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物理学の素朴還元論の終焉の始まり

還元論という考え方は、前世紀までの様々な科学を大きく発展をさせてきました。我々の体を含めた、身の回りの全てのものは、限られた種類の原子の集まりであるという原子論も、この還元論的な考え方の1つです。その原子の組み合わせで、どんな複雑な物体も作られているので、基礎となっているのは、その原子の物理法則である。そのミクロな法則を理解すれば、マクロな対象も自ずから深く理解できるであろうという「還元主義」の思想も、長く物理学業界を支配してきました。

原子も、原子核と電子から作られており、その原子核は陽子や中性子などの核子からできており、更に核子も、より小さなクォークという素粒子から作られています。20世紀の物理学では、世界のこのようなミクロな階層が、次から次へと発見されました。

前世紀には大成功をした、この還元論という方法論、還元主義という思想ですが、現在の物理学において、それらは終焉を迎えつつあるとも言われています。

前史的な話として最初に思い出されるのは、1972年に素粒子物理学の還元主義への反対を表明したフィリップ・アンダーソンです。彼は”More is different”と主張しました。つまり原子のようなミクロ階層の物理を理解しても、原子が多数集まって創発するマクロな対象には、そのミクロの理解からは手が届かない、驚きの振る舞いがあるというのです。還元論こそ正義であるとした、前世紀の素粒子物理学の「帝国主義」に対する、物性物理学者が与えた苦言でもありました。

当時のアンダーソンの批判は、物性物理や生物物理などの、マクロな階層の中だけで閉じた物理法則の研究への関心を、ある程度は高めました。しかし、素粒子分野ではその後も大型加速器による新粒子の発見が相次ぎ、またその実験結果によって、電磁気力と弱い力を統合する電弱統一理論の成功も広く知られることになります。1979年には、この理論の構築に貢献をした、シェルドン・グラショウとスティーブン・ワインバーグ、そしてアブドゥス・サラムの3人にノーベル物理学賞が与えられています。より深いミクロの世界が、還元論的に人類に開示され続けた時代でした。そのような流れの中では、アンダーソンの発言の記憶も薄まり、還元論の更なる成功と、そして核内の強い力や重力まで含めた大統一理論の可能性に、多くの物理学者は魅了されていったのです。そして、世界の全ての物理法則を統べる、究極のミクロ理論(theory of everything)の候補として登場をしたのが、超弦理論でした。

ところが、皮肉なことが起こります。21世紀現在の超弦理論の研究からは、脱還元論的な時空や物質のアイデアが提案されており、それが受け入れられつつあるからです。

そのヒントとなっているのが、超弦研究者のジュアン・マルダセナによって提案されたAdS/CFT対応(反ドジッター/共形場対応)という理論です。負の宇宙項を伴った反ドジッター(anti-de Sitter, AdS)時空を背景とする量子重力理論は、無限遠方の空間次元が1つ小さな境界上に出現する、重力を含まない物質だけの共形場理論(conformal field theory, CFT)と等価であると主張する理論です。これは今の現実の宇宙をそのまま記述できる理論ではないのですが、量子重力という謎の対象に深い知見を与える1つの理論模型として、現在でも広く研究をされています。

仮に我々が、AdS時空内を自由に運動できる存在だとしても、実はその我々は無限遠方にある薄い境界面の中の量子場の存在だとも同時に言えるのです。そのどちらの存在であるかという区別は、原理的に付きません。ここで重要なポイントは、体積部分に当たるAdS空間での還元論と、その無限遠方に置かれた境界面でのCFTでの還元論は全く異なるということです。高次元のAdS空間の中で基礎となるミクロな自由度と、低次元空間の場の理論であるCFTの基礎的なミクロな自由度は見かけが全く異なります。AdS空間内で3次元的な対象は、CFT内では2次元的な対象なのです。原子論での原子のような最も基礎的な対象を、AdS/CFT対応の文脈では単純に決められないのです。

またAdS/CFT対応に限らず、他の場の量子論でも、このような「双対性」というものが現れます。1つの同じ場の理論が、2つの異なる自由度で記述可能な場合に、その理論には双対性があると言います。たとえば量子場の状態を、素となる粒子を用いてそれを記述しても良いし、一方でソリトンと呼ばれるトポロジカルな励起でそれを記述しても良い場合があるのです。したがって還元論で行きつく先は1つに決められません。ある場の励起は、1つの種類の素粒子の集まりから出来ていると言ってもよいし、同時に同じ励起は、ソリトンの集まりから出来ていると言っても良いのですから。

もちろんAdS/CFT対応は、超弦理論での文脈なので、素朴な還元論で言うならば、「その弦こそが、還元論においてもっとも基礎的な対象である」と主張できるのではと、思うかもしれません。しかしこの「弦」という描像を使うには、その背景時空はきちんと定まっているという前提が必要なのです。たとえば平坦な時空がまずあって、その中を紐状の物体がうねうねと運動をしているという描像が、この「弦」です。しかし完成した量子重力理論では、その弦が住んでいる背景の時空自体の創発自体も、その理論の中で扱えなければいけません。多数の弦が絡まって、凝縮したものが時空であるという希望的な観測は可能です。しかし、それをきちんと定式化した理論は現在ありません。そして、その弦を凝縮した時空は、どんなミクロ領域でも連続的で滑らかであるとは、言えそうにないのです。

超弦理論などの量子重力理論では、10のマイナス35乗メートル程度の大きさである「プランク長」より短い距離には、物理的な意味がなくなるという予想があるからです。そのような領域では、そもそも素朴な「時空」という描像そのものが、破綻をしている可能性が大きいのです。

では時空やその中を運動する弦や素粒子という描像を超えて、理論の基礎に据えられるべき概念とはなんでしょうか?現在では、それが「量子情報」であると、多くの研究者は考え始めています。量子情報は、対象がミクロであるとかマクロであるとか等の実在的な属性を超えた、知識的な、つまり認識論的な概念です。ですから「マクロの現象はミクロの階層から派生、創発をする」という、従来の素朴還元論的な観方を、根本から覆します。

素粒子や弦という実在論的な対象ではなく、量子情報という認識論的な対象が、何故物理法則の基礎において重要と考えられるのでしょうか?そのアイデアの発端のひとつが、「笠=高柳公式(Ryu=Takayanagi公式、RT公式)」の発見です。2006年にAdS/CFT対応の文脈で、笠真生と高柳匡によって、このRT公式が提案をされました。この公式は、AdS空間の境界にあるCFTの量子情報である「量子もつれ」が、AdS空間の体積部分における極小曲面の面積に比例することを意味しています。つまり「量子情報の幾何学化」とも言える、非常に興味深い公式です。またこのRT公式から、一般相対論のアインシュタイン方程式の導出も試みられるようになりました。量子情報からの時空の創発です。これらは多くの研究者の興味を引き付け、世界的に大きな研究潮流を生み出したのです。その過程では、時空や物質も量子もつれなどの量子情報から生み出されるという思想、つまり「It From Qbit」という考え方も普及しました。これは前世紀にジョン・ウィーラーが提案をしていた「参加型宇宙」、そして「It From Bit」という思想の、その量子版です。

この「It」とはこの世界の全存在を指し、「Bit」とは情報の基礎単位であるビットを指しています。つまり「万物は情報である」とウィーラーは主張をしたのですが、量子力学に支配されるこの世界の情報とは、量子情報であるべきです。Qbitとは量子情報の基礎単位である「量子ビット(quantum bit)」を指しています。「万物は量子情報である」という主張が「It From Qbit」なのです。

「万物は、還元すると量子情報である」というのも、結局は還元論、還元主義ではないかと思われるかもしれませんが、その内容、質は大きく変容していることに注目をしてください。これまではミクロな階層がマクロ世界を支配しているという見方だったのです。つまりマクロからミクロへという顕微鏡的な視点での還元論の主張でした。それは直観的でありますが、非常に素朴なモノの見方だったとも言えます。一方でIt From Qbitという、新しい還元論の思想では、量子情報は、そのミクロとマクロの両方を、同時に創発するのです。

そもそも「万物は量子情報である」という思想を生み出したAdS/CFT対応以前に、そのホログラフィ原理という考え方自体は、既にアインシュタインの一般相対論の枠組みの中でも観察できます。

また一般相対論と量子力学を組み合わせた思考実験からも、「どんなミクロな領域でも連続的である時空の概念」の崩壊を見ることは可能です。たとえば図1のように、ミクロな対象へ光(または光子)を当てて、その画像をとることを考えてみましょう。

図1:ミクロな対象を、その大きさ程度の波長の光で見る

簡単な計算から、当てる光の波長を対象の大きさと同程度に短くしないと、クリアな画像は得られないことがわかります。そして光のエネルギーは波長が短くなればなるほど、高くなります。ですから、図2のようにより小さな対象を見るためには、より高いエネルギーを持った短波長の光をぶつける必要があるのです。

図2:より小さな対象は、波長がより短い光でなければ、見えない

では、対象がプランク長より小さなサイズとすると、何が起きるでしょうか?当てる光も超高エネルギーとなります。衝突する対象とこの光の全体系のエネルギーもいくらでも大きくなりますが、質量はエネルギーに光速度cの2乗を掛けたものというアインシュタインの質量公式から、非常に大きな質量がその小さな空間領域に集中をしていることになります。このため、一般相対論の効果が無視できなくなり、時空が曲がり始めて、図3のように、その光子と対象の両方を飲み込んでしまうブラックホールが現れると考えられます。

図3:ブランク長以下の波長の光でミクロなものを見ようとすると、ブラックホール地平面がそれを覆って隠してしまう。

もしこの光のエネルギーを天体サイズのエネルギーにして対象にぶつける思考実験を図4のように考えると、そのブラックホールも天体サイズの質量を持ちます。そして面白いことに一般相対論では、その天体サイズのブラックホールの事象の地平面付近での時空曲率や重力加速度は、質量(エネルギー)の増加とともにどんどんと小さくなるのです。地平面の外に居る観測者にとっては、地平面内部は観測できません。観測可能な領域に現れるブラックホール時空の諸量は、高エネルギー物理ではなく、低エネルギー物理で記述されるくらいに、小さくなるのです。

図4:超高エネルギーの光との散乱では、重力が弱いマクロサイズのブラックホールができる。

低エネルギーの光をぶつけるところから始めたこの思考実験ですが、どんどんと光のエネルギーを高めても、微小な領域の物体、ひいてはその小さな領域の時空そのものを観測することは、プランク長までで打ち止めです。その後はエネルギーを高めても、低エネルギー物理領域として扱われる巨大なブラックホールによって、空間の小さな領域は覆い隠されてしまうのです。つまり操作論的には、プランク長より小さな時空は決して観測できないのです。なので、その小さな領域に基礎的なミクロな対象を想定して、マクロ現象を誘導する、その物理学を構築することには、大きな困難があるのです。マクロをミクロから理解しようとする、従来の素朴な還元論は、プランク長付近で破綻すると考えることには、信憑性が高い理由があるわけです。

これらのことから、現代の理論物理学において、「かつては素粒子物理学の帝国主義を牽引してきた素朴還元論は、終焉を迎え始めている」という観方が、最近強まっているのです。


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