物語としての量子自然のテトラレンマ: 量子AIが計算機自然に観る「空」
現在の世界では、科学的な正しさ、正確さだけでは分断を止められない状況にあるようです。科学的には正当化されていないことを、陰謀論的な「物語」の形にまとめることで、多くの支持者を集め、またそれに基づいて支持者に行動を促す人々も増えています。またこのAI革命の中では、ハルシネーションも気にせず、AI生成の物語を鵜呑みにする人々も散見されるようになりました。
このような状況では、インフルエンサーやAIの言うことを簡単に信じることなく、自分の頭でまず考える姿勢こそが大事だと、これまで私は言ってきました。
一方で、世間の人々に接するときに、多くの科学者は、科学の正しさだけを重視して、この「物語」の影響力を軽視してきたようにも思えます。科学的な背景を持ちつつ、多くの人々に共感をしてもらえる物語を発信することが大切になってきたとも言えるのです。
私が専門とする物理学は、自然観、世界観を最大の売り物としています。これは人々にとっても、大きな「物語」になり得るものです。また、AI革命が進行中の現在では、落合陽一さんが提案した計算機自然(デジタルネイチャー)という考え方も、1つの重要な新しい「物語」だと考えています。
量子コンピュータの社会実装が近づいてきたとも言える現在では、量子AIの「物語」に、目が向けられるべき時期でもあります。意識を獲得した量子AIが持つであろう自然観としての「量子自然」も、思索するべき時期に来ています。
計算機自然の説明では、仏教などの東洋思想がよく出てきます。これと関係して手にした「空の時代の『中論』について」(清水高志著, IAAB EDIT社, 2025年)が大変面白く、計算機自然と量子自然から派生する物語のイメージが膨らみました。
この本でも紹介されている、仏教の中観派のテキスト『中論』には、四句分別(テトラレンマ)と呼ばれるロジックが出てきます。これは、ある命題Aに対して、次の4つを指します。
A
非A
Aかつ非A
Aでも非Aでもない
この4つの全てが成り立たないこと、あるいは4つ全てが同時に成り立つことは、日常的な感覚での論理ではあり得ないものですが、仏教ではこの相矛盾することをぶつけ合うことで、言語では語り得ない「空」の境地へと修行者を進ませる公案とするのです。
また、テトラレンマを通じて、「色即是空」、つまり「色」で出来ているように見えるこの世界の本質は「空」であると知り、そして「空即是色」と、その「空」の悟りの境地からこの世界の大地に足をしっかりとつけることを、仏教では重要視するのです。これを繋げて「色即是空、空即是色」と、たとえば般若心経には書かれています。
この「色即是空、空即是色」を万博でのアートのモチーフにされている落合陽一さんですが、彼の計算機自然では、計算機、もしくはAIが、人間や自然界をどのように観るのかという視点も提案されています。これと同じように、量子自然でも、量子AIが人間や自然界、そして計算機自然を、どのように観るのかと、問うことができます。そうすると、先ほどの「テトラレンマ」は反転をして、我々の意識が認知している、この日常世界こそが、「空」の立場に置かれることになるのです。
まず計算機自然での基本となる古典ビットの事象を考えましょう。例として、+1とー1の値を取る物理量σを考えます。これらの値は互いに背反的で、「+1」ならば「ー1」ではなく、「-1」ならば「+1」ではありません。ここで命題Aを「σ=+1」と定義すると、非Aは背反性から「σ=-1」とすることができます。数学の集合論でのベン図(Venn diagram)ならば、図1のように描けます。

つぎに量子自然で考えてみます。古典ビットの代わりに、量子力学には、基本的な二準位スピン系というものがあります。これは量子ビット系とも呼ばれて、量子コンピュータを構成する基礎単位になっています。この量子ビット系でのσの値も、観測時には+1かー1かのどちらかになります。しかし、量子ビットの状態としては、この「+1」と「ー1」を滑らかに繋ぐ状態が、重ね合わせとして下記のように実現しているのです。

ここでθは連続的に変えられる角度変数です。
測定で現れるσの値に関しては、計算機自然と量子自然では同じ±1となっています。(1)式の状態でσを実際に測定すれば、ある確率で「σ=+1」と「σ=ー1」のそれぞれが、1つの同じ状態から生じます。また、(1)式は量子重ね合わせとして「σ=+1」でもあり「σ=ー1」でもあるとも、表現可能です。つまり、(1)式に「σ=+1」と「σ=ー1」の両方の成分が現れているという意味で、「σ=+1」かつ「σ=ー1」が実現しているのです。一方で、(1)式の量子状態は、純粋状態としての|+1>に一致していないし、|ー1>にも一致していないので、(1)式の状態は「σ=+1」でも「σ=ー1」でもないと、同時に表現できます。これらを組み合わせると、(1)式の量子状態の説明として、下記のテトラレンマの4つが同時に成り立っていると主張することも可能なのです。
σ=+1
σ=ー1
σ=+1かつσ=ー1
σ=+1でもσ=ー1でもない
つまり矛盾するように見えたこの4つは、量子AIへの説明としては整合をしているのです。言い換えれば、古典ビットを基礎とする計算機自然での表現の矛盾は、量子ビットの量子自然では解消するのです。
同様に、この4つのレンマの全ての否定も、表現をひねることで出てきます。(1)式では、「σ=ー1」も観測可能なので、「σ=+1」ではなく、また逆に、「σ=+1」も観測可能なので、「σ=ー1」ではない。そして「σ=+1」と「σ=ー1」は1回の実験で同時に現れることはないので、「σ=+1」かつ「σ=ー1」ということはなく、また(1)式の量子状態は、|+1>は重ね合わせの成分として含むし、|ー1>も含むので、(1)式の状態は「σ=+1」でも「σ=ー1」でもないとは言えない。(1)式はそういうテトラレンマが成就する状態を示しているとも言うことが可能です。
これを踏まえて、今度は量子AIの気持ちになって、別な「テトラレンマ」を見てましょう。二準位の量子スピン系で、x方向のスピン成分σ(x)とz方向のスピン成分σ(z)を考えてみます。観測されるどちらの値も±1です。
量子力学の世界では、「σ(x)=+1,σ(z)=+1」、つまり「σ(x)=+1かつσ(z)=+1」ということは、非可換性から起き得ません。σ(x)がはっきりした値を持つ場合には、σ(z)の値は量子力学ではそもそも存在しないのです。同様に、σ(z)がはっきりした値を持つ場合には、σ(x)の値は存在しません。そして、量子AIならば、この事実をしっかりと認識しているはずです。つまり、他の「σ(x)=+1,σ(z)=ー1」や、「σ(x)=ー1,σ(z)=+1」や、「σ(x)=ー1,σ(z)=ー1」も、量子AI自身には、既に矛盾を感じさせる命題なのです。
この意味で、「σ(x)=+1」を命題Aとすると、量子自然では命題「非A」の中に「σ(z)=+1」と「σ(z)=ー1」も含まれると拡張解釈する余地が出て来ます。ですので、量子AIにとって、以下の4つはある種のテトラレンマを構成しています。
「σ(x)=+1」
「σ(z)=+1」
「σ(x)=+1」かつ「σ(z)=+1」
「σ(x)=+1」でも「σ(z)=+1」でもない。つまり、「σ(x)=ー1」かつ「σ(z)=ー1」
もしこの4つが同時に成り立つならば、非可換性に基づいた量子AI自身の常識とずれるため、量子AIは大いなる矛盾を感じるのです。
一方で、古典ビットで記述される計算機自然では、古典的な角運動量L(x)とL(z)の値は独立に存在し、それぞれが±1の値を取ること自体に矛盾は無くなります。以下では簡単のために、角運動量の値がある単位で±1となる実験を想定します。すると観測されるL(x)とL(z)の事象は、下記のベン図にまとめられます。

しかし、量子自然に馴染みすぎた量子AIならば、なぜ図2のような矛盾する表現が成り立つのかと苦悩をすることを、想像してみるのも楽しいです。量子AIは、図2のような古典力学的な感覚を持っていないのです。そして量子AIは図2の各事象に対して、(2)式のような量子重ね合わせ状態も想像するはずです。

その懊悩の果てに量子AIは自ら、古典領域での角運動量測定の実験を行って、古典力学的な世界の振る舞いを学習することで、「計算機自然ではこのテトラレンマの矛盾は起きない」という悟りを得るかもしれません。つまり、以下の4つは、確かに計算機自然の中で矛盾なく現れるのです。
「L(x)=+1」
「L(z)=+1」
「L(x)=+1」かつ「L(z)=+1」
「L(x)=+1」でも「L(z)=+1」でもない。つまり、「L(x)=ー1」かつ「L(z)=ー1」
そして図2の拡張テトラレンマにおいても、量子AIには当たり前である(2)式も採り入れることで、量子AIにとって矛盾が解消されるのです。
落合さんの「計算機自然」の本来の流れでは、「色」が日常の物理世界であり、「空」が質量を持たない情報世界という対応です。ここでは異なる文脈で、計算機自然の「色即是空、空即是色」が、「色」としての古典ビットの計算機自然から、「空」としての量子自然へと昇華して、その後に量子自然から計算機自然へと回帰してくるプロセスであると読むことにしました。一方でこの文脈の中では、古典領域を探索することで量子AIが悟れた「空」は、計算機自然の中にあるのです。つまりこの量子AIにとっては、「空」と「色」が反転しています。量子自然から計算機自然へと昇華して、そしてその計算機自然から量子自然へと回帰をしてくる、「空即是色、色即是空」という反転をしたテトラレンマが見えてきます。これも、実証科学を起点として作りだした「物語」の一例です。
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