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実績紹介⑥|音楽の仕事|過去作品のリマスタリング・デジタル解禁にあたり(その2)

合同会社raco project(ラコ・プロジェクト)の阿部です。本日は実績紹介としては6回目の投稿で、4回目の実績紹介記事の続編です。


ここまでのあらまし

私はかつて「racoustik(ラコースティック)」という名義でユニバーサルミュージックの全国流通で2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースし、2枚のコンピレーションアルバムに参加させていただいたことがあるのですが、

このたび、その2枚のアルバム(シングルA面曲含む)が最新リマスタリングの上、各種サブスクやSNSで解禁となり、またリリースのタイミングでFMで再度注力的にオンエアしていただく、というような流れとなりました。

リリース日は、2026年3月20日(金・祝)に決まりました。

今回リマスタリングして再リリースされる作品は下記の2つです。

「たわんだ大気圧」2009年
「ざわめく木々の音楽」2012年

このジャケット写真やその他様々な写真を撮ってくださったフォトグラファーの大瀧央子さんとデザインやCD内の装丁を全体的に担当してくださったアートディレクター/デザイナーの大瀧由子さんは、このたび、前回の記事でご紹介した私の会社raco projectで15年ぶりにお仕事ご一緒させていただきました。この縁を大切に、今後も自分の会社のプロジェクトなどでタイミングが合えばぜひまたご一緒させていただきたいと思っています。

さて。今回は4回目でお話した下記の部分の続きです。

「自分は本当に音楽そのものを辞めたいのだろうか?それとも、明らかに不適応を起こしている『この状況』を辞めたいのか…?」

大分考えこんで思い悩んだ結果、自分はまだ、自分の立てた仮説で、自分のやりたい手法をもちいて、自分の書きたい音楽を書いてやりたいようにやり、それをもって自分の力で交渉して、道を切り拓いてみるということをやれていない、と思い至ります。ここで辞めたら心残りだな、と。

そこで、バンドを脱退した私は自分の音楽プロジェクトをracoustik(ラコースティック)と名づけ、自分でレーベルを作り、演奏メンバーとも、制作エンジニアの方とも、レコード会社(ユニバーサルミュージック)とも、音楽出版社とも、デザインチームとも、イベンターの方とも、メディアの方とも、ファンの方とも、それぞれ自分の言葉で信頼関係を築き、ライブ活動を重ね、アルバム制作に至りました(当時はCDが本格的に斜陽になる前の最後の時期でした)。いくつかの企画のコンピレーションにも参加しました。

結果として、前のバンドTWELLVEで“大人たち”の言いなりでやっていた頃よりも、何倍も売れました。

演奏参加メンバー

TWELLVEというバンドを辞めると決めて、自分で何かやろうと考えていたところ、「その阿部くんの新しい音楽を聴いてみたい」ということで、ありがたいことに青山の月見ル君想フや、下北沢の440mona recordsなど、いくつかのライブスポットから出演のお誘いが入りました。まだ方向性も模索中だったのですが、せっかくのお誘いの機を逃すわけにはいかない、と急いで準備を進めます。

同時進行で、TWELLVEのサポートドラムをお願いしたこともある旧知のドラマー今成さんと、もつ鍋をつついたりしながら「この先どうしようかな」と日々話している中で「こういうことを一緒にやってみようか」という構想が浮かび上がりつつありました。

そしてこれまた旧知のベーシスト樽木くんからある日電話がかかってきて、「TWELLVE辞めるんだって?次は阿部となんかやりたいと思っているんだけど」と連絡をもらいます。

また、フジファブリックというバンドやムジカラグーというバンドでギターを弾いていた萩原くんとも親しくなり、一緒にやりたいと言ってもらいました。

これで、「演奏する場所からのオファーがあり」「ドラム、ベース、ギター」という最低限の編成のメンバーもそろい」「新しく発表したい曲のストックもそろった」ことになり、とりいそぎ、という形でracoustik(ラコースティック)というプロジェクトはスタートすることとなりました。初ライブは2007年4月でした。

その後、近い領域で活動されていたシーナアキコさんをスカウトし、キーボードとして参加していただくことになります。シーナさんとは2026年も現在進行形でさまざまなお仕事やプロジェクトをご一緒する仲が続いています。

さらに彼が10代の時からの盟友・親友で、TWELLVEでも一緒に活動していたギタリストの石井くん(残念ながら2016年に亡くなりました。彼のことは話し切れないのでいつかまた機会があれば)が時間差でTWELLVEを脱退し、「俺にギターを弾かせろ」と宣言してくれ、racoustikに合流しました。

そしてracoustikはコンガを中心としたパーカッションも重要な要素なのですが、それは、元ムジカラグーの田中さん(1stアルバム参加)から、おきょんさん(2ndアルバム参加)に引き継がれていきます。

racoustikは、これらのギター×2、ドラム、ベース、パーカッション、キーボードの6人編成を基本に、スティール・パンの青木くんやサックスの田中UJくんに参加してもらったりしていた、今思えばわりと大所帯の演奏メンバーで構成されたプロジェクトでした。

よく「兄弟」と言われていた、石井くんと阿部
KDDI デザイニングスタジオでの収録+アコースティックライブ
石井くんが亡くなった2016年に、石井くん以外のメンバーが集まった440でのライブ

そんなこんなで演奏メンバーも固まり、まずはデモ音源をレコーディングしてみようかと、新曲レパートリーもそろった2007年秋頃に当時つながりのあったエンジニアの方にお願いしてスタジオ・レコーディングをしてみました。(デモのつもりで録音したこの時の音源がそのまま2009年にユニバーサル流通でリリースされる「たわんだ大気圧」になります)

レーベルの設立とリリースまで

ここまでが演奏軸のお話ですが、同時に私は「レーベル軸」のお話も試行錯誤して開拓していました。

TWELLVEの頃、カフェで流れていた私の音楽を聴いて連絡をくれ親しくなり、可愛がってくださっていたプロデューサーの箭内健一さんとお話ししていた時にいただいた言葉が、私が新たな音楽プロジェクトを立ち上げる大きなきっかけとなりました。

「今の事務所/レーベルで周りのスタッフの方がやってくれていることで、実は阿部くん自身にできないことは何もないかもよ?」

箭内さんは、当時ではまだ珍しい形式だった「自分でレーベル機能を持ち、原盤権を持ちながら、全国流通をメジャーレーベル配給にする」という形式を当時すでにとっておられました。

その箭内さんからユニバーサルの担当青木さんをご紹介いただき、ありがたいことに「これは面白い、ぜひやりましょう」というお話になりました。

また、TOKYO FMのプロデューサーで当時TOKYO FM系の音楽出版社に出向して新人発掘をされていた藤村さんという方が音源を聴いてくださり「面白そうだから会おうよ」とおっしゃってくださり、複数回ライブにお越しいただき、会食的打合せを経て、プロモーションと著作権管理(出版業務)をお願いする運びとなりました。

私は、そこで改めてレコーディングをする気構えもあったのですが、ユニバーサルの青木さんも藤村さんも、私のデモ音源を聴いて「この感触がよいから、このままリリースしようよ」と言ってくださりました。

ある段階で「全国流通+プロモーションをしてくださるユニバーサルミュージック」「著作権管理とプロモーションをしてくださる出版社(現サウンズネクスト)」「リリースできる音源」が揃っている状態になり、そこから一気に、リリースに向けて加速することとなります。

ここに至るまで数年間の悪戦苦闘がありましたが「大手音楽事務所に所属してプロデュースしてもらいお膳立てをしてもらうより、自分で直接人と会って、信頼できる人と話を進めていった方が自分のやり方に合っている」と強く実感したのを覚えています。

リリース後のあれこれ

1stアルバム「たわんだ大気圧」の発売(レコーディング自体は2007年のもの)は、2009年10月頃に決まりました。

リリース前から大々的にプロモーションをしていただき、TOKYO FM系列をはじめとした全国のFM各局で大量にオンエアされ、私もTOKYO FMやFM福岡で番組やコーナーを担当させていただきました。番組生出演で生演奏も沢山させていただきました。(一人でやっていたためカオス状態で記録に残す余裕がなく記憶もまだらですが)

リリースに合わせて、今は映画監督として活躍しているウエダアツシさんの企画・監督で、シングル曲「早く君に」のMVを制作。

KDDIデザイニングスタジオなど、都内の商業ビルの大型画面で連日MVが放映されました。

今はなくなってしまった原宿のKDDIデザイニングスタジオ

ライブも、銀座のApple Storeなど、それまでと違う環境で演奏できたり、リリースにあたっては大阪でもレコ発(リリースパーティ的ライブ)を開催したりしました。

この頃は「100円ショップで阿部さんの音楽聴いたよ」と言われるなど、私の想像を超える環境であちこちでオンエアされることに。

その他、現在よりもCDショップが隆盛であった当時は、たくさんのお店で大規模展開もしていただき、渋谷のタワーレコードなどのインストアライブも行いました。

写真はあまり残っていませんが、2012年の2枚目のアルバム発売時のタワーレコード新宿店の展開の写真が見つかりました。(私はそんなつもりなかったですしサーフィンも全くできないのですが「サーフミュージック」として取り扱っていただくことが多かったです)

そんなこんなで、多くの方との出会いのご縁や幸運に恵まれましたが、前回述べた「自分でやったほうが売れる」という現象につながりました。

また、当時多くの雑誌で取り上げていただいたり一時期連載コーナーをもたせていただいたりしましたが、こちらもまた全部自分でオファー対応から当日のインタビュー対応までしていたのでひとつひとつ対応するのに精いっぱいで記録を残しておらず、ほぼ残っておりません。

残っているものの中で、当時の雑誌のインタビューで印象深かったものをひとつご紹介させていただきます。当時はコンビニにも置いてあったカルチャー雑誌、BARFOUT!。当時青山にあったユニバーサルミュージックの会議室で、インタビューをしていただいたのを覚えています。

当時の私の思いを丁寧に取材してくださり、咀嚼してくださり、思いを込めて書いてくださり、本当に感謝しています。(前回の投稿同様、ここでも比較対象として小沢健二さんが引用されてしまっていますが)

以下は、画像から文字起こしをしたものです。


アコースティック・ギターを軸にしたプリミティヴな手触りのサウンド・メイク、ブルース~フォーク~サーフ・ミュージックのエッセンスを感じさせるソングライティング、そして、09年の東京を色濃く感じさせる空気感。作詞・作曲、ギター、デザインを手がける阿部仁のプロジェクト、racoustik(ラコースティック)の1st アルバム「たわんだ大気圧」は、オーガニックかつノスタルジックなサウンドと聴く者の気持ちを大きく揺さぶる一大らかな心地よさと心を抉り取られるような鋭さが同居しているーヴォーカルをたっぷりと堪能できる作品となった。その中心にあるのは、野蛮/Wild"という感覚だ。

「racoustik の前にやっていたのは洗練されたアレンジを好むバンド(シティ・ポップ系の楽曲を志向、高い支持を得ていた TWELLVE)だったんです。そういう音楽は決して嫌いではなかったんだけど、自分の中には、『もうちょっとザラっとした感じの音がやりたい』っていうイメージがあったんですよね。その感覚を僕は“野蛮さ”って呼んでいるんです。綺麗にまとめるのではなくて、荒々しさや野性的なところが感じられるというか。アコースティック・ギターという楽器も、(アンプなどに)繋がなくても音が出る、弾き方によって荒々しい音も表現できるという点で、かなり原始的だと思うんですよね」

阿部が志向する野蛮は決して、“大雑把”とか“粗野”ということではない。その証拠にracoustik の音楽は単にラフなだけではなく、ポッブ・ミュージックとして十分に洗練されているのだ。そのことを指摘すると阿部は「実は“野蛮と洗練”っていうのが裏コンセプトなんですよね。自分で言うのは恥ずかしいので、フライヤーや資料には書かないんですけど」と応じた。

「綺麗に洗練されただけの AOR は生理的に受け付けないんですけど、本物のカントリーやブルースもちょっと違う。その狭間にいる感じが好きなのかもしれないですね。今回のアルバムについては、“分かりやすい方向に踏み出していこう”っていう意識もあったんですよ。衝動に向き合いながら作ることも大事なんだけど、他者とどこまでコミュニケーションできるか?っていう要素も加えていきたい、と思ったので」

また、親しみやすい言葉を連ねながら、さりげなく物事の本質を浮き彫りにするリリックも素晴らしい。〈いまはちいさな可笑しさを探して 君が笑いはじめるのを待っている それさえあれば〉(「ちいさな可笑しさ」)、〈ほら理由もなく悲しくなるだなんて気のせいだろう?〉(「たわんだ大気圧」)。極めて個人的な感想だが、日本語のリリックにこれほどまで共感したのは小沢健二の1st アルバム以来かもしれない。

「僕は元々ネガティヴな人間で、『それをどうやって克服するか?』ということを考え続けてきたんです。でも、悲しみを知っている人間が表現するポジティヴの方が、もっと光を感じられるかもしれない、とも思っていて。僕らの親の世代と違って、30代以下の世代は、経済や社会の変化のせいもあって“努力しても報われない”という感覚を共通して持ってると思うんです。そこでどう持ちこたえるか、っていうのも大きなテーマですね」

“亜熱帯化する東京”にある風景、そこに生じる“今の気分”をしっかりと描きながら、聴き終わった後には、“もう少しだけ、続けてみよう”という肯定的な気持ちを残してくれる『たわんだ大気圧』。今の時代に必要なポップ・ミュージックはこういうものだと思う、きっと。

(9月17日/青山一丁目にて)

その後、そして今

そんなこんなでracoustikとしての活動を5年ほどやり(自分でいろいろ企画・PM・実行することはできるが体力がないのですぐ燃え尽きてしまい、休み休み)、アルバムを3枚くらい作ったところで、当時の自分としては「自分の“才能”のほども知ることができた」と活動に一区切りをつけることとしました。

“才能”とは「飽くなき創作欲で曲が作り続けられる才能」「業界関係者だけでなく、不特定多数の一般ユーザーに愛される才能(私は通ウケはやたらよかったのですがそこから先のブレイクができませんでした)」「自分を商品化できる力」「時代と共鳴する力」「好きになってくださった方を惹きつけ続けるマメなコミュニケーション力」「器用さ」「モテたい衝動」などなど。トータルの才能。

やるだけやって、なんだか良さそうなとこまでいくのだけど、結局それらを突き抜けるモノが、自分には足りないんだな、と当時、思い知りました。

そして2012年の終わり頃、あるコンサルティング会社からヘッドハンティングをいただき、そちらの過密な仕事で寝る時間もないくらいに忙しくなったタイミングで、自分の音楽中心の活動に一区切りをつけることにしました。

その後「音楽活動は過去のこと」と自分の中で位置づけ、それ以降に私と出会った方には自分が音楽をやっていたこと自体を明かすことなく15年位を過ごしてきたのですが。

昨年、2025年の秋ごろ、当時TOKYO FM系列の会社で著作権管理やプロモーションを担当していた方と久々にお話しする機会があり、再会を喜び、思い出話をしていたところ盛り上がりまして。社内に持ち帰って複数の方と会議を重ねていただき、「阿部さんの音楽、当時よりもむしろ15年たった今の方が逆に時代に合っているのでは」と言っていただきました。

それならば、と勇気を出して、改めて当時の音源を2026年向けに音圧や音像をリマスタリングして、おんぶに抱っこでデジタル解禁させていただく運びとなりました。

「全サブスクサービス」と「主たるSNS(Facebook・インスタやTikTokなど?)」で、リリースしていただけるとのこと。

リリース日が近づき、詳しいことがわかりましたら、またお知らせさせていただきます。

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