見出し画像

💟後醍醐天皇の神風串呂

🎀串呂哲学研究ノート 第226号

1、後醍醐天皇

後醍醐天皇

神風串呂史観では、後醍醐天皇は、串呂主宰神(皇祖神)の串呂構築計画の青写真に基づき「吉野で崩御され吉野山に葬られた」となります。

串呂主宰神(皇祖神)は、カミカゼクシロによる皇統史をつむぐために、後醍醐天皇御陵と吉野神宮を吉野山に設けられました。

戦争の勝者や、権力者によって隠蔽・破壊・改竄されてない「真の皇統史」が地文に秘められているのです。

後醍醐天皇、諱は尊治(たかはる)。大覚寺統の天皇。両統迭立てつりつにより、実子に皇位を譲位できず、上皇になって院政を敷いて権力を握れない後醍醐天皇は、鎌倉幕府の両統迭立を壊すために、討幕運動を行った。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い(建武の乱)に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立ようりつした北朝との間で、南北朝の内乱が勃発ぼっぱつした。尊氏が征夷大将軍に就任した翌年、吉野で崩御した。

『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇

後醍醐天皇遺詔(現代仮名遣いに改めました。)
主上しゅじょう苦しげなる御息を吐かせ給いて、妻子さいし珍宝ちんぽう及王位きゅうおうい臨命りんみょう終時じゅうじ不随者ふずいしゃ、是れ如来の金言にして、平生へいぜいちんが心に有りし事なれば、秦の穆公ぼくこう三良さんりょううずみ、始皇帝の宝玉を随えし事、ひとつも朕が心に取らず。只生々世々しょうじょうぜぜの妄念ともなるべきは、朝敵をことごとく亡ぼして、四海を泰平せしめんと思う計りなり。朕則ち早世の後ちは、第七の宮を天子の位に即け奉って、賢士けんし忠臣事を謀り、義貞義助が忠功を賞して、子孫不義の行ないなくば、股肱ここうの臣として天下てんがしずむべし。之を思う故に、玉骨ぎょっこつはたとい南山の苔にうずもるとも魂魄こんぱくは常に北闕ほっけつの天を望まんと思う。めいそむき義をかろんぜば、君も継体けいたいの君にあらず、臣も忠烈の臣に非じ。」と、委細いさい綸言りんげんを残されて、左の御手に法華経の五のまきを持たせ給い、右の御手には御剣おんつるぎあんじて、八月十六日の丑のこくに、遂に崩御ほうぎょ成りにけり。(「太平記 巻21の4」 先帝崩御の事)

後醍醐天皇遺詔(現代語訳)
主上(後醍醐天皇)は苦しそうな息を吐かれて、「妻子、珍宝および王位は、霊界に持っていくことはできない、これは如来の金言であるが、平生私の心にあったことで、秦の穆公が三良詩を埋め、始皇帝が宝玉を(お墓に)持参したことは、私にはそのような思いは全然ない。ただ生々世々(永遠)に妄念となるであろうことは、朝敵を全て亡ぼして、四海(国内)を泰平せしめんと思うのみである。私の早世の後は、第七の宮を天子の位に即けまつり、賢士忠臣が相談し、(新田)義貞(脇屋)義助の忠功を褒めたたえ、子孫に不義の行いがなければ、股肱の臣として天下を鎮めなさい。こうしたことを思えば、玉骨はたとえ南山の苔に埋まるとも、魂魄は常に北闕の天(北にある平安京)を望もうと思う。もしこの命令に背き義を軽視するなら、君も継体の君ではなく、臣も忠烈の臣ではない!」と、委細に綸言を残されて、左手に法華経の五の巻を持たれ、右手を御剣において、八月十六日の丑の刻(午前2時頃)に、遂に崩御なされました。


第4章 後醍醐天皇は誰に譲位したか!
第5章 後醍醐天皇の世嗣よつぎを昭示する串呂


2、後醍醐天皇塔尾陵の神風串呂

後醍醐天皇塔尾陵とうのおのみささぎは、奈良県吉野郡吉野町吉野山1024 、塔尾山とうのおさん椿花院ちんかいん如意輪寺裏山にある。天皇の墓陵としては唯一北向き(北面)の御陵である。

後醍醐天皇塔尾陵
奈良県吉野郡吉野町吉野山

【参照】後醍醐天皇塔尾陵(宮内庁)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』に掲載されている後醍醐天皇塔尾陵の神風串呂をご紹介します。

(1)後醍醐天皇の嫡皇孫は三浦(天皇)である

【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
【参照】三浦について

三重県北牟婁郡紀北町 三浦

(2)後醍醐天皇の授禅(譲位)を表わす神風串呂

【参照】後醍醐天皇御陵と金崎神宮との神風串呂 (№37)

福井県敦賀市 金ヶ崎町

(3)後醍醐天皇の嫡皇孫三浦家は天の岩戸篭り中

【参照】延命長寿法を昭示する神風串呂 (№16)

奈良県吉野郡十津川村 三浦

(4)後村上院の神風串呂

檜尾陵(大阪府河内長野市寺元 観心寺内)

【参照】後村上院(義良)午年皇子説立証の神風串呂(№186)

島根県出雲市 王院山

(5)後醍醐天皇御陵と富士吉田市大明見おおあすみとの神風串呂

後醍醐天皇御陵ごだいごてんのうごりょう」―「一色いっしき」―「牧平まきひら大門だいもん」—「和田わだ」―「大明見おおあすみ

【参照】「大明見」-地文学への招待 №7

富士吉田市大明見(背戸山展望台/グルコミより

(6)⛩️元伊勢内宮皇大神社と⛩️後醍醐天皇御陵との神風串呂

天照御魂大神 日降ヶ丘 降臨の謎を解く! 新串呂解明11-⛩️元伊勢内宮と神武天皇 奉斎 ⛩️橿原神宮の神風串呂

西山(🔴西山二串)元伊勢内宮もといせないくう(🟢初二串)位田いでん町-⛩️西山(🔴西山二串)神社-⛩️高座たかくら神社-日降ヶ丘ひぶりがおか初香台(🟢初二串)夕陽ケ丘ゆうひがおか大和川やまとがわ第一緑地-大和川やまとがわ-⛩️橿原かしはら神宮御園みその卍如意輪寺(⛩️後醍醐ごだいご天皇塔尾御陵とおのおのみささぎ

(7)日ノ御子(香美市)を発見!-⛩️後醍醐天皇塔尾陵と⛩️神龍八幡大明神の神風串呂

⛩️神龍八幡大明神を中心とせる日御子町(日ノ御子)の神風串呂(Google.map)

🤴日ノ御子-⛩️後醍醐天皇塔尾陵-吉良町-🗻富士山-⛩️神龍八幡大明神-大御神

(8)時を超えるまなざし―祈りの糸が結ぶ⛩️塔尾陵と⛩️明治天皇陵
⛩️塔尾陵-南京終町-十六-伏見桃山陵大階段-⛩️明治天皇陵
(⛩️明治天皇陵は⛩️塔尾陵の方角を向いている)

⛩️明治天皇陵は、⛩️後醍醐天皇陵を向いていた!(Google.map)

(9)応仁の乱の霊因を探る-魂魄は常に北闕の天を望まんと思う-⛩️後醍醐天皇塔尾陵と京都御所との神風串呂
⛩️塔尾陵-京都御所-🪦応仁の乱勃発の地碑(上御霊神社)
(応仁の乱は明治維新 王政復古実現への序章である)

⛩️後醍醐天皇塔尾陵と京都御所との神風串呂(Google.map)

3、⛩️吉野神宮の神風串呂

奈良県吉野郡吉野町 吉野神宮

⛩️吉野神宮は、後醍醐天皇の御陵同様「北向き」の神社です。元の⛩️吉水神社ではなく現在地に新たに建立されたのは、神風串呂構築のためだと言えます。

 吉野神宮(よしのじんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。祭神は後醍醐天皇。建武中興十五社の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧社名 吉野宮。
 1889年(明治22年)6月22日に、後醍醐天皇を祀る官幣中社・吉野宮の創建が明治天皇の意向で決定した。1892年(明治25年)に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。1901年(明治34年)8月8日に官幣大社に昇格する。

ウィキペディア(Wikipedia)吉野神宮
⛩️吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町)

(1)⛩️吉野神宮と高天原の神風串呂

【参照】吉野神宮の神風串呂(№225)

茨城県鹿嶋市 高天原

(2)⛩️吉野神宮と後村上院御陵との神風串呂

【参照】矢田の天王と後村上院御陵との神風串呂(№188)

大阪府河内長野市寺元観心寺(地図マピオン)

4、⛩️吉水神社の神風串呂

⛩️吉水よしみず神社は、元南朝皇居(後醍醐天皇の行宮あんぐう)で、後村上院御自作の後醍醐天皇像が奉安されています。

ならかん(吉水神社)より転載

(1)⛩️吉水神社と三河御津府御所の神風串呂

⛩️吉水神社と御津府御所の串呂には、まことに神秘的な事に、愛媛県宇和島市吉田町の「南君なぎみ」が串線していました。

愛媛県宇和島市吉田町南君(地図マピオン)

【参照】三河御津府御所の神風串呂6-吉野町三串‐吉水神社‐南君‐開成‐御成(串哲300号)

5、その他

(1)後醍醐天皇の祈りと王政復古-⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂⑤

(2)時を超えるまなざし―祈りの糸が結ぶ⛩️塔尾陵と⛩️明治天皇陵

つづく


💞串呂哲学研究ノート バックナンバー


☀️祈り
全世界の全人類が、みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!


出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

著 書
神風串呂入門
ここまで解った元伊勢伝承
開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編
など多数

ブログ
串呂哲学研究ノート
*******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************

いいなと思ったら応援しよう!

串呂哲学研究ノート 串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!