古典重力場は、量子もつれを作るか?
最近、異なる時空の量子的な重ね合わせの効果を実験で観測できるかが話題になっております。異なる形の時空のそれぞれの状態が、シュレディンガーの猫のように線形的に重ね合わさることが実証されれば、それは初めての時空の量子効果の発見を意味します。ただし、それが量子重力理論の直接の実証かと問われると、それは研究者の間でも意見が割れています。重力波が量子化された重力子(グラビトン)の効果が観測できなければ、本当の量子重力の検証にはならないとする立場があるためです。そして、重力子が無い古典的な時空だけでも、その状態が量子的に重なって、スピンを持った粒子の間に量子もつれを生むことも可能だからです。今回は、少しこれについて解説しておきます。
そもそもこの論争は、そもそも英国UCLのボーズさんたちの実験提案から始まりました。ダイヤモンドの「NVセンター」と呼ばれる、重い二準位スピン粒子を使うと、時空の重ね合わせの効果が将来の実験で観測可能であることを、彼らは論文で示唆したのです。
この論文は世界で大きな関心を集め、当時から話題となりました。現時点の技術では、本当に彼らの予言した効果を実験で確かめることは難しいのですが、近未来には可能になりそうな話として受け止められています。
そのおおまかなアイデアは次のようなものです。まずその重いスピン粒子をスピン左向き状態(+状態)と右向き状態(-状態)の重ね合わせにし、図1のように、それを非一様な磁場を生む磁石で作られたシュテルン=ゲルラッハ(SG)装置に通します。すると左向きスピン粒子の位置は左に移動し、右向きスピン粒子の位置は右に移動します。

ここでスピン粒子の位置を測定してしまえば、普通のSG実験となり、左に粒子が見つかればスピンは左向き、右に粒子が見つかればスピンは右向きだと確定をします。
しかし、ボーズさん達は、そのスピン粒子の位置を観測せずに、図2のように、左右を逆さにしたSG装置へその粒子を入射させます。この2つの装置の間の距離は十分に大きくし、そして粒子の速度も小さくすると、断熱的な変化としてこの過程は記述され、そして時間反転が粒子に起きて、スピンの状態は再び元の重ね合わせ状態に戻ります。

ここで、ボーズさんたちは、2つのスピン粒子AとBを考え、それぞれに図2と同じ装置を用意して、それにAとBを入射させることを考えました。この設定が図3です。

このスピン粒子AとBはけっこう重いので、AとBの間の古典的なニュートンポテンシャルの効果を実験で観測できるのでは?というのが、ボーズさん達のアイデアでした。
初期のAとBのスピンの状態には、量子もつれがないようにします。その状態で最初のSG装置にそれぞれを入力をします。出てきたAとBのスピンの向きが同じならば、AB間の距離は、それぞれのSG装置の間の距離と同じままです。Aがスピン左向きで、Bがスピン右向きの場合には、AB間の距離が大きくなるため、ニュートンポテンシャルは小さくなります。またAがスピン右向きで、Bがスピン左向きの場合には、AB間の距離が小さくなるため、ニュートンポテンシャルは大きくなります。
すると、この重力の違いによる効果で、AとBのスピンの向きに応じた各成分の状態ベクトルには異なる位相差が現れて、その結果として、2つのSG装置を通過した後の、AとBの間には量子もつれが生成されることがわかるのです。
量子もつれが重力を通じて生成されるので、これを量子重力の効果だとしたのが、ボーズさん達の見解でした。量子もつれは、AやBの局所的な操作や、AB間の古典通信では決して生成できません。ですので、もしAB間に量子もつれが生成されたのならば、なんらかの量子効果が原因であるはずです。そしてAとBを繋ぐのは、重力ポテンシャルしかないので、それは量子的な重力効果、つまり「量子重力」の効果だとしたのでした。
ところが、彼らのこの見解には反対意見が寄せられました。確かにAB間の量子もつれは生成されるのだけど、それは量子重力理論の重力子が媒介をして作られたものではなく、単なる古典的なニュートンポテンシャルによるものだったからです。
たとえばニュートンポテンシャルではなく、図4のように、古典的な棒を考えてみます。それを量子的なスピン粒子に取り付けます。

図5のように、この棒を持った粒子Aが粒子Bをつっつくとしましょう。AB間の距離は、AとBのスピンに向きに応じて異なる量子的な重ね合わせになっているとすると、これだけでAB間には量子もつれが生成されます。

AとBが遠すぎる場合には、棒はBに届かず、AとBが近い場合には、棒はBに接触します。その接触の効果でBの状態ベクトルには位相差ができるように設定しておきます。その後でAは元に位置に戻って、その古典的な棒を捨てれば、量子もつれが粒子Aと粒子Bの間に残るのです。
この棒の役目は、AB間に量子もつれができるように、AとBに直接的な大域相互作用を生み出すことだけです。局所相互作用では量子もつれは生成されませんが、大域相互作用ならば、簡単に量子もつれは作られます。この場合、棒自体が量子的なものである必要はありません。棒をもったAやBの位置が量子的な重ね合わせになれば十分であり、棒の振動が量子的なフォノン(音子)になることは、特に要求されていません。古典的な棒の位置が、量子的粒子Aの位置に連動していればよいのです。
古典的なニュートンポテンシャルを用いるボーズさん達の実験提案は、この古典的な棒の思考実験と質的には同じです。ですから、確かに量子重力理論の完全な検証にはなりません。しかし、それでも量子的な重い粒子が古典的な重力場をまとうことで、古典的な重力のポテンシャルが量子的な重ね合わせ状態になること自体は、彼らの実験で検証できます。一般相対論の観点でいうならば、たしかに形の違う時空の量子重ね合わせの効果が見える実験ではあるので、それだけで十分に意義のある話なのです。
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