声は、やっぱり聞こえない。


幼い私の切なる願いは、無情にも、叶うことがなかった。



中学校の入学式のりの写真も、私の隣に写っていたのは、祖父母だった。

入学した中学のサッカー部が強豪校で、部活動一色の学校生活だった。
平日も、休日も、サッカーの練習に明け暮れ、気づくと、桜の開花を忘れるほどに忙しかった。


もう、あの桜の木の噂も、信じてはいなかった。


寂しさを忙しさにすり替えた私の記憶の中で、父の声は、消えてしまった。それはまるで、強風に吹かれて、あっという間に散ってしまう、桜の花びらのように。


この桜が散ると、新緑の季節。

祖父母の墓参りに行く頃だ。



・・・



…ター!もしもーし!!マスターってば〜!


「あっ…はいっ?!」


自分が呼ばれていたのは、夢ではなかったようだ。気を戻すと、すっかり常連客となった青年が、注文カウンターにいた。


「ようやく気づいてくれたですねぇ。もう何度も呼んだんですから。マスター、お客さんの動きばかり見て、絶妙なタイミングで注文取ったりするのに、普段とは違って、心ここにあらずというか…。満開になりつつある公園の桜の木に、見惚れてたんですか??春の陽気で、あったかいですし、ちょっとぼーっとしたくなりますよね。じゃあ。いつもの1つ、お願いします。」


「いや、桜の木に見惚れてるなんて。そんなことはなくって…」


「そうですよね。マスターが好きなのは、女性ですもんねぇ。わかりますよ〜?もう、さすがに。」


常連客には、すべてお見通しらしい。


気を取り直して、自慢のコーヒーを淹れることに集中する。

できたてのコーヒーを、紙コップに注ぎ、青年へ手渡した。


「ありがとうございます。」

青年は、コーヒーを受け取り、一口飲み、口を開いた。


「マスターも、いろいろあるのかもしれないっすけど…。この仔みーちゃんもずっと心配して、こっちを見てますし、俺みたいな客もいるということを忘れないでくださいね。」


じゃあこれ、と渡されたのは、コーヒー2杯分の料金だった。


「明日から、風が強くなって、夜には雨も降るらしいです。たぶん、来週の営業の時には、この桜も散ってしまっています。今日の営業が終わった後、桜を見ながら、珈琲飲んで帰ってください。今日のマスターの珈琲は、俺のおごりです。残りは、みーちゃんに何かあげてください。みーちゃんも、いつも頑張ってくれているので。今日は、仕事が立て込んでいるので、休憩を早めに切り上げて、ばっちり仕事してきます。今週、お店に行けないかもですが、
そのうち伺います。それじゃあ、またっ!」


元気出してくださいね〜!と、小さく手を振りながら去る青年の背中を見送った。



夕方。この公園は、人が少なくなる時間がある。
いつもなら、人間観察をしているから、売り上げにならない時間を過ごしているのだが、今日は青年の勧めもあり、営業を終えることにした。

片付けをしながら、自分のために、1杯分のコーヒーを準備する。

なんて、贅沢なことをしているのだろうか。


せっかくなので、お客さんの目線で、コーヒーをいただくことにする。キッチンカーから降りて、近くのベンチに腰掛けた。


無風だ。
夕焼けと桜の花が合わさり、何とも言えない幻想的な風景が目の前に現れた。


寒すぎることもないし、心地よい陽気の日が増えてきたものだなあ。


珈琲の香りと共に、安らいでいたのも束の間。

いっとき吹いた強風に巻かれて、桜の木が大きく揺れ、いくつかの花びらが、木から舞い落ちた。


お前の存在が、パパにとって
一番の宝物や。


声がする方へ身体を向けてみたが、そこには誰もいない。



そんなはず、ないか…。

既に忘れてしまった父の声が、自分にわかるはずがなかろう。なんて、都合のよい空耳だ。



何事もなかったかのように帰宅の準備をしていると、黒猫🐈‍⬛が足取り軽く、私の方へと近づいてきて、足元にすり寄ってきた。

「なあ。もしかして、今の声は、幻じゃないとでも言うのか…?」


ミャア♪🐈‍⬛


「そうか。今が幸せなら、あの声が、嘘だっていい。こんなエイプリルフールも、悪くないもんだな。」


ニャンのはなしですか。



空には、一番星が光り始めていた。


春の温度にほどける声
《了》


月1開店している🍀nanohanacafe🍀。

しばらくお休みいただいておりましたが、再開いたします。


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noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「 #なんのはなしですか 」です。


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またお会いできたら、うれしいです。


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