【短編集‐花の冠】第二六話『語りかえ(三)』
語りかえ(三)―サリム―
階段を降りると、そこには静寂だけが満ちていた。
そこは前回まで見ていた地下の景色とは違っていた。
石の壁に囲まれた小さな空間。中央にぽつんと置かれた机と椅子。
その重厚な雰囲気が、ここがただの地下室ではないことを示していた。
「……ここが、“語りかえ”の場なんだね」
僕がそう言うと、グラージュは無言で頷いた。
静かに、本を開く。
その中にあるのは、すでに知っている“フェイルの最後の言葉”。
けれど、その文字を見つめた瞬間、言葉たちが、僕をまっすぐに見返してくるような気がした。
まるで、「お前は、これをどう語るのか」と問いかけてくるように。
「サリム」
グラージュが口を開いた。
「……フェイルのこの言葉、本当に“本心”じゃなかったのか、俺には正直わからない」
彼の声には、迷いと葛藤があった。
「虚勢かもしれないし、弱さかもしれない。でも、それだけじゃなかった気がするんだ。
……もし、本心が他にあるのだとしたら。俺は、それを知りたい」
僕は、静かにその言葉を聞いていた。
その時、机の上に光る文字が現れた。
『”語りかえ”というのは、言葉を都合よく変えることではない。“別の意味”を勝手につけ足すことでもない』
「……グラージュ、どういうことだと思う?」
「わからん。
でも俺は、あいつの本心を、まだ語られていない“本当の想い”を、知りたい」
「ねえ、グラージュ。もしかしたら、それが、“語りかえ”ってことなんじゃないのか?」
机の上に再び光る文字が現れる。
『そう。書き換えるのではない。真実を見つけるために、言葉の奥にある“本当の心”を見つけるのだ』
「言葉の奥にある……本当の心」
『さあ、新しい語り部よ。本を置きなさい』
僕は机の上に、本をそっと置いた。
その瞬間、頁がひとりでにふわりとめくれた。
僕は吸い寄せられるように、開かれた頁に指を伸ばした。
指先が触れた瞬間、頁はまるで目を覚ましたかのように輝き、文字がひとつずつ現れていく。
「ねえ、グラージュ。
フェイルは、確かに弱さを抱えていた。
でも、それと向き合うことを避けたわけじゃない。
……彼はきっと、誰かにそれを理解してほしかったんだ。語りなおしてほしかったんだ」
グラージュが小さく頷いた。
「正義の男として記憶されることが、あいつの望みじゃない。
俺たちがそれを“語る”ことで……ようやく、本当の意味で、あいつと向き合える気がする」
光が少しずつ満ちていく。
机の上の本が、静かにページを閉じる。
「……行こう」
グラージュが、まっすぐ前を見据えて言った。
「この本の奥に、フェイルの“語られなかった想い”がある。
俺たちは、それを見つけに行くんだ」
僕たちは、本の中に、記憶の中に、閉じられた物語の中に進もうとしていた。
記された言葉の向こう側、語られなかった想いの中へ――
物語はまだ終わっていない。
いや、ようやく僕たちは、“はじまり”に触れようとしていた。
《続》
