コーヒーの香りと、小さな決意 |【短編小説】
社長のもとに相談に行ってから、2週間が経過しようとしている。いつも動きの早い社長だが、これほどまでに何の通知もないのは、珍しかった。
あまりに無茶なお願いだったのかもしれない。
ただ、一度行動に出てしまった以上、その時間を返上することはできない。
今は、その時を待ち、自分ができることを粛々とするのみだった。
窓から、朝日の光が漏れてきた。
今日も、暑くなりそうだ。
時刻は、朝7時を迎え、この店の看板猫の黒猫みーちゃんも起きてきた。
朝から開いている🍀nanohanacafe🍀だが、開店時から来客があることは、まずない。
それでも、この時間に開け続けているのは、いつか必要な方に届くかもしれないという、執念にも近い思いからだ。
本日のコーヒーの豆を挽きながら、店の入り口を整える。最近は、時間に余裕もできて、装飾を楽しめるようになってきた。今ハマっているのは、入り口には、今日の気分の本を並べること。
ーー今日は、景色の綺麗な写真集でも置いておくか…。
夕暮れ時の海の写真に惚れて購入したものだが、他の写真も美しかった。外の気温に合わせて、夏仕様にした。

黒猫のみーちゃんに、水と朝ごはんを差し出す。
今日もいつものように、波風立てずに1日の始まりを迎えた。
ーカランカラン。
「久しぶりに来れたよ〜。いつものように、コーヒーと軽食、ちょうだい。」
入店を知らせるベルが鳴ると同時に、話しながら入ってきた男性。
2週間ぶりに会う、このカフェの物件の管理会社の社長だ。この社長は、会社を経営しながら、いろいろなことをやっているようで、なかなか忙しい人らしいのだが、この店のことを気に入ってくれていて、たまにこうしてモーニングコーヒーを飲みに来てくれる。
「社長、おはようございます。先日は、ありがとうございました。まず、水をどうぞ。」
社長は、「おはよう」とあいさつしながら、受け取った水をひとくち飲んだ。
「いやあ。今日も朝から暑いね。あ、この子か〜。女性に頼まれた黒猫ちゃんってのは。だいぶ慣れたんじゃない?」

黒猫のみーちゃんは、ほぼ知らないこの男性のことを不思議に思っていたかもしれない。もちろん、猫が発言できるわけでもなく、代わりに返答するのが私の役目。
「そうですね。いい仕事してくれてますよ。外にいることが多いのですが、この時間に中にいることが稀です。それだけ外が暑いということなのかもしれませんけれど。」
社長との付き合いも長くなってきて、関わり方も分かるようになってきた。社長のためのサンドイッチを作りながら、言葉を返す。
社長は、ハムとキュウリ、たまごサラダなど、シンプルな具材のサンドイッチを好むことは知っている。あいにく今日は、卵を切らしている。今日のランチ用に作っていたポテトサラダ、チーズを乗せて、トースターで焼く、オープンサンドにしてみた。
「おまたせしました。本日のコーヒーと軽食です。今日は、ちょっと変わり種をご用意してみました。コーヒーは、コナコーヒーです。酸味が強めですが、コクもありますし、味わい深いと思います。」
忙しない社長は、説明を聞いている途中で、もう食べ始めていた。
「うん。これも、美味しいじゃない。やっぱり間違いないよねぇ。なんでここ、こんなにお客少ないんだろ?」
「社長の力で、宣伝してくださいよ。忙しくなったら、好みに合わせた対応はできなくなりますけどね?」
「それは、よろしくないなあ〜」
素で来れるお店なんて、そう多くないのに…と、つぶやきながら、サンドイッチとコーヒーを交互に口に入れている。
今日社長がここに来た目的は、きっとアレだろう。
そう察しつつも、なかなから聞き出せずにいた。
タイミングを窺っていると、ひと通り食事を終えたらしい社長から、一枚の紙を差し出された。
そこには、名前と連絡先、住所が載っている。
「この間の話。一緒にできそうな人を見つけたよ。年齢は君より少し上。なかなか知的な人で、ちょっとクセがあるような人だけど、君と合うんじゃないかな〜。どう?会ってみる?」
どうもこうも、この紙の差し出され方は、いかにも行ってこいと言っているようなものじゃないか…と思ったことは胸に秘めておくことにして、会いに行く旨を伝えた。
「連絡入れておくから、後で連絡してみてね〜」
社長は、席を立とうとした。
店の扉に手をかけたタイミングで、社長が振り返って、こちらを見た。
「あ、そうそう。そういえば、この間、黒猫の前の飼い主さんから、手紙が届いたんよ。なかなか楽しそうに生活しているみたいだね。黒猫と店主にも、よろしくって、書いてあったから、伝えとくね。じゃあ、また〜。」
咄嗟のことで、うまい返事が浮かばず、「ありがとうございました。」と、声を出すのが精一杯だった。
一瞬、自分の回りだけ、時が止まって取り残されたかのような感覚となったが、黒猫が散歩に出ていく音がして、現実に引き返された。
今するべきなのは…、と。
自分の朝食の準備。
しばらくしてから、この紙に書かれた連絡先に電話すること。
社長に出した軽食よりも、さらに簡素化したものを朝食にして、コーヒーを飲みながら、今後の展開を想像しようとするが、未来は全く描けなかった。
1時間後。
ようやく心が決まって、電話をかけた。
今日の夜、とあるバーで待ち合わせ。
この店が始まってから、バーに行くことなんてなかった。少々緊張する。
急遽、店を早めに閉めることとして、看板にこう記した。
「本日、所用につき、戻りません。明日の開店は、10時〜。モーニングはお休みさせていただきます。ご来店お待ちしております。」
お店にお客さんが来ることはないだろう…と思いつつも、いつ何が起こるかなんて分かり得ない。
こういうものを準備しておくことが、このお店の今後に活きてくるはずだと思っている。
昼時に、かつて来てくれた若い子がおしゃべりに来て以降は、客足も途絶えた。
このタイミングで、早々にお店を閉め、室内の電気を消した。

普段食材の仕入れ先に向かう道とは全く逆方向へ歩いていく。
電話で指定されたバーへ向かい、店のスタッフへ人との待ち合わせで来たことを伝えた。
すぐに席に案内されると、既に男性は来ていた。
席に着く前に、取り急ぎ、nanohanacafeのシキだと名乗った。
50代半ば頃だろうか。男性は、自分に手を差し出しながら、こう言った。
「はじめまして、笹木と申します。社長から、何やらおもしろいことをしたがっている人がいると、話聞いておりました。どうなるかわからないことに挑戦するというのに、ワクワクするタイプでして、お話聴きたいと思ったんですよ。」
社長の言う通り、確かにクセはありそうである。
初めて会う人の違いはないはずだが、不思議と緊張はせず、話せる気がした。
お酒をいただきながら、いろいろな話をした。
話をしているうちに、まずわかったことは、この男性は、ここのバーの経営者でもあるということだった。
他にも、いろいろな業態を経験しており、移動販売にも興味があるということ。
あの社長も、かつて一緒に仕事をしてきた仲間であり、今も飲み仲間であり、ミーティングを兼ねてモーニングを一緒に食べることもあること。
この人と会うことを勧めてきた理由が、よく分かったような気がした。
確かに、何か、一緒にできそうな気もする。
この日は、ひと通り話をして、いったん別れた。

翌日。
ランチタイムからの営業のためにお店を開けた。
この日のランチは、ツナとポテトのオープンサンドとボロネーゼ、サラダのセット。もちろん、本日のコーヒー付きだ。
オープンサンドは、昨日の社長の反応を見て、ランチセットに昇格させた。お客さんが喜んでくれるといいのだけれど。
前日の準備が万全でなく、ランチメニューを作ることができなかった。急いで紙に手書きでメニューを書き、テーブルに置いた。
11時30分、ランチタイムの開始である。
間もなく正午というタイミングで、珍しく、二組のお客さんが立て続けに店内に入ってきた。
いつもの常連さんだと思うと、やや表情が和らぐ。
「良かった〜。今日やってる!本当は昨日来たかったんですけど、急な仕事が入ってしまって、来れなくって。」と言いながら、ランチを注文した男性客。カトラリーを準備しながら、近況を尋ねてみると、このパパさんは、お子さんとの関わりや、仕事の大変さに追われながらも、やることはしっかりこなしていた。私から見れば、できていないことなんて、1つもなかった。
男性に続いて来店されたこの女性は、黒猫みーちゃんに挨拶をしたあとで、着席した。
こちらのママさんも、いまや常連さんだ。今日は、お子さんを預けて、ひとり時間を取ってきたとのことだった。
ランチの説明をしようとしたが、迷わずセットにすると答えた。「ここのものは、間違いないからね」と、ウィンクされたような後ろ姿を、見逃さなかった。
カトラリーを持ちながら、雑談をする。こちらが聞かなくとも、ご家族の状況を教えてくれるようになった。息子さんは元気で、毎日数時間であれば家から出て行く場所があるという。
ママさんは、「全く変わらなくて」「相変わらずで」と話すが、あの日の瞳と今日の瞳は全く異なって見える。
この2人にとっては、あの時間が、少しは役に立てたのかもしれない。

食事の準備をしながら、ふと、今の状況をお客さんに相談したら、どうなるだろうか?と思った。
「今、私は、悩んでいる。今よりも分かりやすい場所に、同じコーヒーが提供されるようになったとしたら、どう感じますか?」と。
聞くことがいいことかは分からないが、自分の進む道の指標の1つにはなりうるだろうと思った。
意を決して尋ねてみると、ふたりともそれぞれに思うところを話してくれた。
総じて、どちらも魅力を感じるだろうし、店主がやりたいことを進んだらいい、と。
パパさんは、仕事があると言って、足早に帰っていってしまったが、一方のママさんはゆっくり過ごしていきたい、と言った。
この二人の後に入ってくる客はいなかった。私もコーヒーを飲みながら、他愛のない話をして、盛り上がった。
気付けば、私の話をたくさん聞いてもらっていた。不思議と脳の中がスッキリしてきて、自分のしたいことが明確になっていった。
感謝の言葉を伝えて、ママさんを見送った。
店内は、一気に静寂に包まれた。

一緒に過ごした期間の長さじゃない。濃さなんだ。
名前を知らなくても、所属が違っても、些細な出来事がきっかけとなって、休める場所として在ることができることを知った。
この店に来るのは、黒猫のみーちゃんが新規のお客さんを連れてくるか、一度来た方で気に入ってくれた方がもう一度来てくれるリピーターさん。
ここの出会いも大切にしたいし、過ごしてもらう時間も大切なものになって欲しい。
こういう場があるということを知ってもらえるきっかけが欲しくなった。
変化をすることも、変わらないでいることも、どちらを取るかによって、このあとの自分の動きは大きく変わる。
何かを得たら、何かを失うと思ったら、怖くて仕方なかったが、お客さんからの声を聞いて、一度行動に移してもいいかもしれない、と思えた。

変化と決断の時は、突然にくるものだ。
社長と笹木さんに、決意の連絡をした。
本拠地をここにして、加えて曜日と時間を限定して、キッチンカーでコーヒーを提供することに決めたのだ。
ひとりで始めたことから、こうして人の輪の広がりから、また別のやりたいことを見つけた。
どの場面においても、1人きりではなかったことは、大きかった。
お客さんを癒やすことができたら…と思っていたけれど、これをすることで癒していたのは、過去の自分なのかもしれない。
少しずつ。
自分にできることで、必要だと思ってくれる人の力になっていきたい。
覚悟した以上、3ヶ月はやり切る、と決めていた。
この決意を伝えてから、しばらく、社長が笹木さんを連れて、モーニングに来る日が増えた。
2人がたくさん考えてくれて、自分の願いを形にできる日が来るとは、全く思っていなかったことだ。
それだけ、私は本気だったのかもしれない。
これまでの変化と道のりを、今だけのものにしてしまっては、もったいないと思った。
自分のしたいこと、活かしたいことを、残した上で、長期的に継続できる流れを模索した。
すべてをそのままで、やることを増やすという決断はできない。お店のカタチが見えてきたところで、メニューも見直さざるを得なかった。
キッチンカーは、週に1日水曜日に、黒猫がよく行く公園付近で出す。そうすることで、黒猫みーちゃんも一緒にいることができるだろうと考えた。
その他は5日間は、このお店をオープンさせる。
金曜日と土曜日は、ゆっくりお話したい方向けにディナータイムあり。
日曜日は、店休日とすることにした。
メニューに自由度がなくなることは寂しい気がしたが、慣れるまでの間は仕方ないと、自分を落ち着かせることにした。
常連さんに悲しませることはしたくないと思い、お店のシステム変更は、先に伝えた。
これまでのお付き合いに感謝しつつ、これからできることをしていくと伝えた。
みんなが熱心に聞いてくれて、応援してくれた。
黒猫のみーちゃんも、声をあげて鳴いてくれた。
これほどまでに、人に興味をもって、深く関われた機会はなかったかもしれない。
点だった出会いが、関わりが続くことで線になっていた。

私が思った以上にトントン拍子に話が進み、その後2ヶ月もかからずに、キッチンカーのデビューとなることは、この時思いもしなかった。
新しいスタイルで、たくさんの出会いがあるのだろうけれど、それはまた別の機会に。

ひとりで孤独だったから、誰かを勇気づけることでつながりたいと思って始めたことが、実は最初から孤独ではなくて、自分が一番勇気をもらっていたという話。
コーヒーの香りと、小さな決意
《了》
月1開店している🍀nanohanacafe🍀。
これまでの物語は、下記マガジンに収容しております。
noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「#なんのはなしですか 」です。
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