『あさっての風』の読書会に参加しました【三浦綾子読書会】
5月2日(土)、まちねこさん主催の三浦綾子読書会に行ってきました。
〈追記〉
まちねこさんのこの読書会の記事はこちら。
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前回の読書会の様子はこちら。
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『あさっての風』を予習した際の記事はこちら。
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読書会会場の日本キリスト改革派山田教会がJR土佐山田駅の近くにあるので、電車で向かいました。

駅を降りると、『アンパンマン のマーチ』が流れていたので、ふらふらと香美市いんふぉめーしょんという名前の観光案内所に入りました。

入ったらマンホールカードというカードをいただきました。実物のマンホールも「駅のそばにあります」とのことだったので写真を撮りました。

今日は迷わずに会場の教会に到着しました。(前回は別の教会へ行ってしまいました。😅)


今日は三浦綾子の『あさっての風』の美しい結婚の章、親と子と教師との章、そして風物によせての章から4つのエッセイを輪読し、その内容について語り合いました。
今日読んだエッセイには、「愛」について書かれているものが多く、普段考えることがない「愛」について考える機会になりました。
愛するとは大変なこと。「好き」などという、常に変わりやすい感情とは全く違う。
「人はなぜ結婚するのか」というエッセイにこう書かれてあり、それが印象に残りました。
「好き」と「愛」は同じような意味だと思っていましたが、随分と異なるものなのですね。🤔
新明解国語辞典第八版で「好き」と「愛」を引いてみました。
すき【好き】
━な ━に〔動詞「好く」の連用形の名詞用法〕
自分の感覚や感情に合うものとして心が引きつけられ、積極的に受け入れよう(接し続けよう)とする気持にさせられる様子だ。
「フランス料理(クラシック音楽・サッカー)が好きだ」
「好きな女優」
「彼には好きな人〔=恋人〕ができたようだ」
「自分が好きでやっていることだから、疲れるのは苦にならない」
「好き嫌い」
↔嫌い
あい【愛】
個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情。
「親子の愛〔=子が親を慕い、親が子を自己の分身として慈しむ自然の気持〕」
「動植物への愛〔=生あるものを順当に生育させようとする心〕」
「自然への愛〔=一度失ったら再び取り返すことの出来ない自然を いたずらに損なわないように注意する心構え〕」
「学問への愛〔=学問を価値あるものと認め、自分も何らかの寄与をしたいという願望〕」
「芸術への愛〔=心を高めるものとしてすぐれた作品を鑑賞し、その作者としての芸術家を尊敬する気持〕」
「人類愛〔=国や民族の異なりを超え、だれとでも平等に接しようとする気持〕・郷土愛〔=自分をはぐくんでくれた郷土を誇りに思い、郷土の発展に役立とうとする思い〕・自己愛〔=自分という存在を無二の使命を持つ者と考え、自重自愛のかたわら研鑽ケンサンに励む心情〕」
「好き」は「自分の感覚や感情に合うものとして」受け入れること。
「愛」は「個人の立場や利害にとらわれず」受け入れること。
「愛はなかなかできることではないなぁ🤔」と思いました。
聖書にも愛について書かれた章があるそうです。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
これを読んで、「すべてあてはまります❗️😁👍」と言える人は世の中にどれくらいいるのでしょうか……。ちなみに私は全くあてはまりませんでした。😅
まぁ、最初から「できない」と諦めるのではなく、一日の中でほんの少しでもこれらのことにあてはまる瞬間を増やしていく努力をしないといけないのでしょうね。
来月の三浦綾子読書会のテーマは、『続・氷点』だそうです。私は『氷点』をまだ読んでいないので、読書会の前に読んでおこうと思います。
三浦綾子読書会香美のインスタグラム↓↓↓

